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「伊緒ちゃん、このゲームで記録の取り方教えるね」
質問もあったら言ってねと、さつきちゃんは言った。その左手にはファイルやノート、右手には四色ボールペン。


転調


(そうは言われても…)
彼女の目つきは真剣なものに変わり、どう考えても声を掛け辛い。ここからが、赤司くんに精密な研究を任されているさつきちゃんの本領発揮なのだろう。

私は勿論敦くんの応援をしたいし、彼の今日の活躍は誰もが目を見張っていた。
「いいぞ紫原ー!」
「押されるな攻めろ!」
けれど私は、選手たちの声が飛び交う中で何度も黙って息を飲む。必要な声出しはするものの、視線は殆どさつきちゃんの手元を追っていた。せめて一日でも早く一人前のマネージャーになりたい、与えられた場所で頑張ると決めたのだから。
(敦くん、敦くん)
声には出さず、彼の名を呼び続けた。
(頑張って)

「試合終了!」
ゲームセットを告げるブザーが鳴った瞬間、敦くんは持っていたボールを投げ出し私に大きく手を振る。
「伊緒ちーん!俺勝ったよー」
スコアを見てみれば敦くんの成績は圧巻である。見事に黄瀬くんと緑間くんを抑え切り、最後の最後でオフェンスにも加わってここ最近で一番の結果を残した。
私も頷いて控え目に手を振り返す。お菓子を渡したらどんな表情になるのかと思う程、彼は既に頬を緩めていた。
礼が終わると、花を飛ばしながらこちらへ一直線に駆け寄ってくる。
「お疲れ様、敦くん」
タオルとドリンクを渡すと、「ありがと伊緒ちん」と目を細めた。
「これで伊緒ちんのお菓子俺のだし」
ドリンクをぐいと煽った敦くんは、満足げそうにしている。先程まで怖いくらい鬼気迫る表情をしていたのに、別人のようだ。
「部活終わったら、全部渡すね」
「やったー」
なんてまた嬉しそうにするから、私はこの日の為にお菓子作りの腕を磨いてきた気さえしてくる。彼が嬉しいなら私も嬉しい。動機がどうであれと思ってしまうのは、相当盲目的になっている証拠だろう。


全体練習が終了となり、今日は体育館に黒子くんと青峰くん、緑間くんが残ろうとしていた。
「敦くんはどうするの」
「今日はもう疲れたから帰るし」
彼は汗を拭きながら溜め息を吐く。それはそうだろう、殆ど一人で赤司くんたちと戦ったも同然だったのだ。
「一緒に帰ろー」
「うん」
私もこのあと残っていかなければならない予定はなかったし、さつきちゃんとも労い合ったところだ。
黄瀬くんと青峰くんは早くもワンオンワンを始めていて、敦くんはよくやるよねと更に疲労を表出する。
あ、黄瀬くん抜かれた。
「もらった!」
何処にそんな体力があるのか、青峰くんは豪快にダンクシュートを決める。大の字に寝転がった黄瀬くんを見下ろして「まだまだ全然惜しくねえからな」と追い打ちをかけた。
本当に仲良いな。
「伊緒ちん?」
「敦くん、ちょっと待ってて」
私は、二人分のドリンクとタオルを持って彼らに歩み寄っていく。
「水分、ちゃんと摂ってね」
ボトルを渡すと、黄瀬くんも起き上がった。
「あーもーマジ悔しいっスー!」
彼ははだんだんと地団駄を踏む。
「真田っち!」
「はいな。タオルね」
汗が絶えず流れて頬や首筋を伝う彼らに、タオルも差し出した。
「あ、どもっス。じゃなくて!」
「ん?」
「勝負っス!こうなったら真田っちだけにでも勝つ!」
腹いせかのような口振りだが、私に勝ってもブラウニーはない。まあいいか。腕を差し出して息巻く彼に、私からも一戦願おう。
「伊緒ちーん」
敦くんが後ろからやってきて覆い被さってきた。
「わっ、敦くん!ちょっ…!」
首で振り返って見上げる。と思ったら、予想以上に顔が近かった。横を向いただけですぐそこに彼の髪が頬を擽る距離。背中には薄いティーシャツで隔てただけで筋肉質な身体が触れており、生々しくそれを感じる。
「うーん」
一瞬で顔の熱が上がってしまった私を余所に、敦くんは唇を尖らせる。
「すぐ終わる?」
「すすす、すぐ、終わる…よ」
じゃあ待ってるしと彼が身を引いたとき、私は只管床の木目を見つめていた。
(敦くんって今までこんなことしてこなかったよね?)
手を繋いだりはしてたけど、こんなにパーソナルスペースにすんなりと入ってくることはなかったはず。


「すぐ終わるなんて随分と簡単に言ってくれるっスね」
黄瀬くんは肩を回して筋肉を解す。俺も最近調子いいんスよ、と見下ろされた。
「お手柔らかに」
近くにいた黒子くんに審判を頼んで、私たちは腹這いになる。
「いいですか」
「はい」
「いいっスよ!」
黄瀬くんの力加減を感知して、同じ出力で圧し返す―――私は自分の手を睨みながら、何度も言い聞かせるように頭の中で繰り返した。
「では、用意…始め!」
(くっ…)
腕の感覚に神経を集中させる。
(こう?これくらい?)
「お、俺もしかして勝てる!?」
圧しすぎては戻し、圧されては圧し、私なりに四苦八苦していると前回までと異なる展開に黄瀬くんが勘違いをしたらしかった。
「甘い」
「あれえ!?」
ぽいと彼を転がして、私は起き上がった。
(でも、確かに変わってきた、かも…)
最近、漸く筋の緊張や弛緩を“意識する”ということが解ってきた気がする。
(色んな仕事をして握力や腕力を使ってるし…ちょっとずつ、身についてきてるのかな)
見た目にはなにも変わらない掌を見つめていると、敦くんが「帰ろう」とその手を掴んだ。
「うん」
更衣室に引っ込もうとしたら、今度は赤司くんに呼び止められる。
「お疲れ、真田」
「お疲れ様」
立ち止まると、彼は口元に弧を描いて掌をこちらに向けて差し出してきた。
「帰る前に、渡すものは渡してもらおうか」
そうだ、危うく忘れるところだった。
「すぐ着替えて持ってくるね」
敦くんとは更衣室のドアの前で別れて、急いで着替える。するとさつきちゃんもやってきた。
「どう、伊緒ちゃん」
「なんか、色んなことが起きた一日だった気がする」
率直に答えると、トレードマークのパーカーを脱ぎながら彼女は「そうだね」と微笑む。
「むっくんのあの今のペースについてくのは大変かもね」
「どういうこと?」
意味深に“あの”を強調され、ブレザーを羽織りながら私は首を傾げた。
「うーん…むっくんにしては、ちょっとアップテンポだね」
ますます意味が解らない。マイペースで独特かなと思うときはあるが、せっかちでは全くない。さつきちゃんはそれ以上教えてくれなかった。
「でも、伊緒ちゃんは焦らなくていいよ」
そう、抽象的にアドバイスを授けるだけで。


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