強さが欲しい。誰かを守るためでも、自分を変えるためでも無い、もっと単純な。





『鏡の中の愚者』






 1人の男が、ドアを開け暗い室内に入ってきた。電気をつけることなく、ジャケットを脱ぎ、それをソファの上へ放り投げる。本来ならパサリと軽い音がするはずのそのジャケットは、ビチャ、と水分を多く含んだ音がした。

 男はネクタイを緩めながら、洗面台に向かう。蛍光灯をつけると、鏡に写し出されたのは、血塗れのその男だった。

「あーあ、きったねぇ」

 頬の血を拭い、その男は嫌悪に眉を寄せた。栓を捻り、出てきた冷水で顔を洗う。

『…スーツが汚れるやり方はやめてください。誰が処理すると思っているんですか』

 唐突に、何者かがその男に話しかける。部屋には1人しかいない。だが男は驚く様子もなく、顔を濯ぎ続けながら答えた。

「あいつが暴れたから仕方ねぇだろ。大人しく殺されときゃいいのによ」
『……誰でも殺されかければ暴れます』
「抵抗されなきゃつまんねぇから、それでいいんだけどな」

 蛇口を閉めると、男は顔を上げ、せせら笑う。鏡の中に写っているのは、容姿こそ全く同じだが、悲しげな顔をした男だった。

『レス、やはり貴方は理解できません』
「するつもりもねぇだろうが、シープス」
『ええ』

 シープスは冷めた目でレスを見る。レスはクツクツと笑うと、あーあ、とため息をついた。

「今日のやつも、俺らより若かったなぁ?ビビって漏らしてやんの」
『口を謹みなさい』
「複数同時に相手したのは久々だったから楽しかったぜ。明日の任務は何だろうなぁ?」
『……』
「でもまぁ、さっきの奴ら、反応おもしろかったし、もっといたぶってから殺してやっ、」

『うるさい!!!!!!!』

 叫び声。の後、バリンッ!と陶器が割れるような音。ハッとシープスが我に返ったとき、己の拳が鏡に亀裂を走らせていた。割れた鏡の中で、レスはクツクツと笑う。

『おー、怖い怖い。お前、俺に似てきたんじゃねえの?んじゃ、疲れたから寝るわ』

 じゃあな、と言葉を残し、レスは意識の中へ消えていった。部屋に残されたシープスは、その場へ崩れるようにしゃがみ込む。漏れる嗚咽を噛み殺し、鏡の欠片で切れた為に血が滲む拳を握りしめた。まだ、彼の記憶が夢のように脳内に残っている。自らが手にかけた相手の悲鳴が、頭蓋の中で反響する。

「なぜ、人の命はこれほど簡単に奪う事が出来るのに、自らの命を絶つ事は出来ないんです……っ」

 強さが欲しい。この心臓に刃を突き立てる、強さが。




『鏡の中の愚者』Fin.







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