俺と彼女には、一年というどうやっても埋められない差がある。だから、彼女を捕まえておくのは、自分には無理だと思っていた。





四時間目の授業が終わり、移動先から自分の教室へ戻っていた最中だった。一階の渡り廊下から中庭にふと目をやると、羽衣さんの姿があった。
(珍しい)
普段は絶対に地べたには腰を下ろさない彼女が、ぼうと何処かを見つめながら芝生の上で膝を抱えている。
表情にも覇気がなく、当然気になった俺は廊下から逸れてそちらへ足を踏み出した。
「羽衣さん」
「赤葦くん」
ゆっくりと俺の方へ首を回した彼女は、やっぱり元気がない。
教科書と筆記用具を脇に置いて隣へ座った。
「どうしたんですか」
「どうもしないよ」
それきり口を閉ざして、羽衣さんは俺の肩に持たれてきた。どうもしてない訳がない。かといってその口振りは嘘を吐く気も隠す気もない。けれど本人からすれば心配されたいつもりもない。
たまにある、彼女のオフモード。
いつもにこにこ笑っていることが多い彼女のスイッチがふと切れるこの現象を、俺はよく知っていた。
年上の羽衣さんが、無意識に俺に甘えてくれるのだ。
「そうですか」
傍らに投げ出された彼女の携帯電話が鳴り、チカチカとライトが点滅する。
「鳴ってますよ」
「いい」
恐らく、羽衣さんの友人からだ。またこの人はお昼を食べることなど頭から消えて、ふらふらと教室を出てきたのだろう。
二人でただ黙っていると、全てが遠くに感じた。騒がしいはずの人の声や校内放送が自分たちとは余りに無縁で、別世界を眺めているようだ。
しかし実際は別世界なんて存在しない。平凡な日常の中に、俺たちはいる。
「いたー!羽衣ー!」
「もう!また一人でどっか行って!」
邪魔なんてこんな風に簡単に入ってくるのだ。声が降ってきた方を見遣れば、羽衣さんの友人が校舎の三階の窓から顔を出していた。
「あら赤葦くん」
「っす」
軽く会釈をすると、二人はそれぞれ呆れたりにやにやしたり。
「旦那のとこかあ。あー、やだやだ」
「ま、それなら安心よね。羽衣のことよろしく」
この冷やかしにももう随分慣れた。口ではどう言おうが、彼女のことを心配しているのだし。当の彼女はぴくりとも動かず反応も示さないが、それはそれで友人への甘えの一つ。
本当に仲がいいものだと感心してしまう。
「あ、ねえ赤葦くん」
「はい」
「そこのお人形に、あんまり落ち込むなって言っておいて。次の模試でB判定取ればいい、まだ間に合うんだから」
なるほど。そういうことだったのか。
俺が頷くと、友人たちは引っ込んでいった。
「羽衣さん」
頭をぽんぽんと撫でる。すると羽衣さんは黙ったまま凭れてきたかと思うと、そのままずるりと姿勢を崩していく。
俺は胡座をかいたまま少し向きを変えて胸で受け止めた。
「応援されたって結果が出ないものは出ないの」
無気力な声に、俺は。
「それは」
なにを言ってあげられるだろう。
ただでさえ、一つ年下の自分に。
「悔しいって言っていいと思います」
なんとかして支えになりたいし、その葛藤に寄り添いたい。
「やめて。図星射さないで」
「・・・すみません」
なのに上手くいかない。
ささくれた気持ちに効くことばを、なんとかかけてあげられたら。
謝って黙ると、そっと羽衣さんが離れる。
「ごめん」
俯いていて表情は見えないが、肩が小さく震えていた。
「赤葦くんは悪くない。ごめんね。謝らないで」
「いや、俺こそ」
気が利かなくてすみませんと返そうとするが、彼女は俄に取り乱す。
「ごめん、お願いだから、愛想尽かしたりしないで」
(愛想を尽かす?)
どうしていきなりそんな話に。
「ちょっと落ち着きましょう。何故そう思うんです」
俺が羽衣さんを振るとでも思ったのだろうか。考えたくもないが、逆はあってもそれはない。
彼女は何度か口を開きかけては止めを繰り返したあと、意を決したようにことばを紡ぎ始めた。
「赤葦くんは落ち着きがあって大人っぽいのに、私は釣り合わないって。年上の癖にこんな八つ当たりなんかして。もっと自立した女の人がいいに決まってる」
なんだかいろいろ問題が絡まっている。
俺たちの付き合いや羽衣さんの受験勉強、色んな悩みが彼女を混乱させているようだった。
「勝手に決めないでください。誰かにそんなこと言われたんですか」
「・・・赤葦くんと同い年の女の子たちが、言ってた。もっと魅力的な彼女だったら、納得できるのにって。私みたいなのだから赤葦くんのこと諦めつかないって」
「そんなこと、他人の言ったことじゃないですか」
目に涙を溜めて膝の上で手を握り込んだ羽衣さんは、首を横に振る。
「私だってせめて勉強が出来たらって・・・でもC判定だし」
なるほど、そこでそうなったか。
「ねえ羽衣さん、気にするのはそこじゃないですよ」
俺はその手を包むように自分のそれを重ねる。
「俺は、こんな俺に甘えてくれる羽衣さんがいいんで。自立されたら困ります」
彼女が目を見開いた。丸い瞳からぽろりと落ちた一粒を最後に涙が止まる。
「赤葦くんがこんな俺とか言っちゃだめだよ」
「いや、言います。俺、格好悪いですよ。羽衣さんに捨てられたくなくて必死なんです」
羽衣さんの顔が、否、耳や首までみるみる内に真っ赤になっていく。
「ばっ、ばかばか!赤葦くんのことだいすきだもん!それ私の台詞だし!」
そんな風に俺を罵って、彼女は再び泣き出す。そう、この瞬間が俺の存在意義なのだ。
俺の傍で弱さを晒して泣く、無邪気さを出し惜しみせず笑う―――俺の傍に来てくれる。それだけで、安心する。羽衣さんは俺のものだと実感出来るから。
格好悪くても俺のことすきですか、と聞いてみれば、
「年上の癖に赤葦くんに宥めてほしいし誉めてほしい面倒な私のこと、すきですか」
と返ってくる。
「・・・羽衣さん」
力いっぱいに彼女を抱き締めた。
「赤葦くん、私、私ね」

どんな赤葦くんも見てる。だいすきなの。

そんなことを言われてしまえば、もう溢れ出してしまう。それでもきっと足りないんだ。
もっと、もっと。
羽衣さんに愛を注ぎたい。羽衣さんの為に俺の心を使いきってみたい。
バレー以外でこんなにも傾倒出来るなんて、彼女以外に誰がいるだろう。周りからすればきっと滑稽なほどだ。
「羽衣さんのこと、俺が捕まえててもいいですか」
でも、二人でずっと変わらずいられたらいい。
(羽衣さんの受験か・・・)
場所がここじゃなくなっても。
ぼんやり将来を思った。
羽衣さんが高校生じゃなくなって、そのあとを俺は一年遅れで追うのだ。そしてもっと年月を重ねて―――。
(ああ、まずは)
背中を擦って、彼女を泣き止ませることから始めなければ。
じんわりと心臓に沁みてくる熱を感じて、これが幸せかと一人納得してみた。


俺と彼女のはしゃいだストーリー


俺のことをこんな風に震わせられるのは、貴女だけだ。


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