01.かんざし

ハスターは知っていた。自身が持つ深淵と終焉を覗くような絶望は、人間を狂わせてしまう。どんなに黄衣の王という存在を信奉していても、だ。
現に、あの可哀想な村人たちはまるごと消えることとなってしまった。

他の場所でも、深淵に触れた者は人間ではなくなってしまった。魚人になったりもした。心細いわけではない。けれど人間はかくも弱いものなのかと、触れることさえ許されぬ存在なのだと思っていた。


荘園へ招かれゲームに参加するうち、一人の女性を知った。
東洋からやってきた「払い屋」というエクソシストのようなことをしているらしく、自らを傷つけるものを遠ざける能力を持っている。何度彼女が放った御札と呼ばれるものに弾かれ、身のこなしの速さに逃げられたことか分からない。炭鉱者…同じサバイバーにノートンと呼ばれていた彼と組ませると本当に鬱陶しい。
だから必然的に、ハスターは彼女がゲームに出てきたら気をつけていた。気をつけて、目をつけていた。気にかけていた。

黒髪をなびかせて、美智子と同じような合わせ襟の服装に、動きやすそうな…あれは東洋のブーツなのだろうか。指先が親指だけ分離した不思議なロングブーツを身につける彼女。


「待たせてごめん!」

「ありがとう!」


ああ、目の前で彼女がフィオナを助けた。助けられたフィオナは少しだけ申し訳無さそうな視線をこちらへ向けると、払い屋である彼女に守られながら逃げていく。
工場の中へ逃げ込まれては追いかけるのは面倒だ。あの揺れている暗号機へ瞬間移動しようか、はたまたきちんと追いかけようか。


「無傷救助…さすがはホタルね」

「とんでもない!運が良かっただけよ」


そうか、あの女性はホタルという名なのか。
暗号機の残り台数は四台。まあまだ勝てるであろう程度だ。そう思い周囲を見渡せば、何か金属の棒が落ちている。

触手で拾い上げてみれば、銀色の細長い棒の先端に飾りがついている。そういえば美智子が同じようなものを持っていた気がした。前に工場へ来たときに美智子が落としたものなのだろうか。
ハスターは持ち帰ろうとし、ふと気づいた。棒の先端に飾りがついている。太陽を模したそれは、ヨグ・ソトースのモチーフで。けれどフィオナがこのようなものを持っていた記憶はない。であれば、これは。


「ホタルの持ち物か…」





ゲームは無事に三人を飛ばし、最後に残ったホタルは華麗にハッチへ飛び込んでいった。悔しくあるような気もするが、逃げ切ったのがホタルであればそれは必然であるような気もする。なぜならハスターとしてはあの棒のことが気になって、とても殴れるような心境ではなかったからだ。

ハンターにと用意された邸宅へ戻れば、リビングに紅茶の香りが満ちている。


「おかえりなさいませ」

「おや、ハスター。今帰りですか。思ったよりも長引きましたね」


優雅にカップを手にするジャックと、日本のクッキーを手にした美智子。それに部屋の片隅にはヴィオレッタがぬいぐるみに洋服を着せて楽しんでおり、横でそれを興味深そうに見ているジョセフも居る。ジャックたちの出迎えに手を上げて答えると、美智子がすかさずハスターの分までカップを差し出した。


「相手にあの払い屋が居たのだ」


ため息のようにそう言って椅子に座れば、「ああ…あの女性ですか……」とジャックから嫌そうな声が飛び出た。やはり他のハンターとしてもあの能力は鬱陶しいらしい。持続時間が短いとは言えども、御札の置かれた場所に近づけば居場所がバレるし、御札に触れれば弾かれる。スタン時間はごくわずかでも面倒なものは面倒だ。


「僕もあの子、苦手だよ。美人だけど足も早いし、こちらが窓枠を超えた瞬間に御札使われて本当に嫌いになった」

「御老体を労ってくれない子なんですね」

「うるさいな、僕は若い。爺さんっていうのはバルクみたいなのを言うんだよ」


ハスターの隣へ来たジョセフもまた文句を言いつつ、すかさず出された紅茶にお礼を言って手をつけた。


「あの子の対処法、誰か知らないの?僕は面倒だから鏡像殴るんだけど、いや逆に言えばそれしか対処が分からないというべきか…」

「払い屋は案外抜けてるようで、チェイス中に恐怖の一撃入れられることもありますよ」


ハスターはジャックとジョセフの言い分を聞きながら紅茶を口にした。美智子は東洋人でありながら西洋のお茶を淹れるのもお手の物で、お菓子もそえて適切な時間に用意をしてくれる。今ではハンターたちにとってお茶の時間は一家団欒のようなものだ。


