この街では、基本的な常識は死んでしまった。横行する犯罪、機能しなくなった警察組織。だが、そんなこの街が壊滅しない訳は、裏で糸を引く組織が3つ、幹部の手によって統率されている為だった。

 その3人の幹部を、人は“三帝”と呼ぶ。





『休戦の誓いを破るのは』




 日もすっかり暮れ、街灯の頼りない光のみで照らされた大通り。オレンジがかったその光に見送られながら歩く男が、2人。

「ちょっと、デンプスさん!こんな時間までフラフラ出歩いてて良いんですか?約束の時間ってもう過ぎてるんじゃ……」

 スーツの袖口を捲り、時計の針を確認しながら、1人の若い男が相手に問いかける。問われた男は咥えていた煙草を燻らせながら、ヒラヒラと手を振った。

「時間にとやかく言う相手じゃないって事にしとく。それに、出来る限り遠回りしねぇとな」
「遠回り?どうして……」
「いいか、この街じゃ誰でも背中に目が付いてて当たり前なんだぞ?」
「ちょっと、意味が分からな……」

 眉をしかめるその男の後ろで、キラリと何かが光る。振り返った途端、深い夜に響き渡る、銃声。







 カン、カン、カン、と、建物の裏に備え付けられた非常階段を、赤いピンヒールが音を立てながら登っていく。すぐに辿り着いた3階の、やや頼りないドアの前で止まると、ピンヒールを履いたその人物は、肩を過ぎた辺りでふわりと巻かれた薄いピンク色の髪を手櫛で梳き、身嗜みを整えた。ルージュで彩られた厚い唇は
余裕ありげに笑みを浮かべる。そっとドアノブを捻れば、中は暗く、部屋全体を見渡す事は出来ない。しかし、部屋の中央に置かれているであろう円卓の上では、小さな豆電球がひとつ、キシキシと揺れていた。

「遅い」

 暗闇の中から、何者かの声がした。円卓の席についているその声の主の手元から胸元までは豆電球の明かりに照らされ浮かんでいるが、顔までは窺い知る事が出来ない。やや苛立ちを感じさせるその声に怖気づくことなく、後から辿り着いたその人物はクスリと笑う。

「あら、貴方がいつも早く着きすぎるだけよ」

 同じように円卓の席につき、足を組みながら答える。暗闇の中の相手が、ところで、と話題を持ち出した直後、先程の頼りないドアを吹き飛ばすような勢いで開けながら何者かが転がり込んできた。

「すまねぇ!遅れた!」

 階段を駆け上がってきたのか、その人物は肩で息をしながら大きな声で謝る。先程までの静かで張り詰めた空気を一変させたその男は、部屋を見渡すと苦笑を漏らしながら壁をまさぐった。

「おいおい、陰気くせぇなあ、電気くらいつけろって」

 パチンッと部屋の明かりがつけられる。先に席についていた2人は目を細めた。そこでようやく、集まった3人の全身が互いに確認できるようになる。

「私も遅れてきたから人の事をとやかく言える立場じゃないけど、遅れた理由を聞きましょうか?」
「なんだ、お前も遅れたのか。どうせ化粧なり何なりで時間かかったんだろ」
「あら、身嗜みは乙女の基本よ?」

 長い睫毛に縁取られた目を細め、“乙女”はフフンと笑う。だがその笑い声は乙女のそれよりも幾分か低く、組まれた足や手、肩の骨格は明らかにか弱くは無さそうだ。女性特有の胸の膨らみもない。つまり、“訳あり乙女”だった。彼(彼女と呼ぶべきかも知れないが)の名前はシェリーと言う。

「それで?あなたは?随分と厄介な事に巻き込まれたみたいだけど」

 シェリーは目を細め、男の全身を改めて眺める。しっかりとした身体つきをしたその男が身につけていたシャツには、乾きかけてはいるがベッタリと、血が染み付いていた。

「ここにくるまでに“仕事”のひとつでも済ませてきたのかしら?デンプス」
「いやいや、そこまで俺は仕事熱心じゃねぇよ。ネズミの退治をしただけだ」

 ため息を吐きながら、血塗れのシャツを着た男――――デンプスは首を振る。緩いネクタイを更に緩めながら、どっかりと席に腰を下ろした。垂れた目と、右目を隠すように伸ばされた赤い髪、それと同じ赤い髭が目立つが、なによりも、無機質に銀に光る義手の右手が一際目を引く男だった。

「ったく、ちょっと話し合いをするだけだってのに、よっぽどこの街の奴らは暇を持て余してんだろうなぁ」
「俺は暇ではない。さっさと始めて終わらせるぞ」

 足を組み直しながら、初めからこの部屋にいた男が淡々と告げる。華奢な身体から感じられる雰囲気は鋭く殺伐としていて、それ以上に鋭く冷たい瞳は隻眼だ。この男の名前は、フロストと言う。

「へいへい、んじゃ、お決まり通りに自己紹介からだな」
「待って、その前に一時休戦を纏わなきゃ」
「さっさとせんか………」
「ふふ、ごめんなさいね。ララ、持ってきて」
「おいデコ助、俺もだ」

二人の合図で、いつから控えていたのか、若い男と女が、白いコートを持ち二人に近付く。男は先程デンプスと共にいた男だった。女は目元のみを隠す仮面を付け、表情をうかがい知ることが出来ない。それぞれが金の肩章が揺れる白いコートを持ち、恭しく、男はデンプスの、女はシェリーの肩へと、そのコートを羽織らせた。シェリーとデンプスは手を上げ、交互に決まり文句を口にする。

「俺はこれを汚さず、脱ぎ去る事はない」
「私がこれを脱ぐ時、それは武器を手に取る時」
「「このコートは、休戦の証」」

 誓いを終え、手を下ろしながらデンプスは苦笑を漏らす。

「この古臭い誓いの儀式とやらはいつまでやり続けるつもりなんだ?小っ恥ずかしいんだよ、これ」
「そうねぇ、最初の集会からやり続けているらしいから、数十年はやっているんじゃないかしら?」
「こんな儀式をして誓いをたてんとすぐに殺し合うような馬鹿な先代ばかりだったのだろう。貴様らはこの場で無闇に殺し合う事で成るデメリットを分かっているだろうから、本当ならば必要ないがな」
「でも、このコートお洒落で好きよ?私」
「雑談は良い。まずは各組織の近状報告からだ」

 to be continued.


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