『嫋やか』




 起床、今日は少し早め。サラリとした肌触りのシルクのシーツが擦れる音を立て寝返りをうち、もう一度寝入ろうかと息を吐いた時、寝室とリビングを仕切るドアから声が聞こえた。

「シェリー様、本日はご予定があります」
「………んもぅ、ララ。入るときは起こしてっていつも言ってるじゃない」
「申し訳ございません。快眠なさっていましたので…言いつけ通り寝室には立ち入っておりませんが、罰ならば甘んじて受けましょう」

 凛とした少女の声が粛々と告げる。シェリーは身を起こし伸びをしながらゆるく首を振った。

「いいの、あなたの事だから朝食を用意してくれたんでしょう?それで許してあげる」
「はい。本日はクロワッサンとカプチーノをメインにご用意しました。生ハムとチーズは朝から重いでしょうか……」
「あなたが用意してくれたならなんでも美味しいわよ。準備するから待ってて」
「御意に」

 ドアの前にいた気配がスッと離れると、シェリーはベッドからするりと立ち上がり、自室にあるシャワールームへと向かう。シャワーを簡単に済ませるとバスローブを羽織り、大きな鏡のドレッサーについた。慣れた手つきでパフをはたき、目元を縁取るラインに迷いはない。元々長い睫毛に気持ち程度にマスカラをして、最後に赤のリップを唇へのせた。髪には簡単にブラシを通すだけでふわりと肩から鎖骨へと流れる。
 ドレッサーから離れると次はパーテーションの裏へと回る。バスローブをその上にかけ、昨夜から用意していた華やかな赤のワンピースに袖を通した。

「よし」

 そのには街中の誰もが振り返るほどの美女がいた。(黙ってさえいれば誰も"彼女"が"彼"であると気付かないだろう)
 シェリーは他の一切の人間に己の素顔は見せた事がない。人々の前に現れるのはいつも完璧なシェリーだ。そしてそれは一番の側近であるララの前でも同じだった。

「お待たせ」

 丁度テーブルに朝食を並べ終えるところだったララが、シェリーの姿を見るとカチャッと食器の音をたてた。彼女もまた、シェリーの美しさに陶酔するものの一人だった。

「おはようございます。今日は少し、"余所行き"でございますね」
「だってお買い物だもの!仕事以外で外に出るのは久々だから楽しみ〜」

 テーブルにつきながらシェリーは声を弾ませる。ララはカップにカプチーノを注ぎながらムッと唇を尖らせた。

「買い出しでしたらララがお付きいたしますのに」
「あなたとの買い物も、とっても楽しいわ。でも今日はたくさん買うつもりだから、あなたに荷物を全部持たせる訳にはいかないでしょ?」
「たしかにララは小柄ですが、なにも"あの男"をつかせずとも……」
「フフ、そんなに妬かないでちょうだい。ディナーは約束通りあなたと食べてあげるから、ね?」

 俯くララの顎をクイ、と人差しで上げさせ、にっこりと笑む。ララは頬を赤く染め、小さく「はい」と返した。静かで、少し熱のある朝食の時間。だがそんな時間を、粗雑に断ち切るものがいた。

 ガンガン!

 ドアをノックする音だ。ララはサッとドアに向き直り身構えたが、シェリーはクスリと笑うとナフキンで口元をそっと拭う。

「少し前からそこで待っていたみたいね。あまり待たせると帰っちゃいそうだし、そろそろ行くわ」
「…かしこまりました。バッグをどうぞ」
「ありがとう。じゃ、お留守番お願いね?」
「はい。どうかお気をつけて。街にも、あの男にも」
「ふふ、ありがと」
 
 いってきます、そう言ってララの頬に唇を寄せると、意気揚々とシェリーは部屋を後にした。




『嫋やか』 Fin.


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