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本を読む花宮くんの手は綺麗だ。白い手の甲から伸びる指は長く、だけど骨張った関節や本の背に添えられる大きな掌が私とは違う作りと特徴を持った男の子なのだと意識させる。本を持たないもう一方の手は適度に力が抜けた状態で床のカーペットに投げ出されていた。
花宮くんは読みたい本が手に入るとこうして私の部屋で寛いで行く。花宮くんの性分からして、どこまで心を許して寛いでくれているのかは実際のところ図りかねるけれど。それでも花宮くんが読書に費やす時間がこの部屋で流れて、それを共有出来ている事実に満足していた。
花宮くんと私は、いわゆる幼馴染みと呼ばれる関係だ。尚且つ私にとって当たり前のように存在する何か。世間で良く酸素や水なんていう、生きていく上で必要不可欠なモノで例える程の絶対的な居場所な訳でもなければ、不意に消えてしまうと身体の一部が欠けたような不安感を抱く。曖昧でひどく頼りない、もやもやした存在。昔も今も、変わらない。
投げ出されたままの手の甲を指先でそっと撫でると一瞬だけぴくりと跳ねたが、どうやら拒否はされないらしい。触れてみた手は思っていたよりゴツゴツとしていて温かかった。こんなに温かい手なのに、何でも包み込めそうな大きな掌なのに、それでもこの手は色々な物を沢山壊しているのだ。以前からずっと確証はなくとも確信があった。
高校に入学した花宮くんは、中学の頃と変わらずバスケ部に入部した。そんな報告はいちいちするような関係でもなかったし、帰り際に横切る体育館からちらりと垣間見える彼の後ろ姿を横目で見ては、まだ続いてるんだと関心にも似た気持ちを抱いたものだった。勉強といえば中の下、運動をやらせればそこそこという平凡を絵に描いた私にとって彼は本当に眩しかった。そんな彼が自慢であると同時に、そんな彼と幼馴染みでいられる自分にどこか優越感を覚えているのも確かだった。
そんな折、耳にしたのはバスケ部の顧問の突然の辞退。霧崎第一高校といえば進学校というイメージが強い中、高校バスケ界でもそれなりの知名度があるからこそその噂はすぐに広まった。バスケ自体はそんなに詳しくないものの、『無冠の五将』と呼ばれる花宮くんが通常の選手よりも秀逸だという事は私だって知っている。


「ねえ、花宮くん。」
「なんだよ。」
「今度試合、観に行ってもいい?」
「はあ?……なんで。」
「花宮くん頑張ってるし、私も応援くらいしたいだけ。ダメ?」


不自然じゃなかったかな。ちゃんと普段通り笑えてるかな。そわそわ落ち着かない内心を何とか押し殺して花宮くんの横顔を盗み見る。花宮くんは弄っていたスマホから目を離さないまま、それは素っ気ない返事を寄越してみせた。


「お前、バスケわかんねーだろ。」


花宮くんもバスケも、私にとってわからない事だらけだよ。密やかに囁かれるバスケ部の噂話も、私なんかより何倍も頭の良い花宮くんが考えてる事も。どうして平気でそんな酷い事が出来るのかも。全然わからなかったけど、それでも花宮くんが満足しているならそれでいいんじゃないかと思ってしまう自分自身も。花宮くんが傷付けられるよりよっぽどマシだなんて、私って案外汚い人間なんだなと気付くと少しだけ笑えてきた。


「…なあ。お前、今日ヘンじゃね?」


ぱたんと本を閉じる音がすると、花宮くんの訝しそうな声が降ってくる。誰のせいだと思ってるんだろう。うじうじと聞きたい事も聞けない自分自身を棚に上げて、思わず八つ当たりしてやりたくなる。触れていた手の甲の皮をほんの少しきつく抓ると、花宮くんは僅かに頬を引き攣らせて口端を歪ませた。


「――…ッ、て…!テメェ何すんだ!」
「…知らない。」
「ガキかよ…。言いたい事があるなら言えよ。」
「言ってもわからないよ。」
「…ああ?なんだそれ。どういう意味か言ってみろ。」
「だから…わかんないんだってば!」


めったに怒鳴る事のない私が、まさか花宮くん相手にこんな声を荒げるなんて思いもしなかったのだろう。花宮くんの顔はまともに見れなかったけど、一瞬息を呑む音が聞こえた。それから暫くして、怒ってるようなむくれているような、拗ねた子供をあやすようなぶっきらぼうな声音が続く。


「何の話だかさっぱり見当つかねえけど、オレが聞いてやるっつってんだ。さっさと話せ。」


気付けば花宮くんの手を弄っていたはずの私の手は花宮くんの大きな手できっちり掴まれていて、全く逃げようがない。それが怖くて不安で、震える手を花宮くんはただ黙って握っていた。


「…花宮くん、何やってるの。なに考えてるの?あんなに酷い事して、どうして平気な顔していられるの?人の夢を潰して、何がそんなに楽しいの?」


花宮くんの手があからさまに強張るのがわかった。私は今、酷い事を言っている。花宮くんは平気で人を傷付ける事が出来る最低な人間なのに、私はそれでも彼を傷付けるのが怖いんだ。まるで自分が傷付けられたみたいに胸が痛くなる。


「ねえ、なんで?なんで?なんで私には何も言ってくれないの?どうせ私にはわからないから?それでも…私は花宮くんの傍にいたいんだよ。何があっても、どんなに酷い事してても、花宮くんの味方でいたいんだもん。」


幼馴染みって、そういうものなんじゃないの。そう呟いた声が聞こえたのかそうでないのか、花宮くんの手が私の頬に添えられた。ぐっと強引に顔を上げさせられる力は優しく慰めるなんて気は更々無いらしく、しっかりと目を合わせる形となる。


「…バァカ。幼馴染みだからだろうが。」


何も言えずにいる私をそのまま乱雑に腕の中に引き寄せると、花宮くんにしては珍しく切羽詰まったような小さな声が吐息混じりに耳をくすぐる。髪に絡む指が、熱くてもどかしい。


「オレは守るとか守られるとか、そんなタマじゃねーんだよ。」
「…知ってる。」
「ヘタしたらお前の小せえ手なんてあっという間に握りつぶしちまうかも。」
「ふふっ…。」
「なに笑ってんだ。」
「私の手はワガママだから、そんな簡単にはつぶされないよ。」
「――名前、実はイイ性格してるだろ。」


あぐらをかいた花宮くんの両足の間でもぞりと身じろぎすると、それさえ許さないとばかりに腰へと腕が回された。髪の束を掻き分けて剥き出しになった首筋に寄せられた唇は、哀れむように痕を残していく。


「あーあ…。幼馴染みのうちに、逃がしてやろうと思ってたのに。」


やたら大きな独り言など聞こえなかったふりをして、私は花宮くんのシャツをぎゅっと強く握った。


2014/02/02

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