V
「伊緒ちーん、はい」
「ありがとう」
私は彼から差し出されたお菓子を受け取る。今日はポッキーだ。
敦くんはときどき私のクラスにやってきて、こうしてお菓子を分けてくれる。
教科書も持っているし、大概が移動教室の通りすがりのようだ。
いつだったか、赤司くんがそれは珍しいことだと言っていた。常態化していて、私にはもう違和感はないのだが。
「むー…」
「?」
もらったそれをぽきぽき囓りながら、私は訊ねた。
「どうしたの?」
お菓子を受け取った直後から、敦くんは眉間に皺を寄せている。
「伊緒ちん、はい」
「あ、ありがとう」
私の質問には答えず、むっとしながらまた一本差し出してきた。私は受け取りながら、必死に考える。
(なにか見落としてる?このポッキーがなにか特別とか…)
でも持っている箱はスタンダードな赤色で普通のパッケージだし、食べてみても変わらない美味しさだ。
「おいしい、ね」
味覚の共有かと思って、感想を述べるもそうではないらしい。またまた一本、「そう?じゃあ、どうぞー」と口元に持ってこられる。
さっきから敦くんは私には渡すばかりで、全く自分では食べていない。
これで三本連続だ。
「敦くん食べないの?私ばっかりもらってるけど」
「いいのー。ほら」
「ありがとう…?」
自分のお菓子なのに、いいのかな。
さすがに珍しいし、なにより申し訳ない。恐る恐るそれを受け取った。
「もー!そうじゃないってばー!」
敦くんは、遂に不満を爆発させるかのようにお菓子の箱を握り潰す。
ぐしゃりとパッケージが歪む瞬間、ぱきぱきっという軽い音も聞こえた。
「あつ、し、くん…?」
このたった数分で、私が一体彼になにをしたのか、皆目見当がつかない。
どうして彼を怒らせてしまったのか。
「ごめんね、どうしたの?」
「…また明日来るし」
慌てて謝ったけれど、敦くんは明白に肩を落としてとぼとぼと教室を出ていった。
「っていうことがあってね」
帰りに寄ったマジバの店内で、私はさつきちゃんに出来事の一部始終を話した。
「確かになにが悪いのかも知らないで謝るのはよくなかったと思うんだけど」
何回考えても解らないんだよね、と溜め息を吐いた。
「どう思う?」
向かいに座る彼女に見解を問う。私より敦くんとの付き合いは長いから、なにかわかることや気付くことがあるはず。期待して答えを待った。
しかし返ってきたのは、憐憫に満ちた視線。
「伊緒ちゃん……」
「な、なに?」
そう呟いたきり、さつきちゃんも重たい溜め息を吐く。
「私が悪いことしちゃったみたい…ムッくんごめん…」と意味深に呟くものだから、私は身を乗り出した。
「さつきちゃんなにか知ってるの?」
「え?え、いや〜?」
彼女は咄嗟に目を泳がせる。絶対なにか知ってることがある、と確信した私は顔の前で両手をぱんと合わせた。
「お願い、どんな些細なことでもいいから教えて!このまま喧嘩しちゃうなんて嫌なの!」
「うっ…」
さつきちゃんはますます気まずそうな顔をする。そんなに言い辛いことなのか、余計に悪い方に疑ってしまう。
「今日の部活で、敦くんなにか言ってたりしない?」
少なくとも私には普通に見えたが、彼はなにか我慢していただろうか。
教室を出ていくときは『また明日来る』と言っていたが、明日こそはいよいよ怒らせてしまうかもしれない。そう思うと安穏と顔を合わせることが出来ない。
「そうじゃないよ、伊緒ちゃん」
さつきちゃんはびっと私を指差した。
「でも伊緒ちゃんは鈍い。出来れば伊緒ちゃんから気付いてほしいから、全部は言わないよ」
「え、」
案外手厳しいな。
「このあと、コンビニに寄ってこう。ムッくんにもらったのと同じお菓子を買って、明日二人で今日と同じように食べれば解るはず!」
「わ、わかった…」
さつきちゃんがスパルタ教師に見えて、私は反論せず頷いた。
翌日、私はちゃんと席で敦くんを待っていた。いつ来ると解っている日は少なく、いつも彼は突然現れる。
つまり私は、とにかくそわそわしていた。
「伊緒ちーん」
敦くんは二時間目と三時間目の間の休み時間にやってきた。
「敦くん」
「今日はこれ食べよー」
早速彼は、お菓子の箱をブレザーのポケットから取り出す。昨日と同じポッキーだが、箱のカラーリングが少し違った。パッケージには『期間限定』と書かれている。
コンビニでどれにしようか迷っている敦くんを想像して少し笑ってしまった。
「どうしたの?」
彼は私の正面で机に肘をつく。
「なんでもないよ。それよりね、敦くん」
そんな彼の目の前に、申し訳ない気持ちも感じつつ私が買ってきた赤い箱のお菓子を差し出した。
「いつももらってばかりだから、今日は私が持ってきたの。これ食べよ」
「!」
敦くんの目がきらりと光る。
「昨日と、同じのだけど」
「いいの?」
「もちろん」
私は箱を潰さないように注意しながら、ぺりぺりと開封していく。
袋を開けて、彼にその口を向けた。
「……」
既視感。
これ昨日と同じ展開だ。
一瞬にして敦くんの顔から笑顔が消えた。
「食べないの?」
でも今日は、怒ったというよりもしょんぼりしているように見える。
「伊緒ちんってさー、いじわるだよね」
「え!?」
何故いきなりそうなる。頭がついていかなくて、私は遂にお菓子を箱ごと彼に差し出した。
