いくらヴィクスの言葉で安心したとはいえ、ミシェルはすぐには地下室へ顔を出すことが出来なかった。またあそこへ行けば、更に複雑な非日常へ踏み込むのは間違いがなく、ミシェルはそれを恐れた。何も知らなければ、今までの毎日は、ただ同じことを繰り返すだけの退屈な日常だったが、いざ非日常を知ってしまえば、その物騒さに、日常の平凡なワンシーンが愛しく、離しがたいものになった。

(とはいえ、すでに僕は片足をその非日常に突っ込んでしまった後だ)

 ならば、日常と非日常を跨いでいるような不安定な現状を、ハッキリさせた方が良いのだろうか。何より、まだ自分の声について把握できていないまま日常をすごしていれば、いつかまたあの日のように、人を傷つけてしまうかもしれないのだ。ヴィクスから聞いたシェイドの言葉曰く、その傷はマイナスな方向へ向かうことはないらしいが、ミシェルとしては、傷つける事そのものを避けたかった。

「はぁー…もう、どうしよう…」

 大学の図書館でぐるぐると考えていたミシェルだったが、大きくため息を吐いて机に突っ伏した。講義中や帰宅中、そして眠りにつくベッドの中でこの事を考えてみるのだが、答えは出ないままで、地下室に行かないまま一週間が過ぎようとしている。何もかもを忘れて逃げ出すという道もあるのかもしれないが、それはミシェルの責任感や良心が邪魔をした。

「……帰ろ」

 いつものように分厚い本を何冊も抱え、ミシェルは席を立つ。本を借りる手続きをして外に出てみれば、少し強めの風がミシェルの体を押す。今夜は、少し肌寒い。


 帰路につきながらも、やはりミシェルの思考は自分の声ついて、自分が"羽を持つ者"だという事についてでいっぱいだった。
 あの日もこうやって本を抱え、もはや無意識でこの道を歩いていたのを思い返す。

(ここであの男性にぶつかられて、その後…)

 この交差点で、その男は車に跳ねられた。怖くなり、ミシェルはすぐにこの場を立ち去った事を、今更ながらに後悔していた、あの男性の命に別状が無かったのなら、ここまで葛藤はしていないだろう。信号が青になり、ミシェルは急ぎ足で横断歩道を渡りきる。
 この先の裏路地でナイトウォーカーに襲われ、初めてシェイドと出会った事もよく覚えていた。もし自分が"翼を持つ者"でなかったのなら、あの男性がひかれることも、ナイトウォーカーに襲われることも、シェイドたちに出会うことも無かったのだろうか。それは少し、寂しい気もした。

(そう、この路地だ)

 思わず、あの路地の前でぴたりと足を止めてしまう。細い路地に人影はなく、風はその路地に吸い込まれるように吹いていた。

(今日はまだ明るいし、大丈夫だろう)

 この路地を抜ければ自宅のアパートへの近道になるのは変わらない。まだ夜でも無いのでナイトウォーカーが現れる心配もないと、ミシェルは鞄を肩にかけ直し、路地に入った。



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