「そういえば美智子、これを知っているか?」


ハスターは話の切れ目を狙い拾った棒を差し出した。美智子に手渡せば、まあと歓声があがる。


「繊細で美しい細工の簪ですわ。一体これをどこで?こちらの国ではなかなか手に入れることが出来ませんの」

「チェイス中に払い屋が落としたようだった。何に使うものかも分からぬ故、吾がそのまま拾ってしまった」

「まあ、そうでしたのね。確かに、払い屋のお嬢さん…ホタルさんも時折簪で髪の毛を結い上げておりましたわ」


かんざし、というらしいその棒を、ちょっと失礼という言葉とともに美智子は実際に使って見せてくれた。ただの棒で髪の毛を結い上げる美智子の手先は、まるでマジックを見せられているようで興味深い。
これと同じことをあのホタルがしている。そう思うと、なぜだかどくりと心臓が高鳴るような気がした。


「この国で手に入れることは難しいものですから、返してさしあげるのが一番なのでしょうけれど…」

「なるほど。貴重なものを奪ってしまったか…折を見て返せると良いのだが…」

「ま、難しいよね。ハンターが居たら普通のサバイバーたちは逃げるだろうし。鏡像世界を使って返してきてあげようか?」

「いや、吾が直々に返そう。申し訳ないことをしてしまったのだからな」


それから数日、何度返そうとしても華麗に逃げ切るホタルに、ハスターはひたすら彼女を追いかける日々を送ることになった。
なんと言っても能力を使いこなす彼女は、工場だろうが、教会だろうが、遊園地。どこでも逃げる、逃げる。ホワイトサンド病院と湖景村は少し苦手らしいが、それでも他のサバイバーより華麗に逃げる。

鏡像を使うよう頼んだほうが良いだろうかと考えながら、ハスターはサバイバーが住まう邸宅との間にある庭園のような場所へやってきた。庭師が気に入って手入れをしているというそこは、大変美しい。
ふと、ジャックでも向こう側を見れるだろうかというほど高い生け垣の向こう側から、女性の声が聞こえてきた。


「やっぱり無いの?」

「うん。でもまあ…リボンで代用できるから」

「大事なものだったんじゃないの?」


フィオナとホタルだ。二人がベンチに腰掛けたのが見える。


「たしかあれ、あなたの国の太陽神がモチーフなんじゃなかった?大事なものなら、私も探すのを手伝うわ。イライにも手伝わせましょう?」

「うーん…太陽がモチーフとは聞いたけど、どちらかと言えばあれ、フィオナのフードや黄衣の王の着衣と同じ模様に見えるのよね。それに気づいてからなんだかつけるのが恥ずかしくって」

「恥ずかしい?あれだけハスター様とチェイスしておいて?」

「チェイスは…ほら、私の役目だから当然よ」

「チェイスはハンターとのダンスだってカヴィンが言ってたわ」

「それ、彼が美智子さんのこと好きだからそう言い張るだけでしょ…」


ああ、これは間違いなく簪の話をしている。逃げられるわけにはいかない。
ハスターは彼女たちが座るベンチの横に触手をはやした。焦る彼女たちの悲鳴が聞こえるが、優しく手首を捕らえ、そーっとゆっくり生け垣から顔をのぞかせた。


「待て」

「ハスター様!」


フィオナの少し嬉しそうな声に、かばうように立っていたホタルは庇う姿勢をやめた。こちらにフィオナやホタルを傷つける意思がないと気づいたらしい。触手をしまい、持ち歩いていた簪をさしだす。


「すまない。以前そなたが落としたものを、吾が拾っていた。手に入らぬものと聞いた故に、そなたに返したかったのだが…」

「ああ…それで最近私をよく追うように…」


驚きに目を開いたホタルは、差し出された簪を見てすぐに笑顔に戻った。優しく波間に反射する太陽のような笑顔は、とても美しい。


「ありがとうございます、黄衣の王。お手を煩わせてしまい申し訳ございません。」


低く頭を下げるホタルに、美智子がお礼を言うときにも頭を下げていることを思い出した。東洋人にとっては丁寧な挨拶に添えるもののようだ。
何より払い屋という職業がそうさせるのか、ホタルからはフィオナと同じようなこちらを敬う空気が感じられる。


「礼は良い。ただ…ひとつ、願いを聞き届けてはもらいたい」

「私にできることであれば、なんなりと」


簪をホタルの手にそっと渡し、ハスターはふと思ったことを口にしてみた。


「それは髪を結うためのものと聞いた。ここでそなたの髪を結って見せてはもらえぬか」

「?? そんなことでよろしいのですか?」

「ああ。吾はそなたの着飾った姿が見てみたい」

「かしこまりました」


テキパキと、髪をくるりと棒に巻いて使う姿は、思っていた以上の美しさだ。懐から出した別の簪を口に咥え、髪の毛をハーフアップにし、残りを下の方で留める。一連の仕草と、さらされた首筋が妙に艶やかだ。
紅の引かれた口元と目尻も、着物とよくあう。エキゾチックな美しさだ。


「いかがでしょうか」

「美しいな。とても…そなたの魂も」

「ありがとうございます」


嬉しそうに微笑んだホタルの隣で、なぜかフィオナが一番誇らしそうな顔でにんまりとしていたことは、ホタルには伝えないでおこうと思った。










2019/09/18 今昔

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