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どうせ喧嘩慣れしているだろうとは思っていた。
こいつは平気で人を殴れる、そういう部類の人間だ。
一方私は力が強いというだけで、武道を極めている訳ではない。
「!」破壊神の危機私が振り被った瞬間、灰崎が受け身をとるのが解った。
こいつが私のことを何処まで知っているかは解らないけれど、掌で止めるつもりらしい。
こちらも遠慮はしない。
そのまま掌、否、手根目掛けて拳を叩き込んだ。
ごめんね、敦くん。
女の子、って言ってくれてありがとう。
「っらぁ!」
「ってえ…!」
手根から肘まで衝撃を受けた灰崎は、腕を抑える。
(……)
まずいな。
思ったより私にもダメージがあった。
「ふざけんなよてめえ!」
灰崎の瞳孔が開く。
この体格差では明らかに分が悪い。
灰崎の繰り出してきた殴打を屈んで交わして、倉庫の端まで駆ける。
「ちょろちょろしやがって!」
「大人しく殴られてやる訳ないでしょ!」
雑に積んであった鉄ポールの山を一気に崩した。
「くそっ嘗めんなあ!」
がしゃがしゃとポールが絡み、足場が悪くなった灰崎は私に近付き難くなった。時間稼ぎが出来た私は、出口に走った。
引き戸に手をかけ、そうして脱出成功。
の、はずだった。
(開かない!?)
「はーいそこまで。俺が一人で来てたとでも思ったかよ?」
背後に迫った灰崎が、私にゲームオーバーを告げる。
どん、と鈍い音がした。
「ぐっ…かはぁっ…」
背中を掌で圧され、体を戸に押し付けられる。
鉄の板に圧接されている肋骨が痛い。肺が圧迫されて呼吸が出来ない。胸椎が悲鳴をあげ始めた。
「かわいい顔してとんだ怪力女だな。ったく、手間取らせやがって」
協力者が、すぐ外にいたのか。
用意周到なことだ。
「大人しくしてたら、すぐ済んだのによ」
やめだ、めちゃくちゃにしてやる。
そう灰崎は耳元で囁いた。
(否、私が迂闊だったのか)
幸い、こいつは“まだ”油断している。両手は自由だ。
右手は少し痛めてしまったから、うまくいくかは解らないけれど。
「知ら、ないの…、私ね…破壊神って呼ばれてるん、だから!」
両手で、勢いよく冷たい戸を圧した。力は後ろに作用して私の身体は解放される。
背中を圧されたままそんなことをしたのだから、当然私へのダメージは先程の比ではない程返ってきた。
げほげほと咳込みながら振り返ると、今度は灰崎が尻餅をついていた。
「破壊神だあ?ふざけたもん名乗ってんなあ…」
「なんとでも言えばいいよ」
逃げ道はあの窓しかない。
もう道具を使ってこいつの意表を突く手もないだろう。
(やっぱ真っ向からやるしかない…)
タイミングが全てだ。
私は灰崎の動きを瞬きせず観察する。
よろよろと起き上がり中腰の姿勢になった瞬間、懐に飛び込んだ。
「っ!?」
「はあっ!」
右手でガードしながら、額に左手で掌底を打ち込んだ。
脳を揺さ振られた灰崎は「なっ…」と驚きながら、ふらふらと後ろに再度倒れ込む。
膝蹴りとの合わせ技でなかっただけ、最後の慈悲だ。
私は急いで窓まで走って手を伸ばす。
(この格子を、壊すしかない)
躊躇っている暇はない。
倉庫を荒らして、窓まで壊して。
どれだけ謝れば済むだろうか。
こんな暴力沙汰を起こしてしまっては、敦くんにも、さつきちゃんにも―――。
(ああ、みんなに嫌われちゃうんだ…)
嫌われたく、なかったな。
もっと、近付きたかったな。窓を開けて、格子を掴む。
錆び付いて塗料がささくれ立ったそれを、何度かがんがん揺すって外した。
サッシに右足をかけて、下を見る。
「…意外と高い」
でも、飛び降りるしかない。
「待てよ」
「!」
覚束ない足取りで立ち上がった灰崎が、私の左足を掴んだ。
「しぶといね、本当。お仕置きが足りない?」
骨がみしみしと軋む。
「そりゃこっちの台詞だクソアマ。オイタが過ぎんじゃねえの」
慈悲なんかくれてやるんじゃなかった。
(伊緒ちん、伊緒ちん…!)
これが、ただの杞憂だったらいいのに。
なにもないなら、本当にそれで。
希望に反して、第三体育館に近付くほど嫌な予感は増幅した。
大した距離ではないはずなのに、ずっと走ってきたみたいだった。
漸く着いた、と入口のガラスドアに手をかけた。
「っ、なっ…」
鍵が閉まってる。
最悪だ。
思考の足らなかった自分を怨んだ。
伊緒ちんの失踪に複数人が関わっていると知っていたのに。赤ちんだったらまず鍵の所在から確認しただろうに。
俺はずるずると崩れ落ちる。
「どうしたら、いいんだよ…!」
項垂れていると、そう遠くない場所からがしゃんという音が聞こえてきた。
「!」
一縷の望みを託して、俺は体育館を外壁伝いに再度走り出す。
伊緒ちん、何処行ったの。
俺を呼んでよ。[ 18/32 ][*prev] [next#]
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