すると「わざとやってる?」と重ね重ね呆れられる。
「普通さー、こうやってお菓子あげるよーってなったら、ほら」
敦くんはポッキーを一本摘んで、私の唇に押し当てた。
「ほあっ?」
「あーん」
あーんって。思いっきり歯にぐいぐい来てますが。私は圧されながらなんとかぽきぽきと食べていく。彼の手が離れて、短かったような、長かったようなチョコレートコーティングのスティックを食べ終えた。
「ご、ごちそうさまでした…?」
「うん」
敦くんはさっきまでの表情とは打って変わって、にこにこと頷く。
彼の為に買ってきたお菓子を自分で食べてしまっては意味がないと思ったのだが。
「敦くん…もしかしてこれがしたかったの?」
「そうだよ」
な、なるほど。
こういうのは、ともだちとの至って普通なコミュニケーションなのか。
それを知らなかったことがなんだか急に恥ずかしくなってくる。
気軽に誰かとお菓子をシェアしたことがなく、全く気付かなかった。その所為で、昨日今日と敦くんをがっかりさせた―――さつきちゃんが『自分で気付くべき』と言った意味が解った気がする。
ポッキーを差し出されたとき、彼との距離が縮まった気がしたのだ。
よりフランクな仲になれたようで。
「ごめんね、敦くん」
お詫びに、私からも一本…と敦くんに所謂『あーん』をしてあげようとした。
あ、これなんか緊張する。
手が震えてるかも。
彼からの期待の篭った視線に、紅潮していくのが解る。
そしてポッキーを摘んだとき、それは起きた。
ぽきぽきぽき。
袋から取り出す前に、何故かポッキーが3つ4つの細かいポッキーになってしまったのだ。ばらばら、と袋の中に戻っていくそれら。
「……」
私はことばを失う。
「あらら。ポッキーって三節棍だったんだー」
敦くんが目を丸くした。
「今のなし!えへ、ちょっと緊張して力んじゃった」
ごほん、と咳ばらいをして再び袋を探る。そっと、そっと把持するんだ。
「がんばれー」
「う、うん」
ぽきぽきぽき。
ばらら。
「……」
「……」
ぽきぽきぽき。
ばらら。
「……」
「……」
ぽきぽきぽき。
ばらら。
「…伊緒ちん、俺が食べさせてあげようか?」
「待って、あともう少しな気がするから!」
ぽきぽきぽき。
ばらら。
むきになってそんなことを繰り返し、いつの間にか無事なポッキーが残り一本となってしまった。
ただ敦くんにお菓子を食べさせてあげたいだけなのに、何故こんなにも試練が立ちはだかるのか。
細長い袋の口から、下部に溜まった無惨なポッキーの欠片がちらりと覗く。
敦くんに申し訳なくて、涙が出そうだ。
「ごめんね、敦くん」
「あともう一本あるじゃん。それでだめだったらこのちっさくなったの一緒に食べよ」
へにゃりと笑った敦くんは何処までも優しくて、尚のこと『お菓子あーん』を達成したくなる。
落ち着け私。
深呼吸をして肩の力を抜く。
そして最後のそれを、そっとそっと示指と拇指で摘み上げた。
ゆっくりと袋からチョコレートコーティング部分が現れて、私も敦くんも目を輝かせながら息を飲んだ。
漸く外気に触れさせることが出来たポッキー。
道程は長かった。
どきどきはピークながら慌てずゆっくりと彼の口元に近付けていく。
あと少し、というところで、
「あ、紫っちやっぱここにいたんスね!」
黄瀬くんが乱入してきた。
「……黄瀬ちん……」
敦くんの表情がまたしても一変する。ものすごく鬱陶しそうにしている。
勿論私も、彼との時間を邪魔されていい気はしない。
黄瀬くんは故意に私の恋路を妨げようとしているのでは、と疑心暗鬼になっても無理からぬ話だ。
しかし彼は全く気付いていないようで、「赤司っちがさっき探してたっスよ」とか言いながら爽やかに接近してくる。
「あ、いーもん食ってるっスね」
そして信じ難いことに。
「あ」
「ああっ」
手首をぐいと掴まれ、それはそれは流れるような動作で、摘んでいたポッキーを食べられてしまった。
こんなことがあろうか。
「ああああああっ!」
私は空になった自分の手を見つめ嘆く。
クラスの女子の叫びも聞こえた気がしたが、こちとらそれどころではない。
一方の本人はけろりとしている。
「え、なんスか。まさか今のラスイチだったんスか」
その逆だこのやろう。
不本意な形で、私のファースト『お菓子あーん』が奪われてしまったのだ。
黄瀬くんに。
(今まで、どんな苦労があったと思って…!)
私はぎりぎりと歯を咬み縛る。
「黄ー瀬ーちーんー?」
敦くんがゆらりと立ち上がった。
散々お預けを喰らった怒りは、私より大きかったらしく、彼をシメにかかる。
「なんスかなんスか、ちょっ、待っ、あぎゃああああああ!」
今回は助けてやらん。
そうして騒いでいる間に休み時間は終わってしまい、私は腹いせに袋ごと黄瀬くんの口に押し込んで追い返した。
敦くんも唇を尖らせて、教室を出ていく。
「黄瀬ちん絶対許さない」と言い残して。
次の休み時間にも、敦くんは私を尋ねてきた。
先程のリベンジと意気揚々だ。
私は、新たな一袋を開封する。
「伊緒ちん、早く早くー」
おかしいな、敦くんに犬の尻尾が見える。
ぱったぱったと振られる尻尾が。
身長二百センチを超えている彼が可愛く見えてしまった私は、床を転げ回りたくなる。
けれど、もうそろそろ本格的にお腹が空いくる頃。早くお菓子を食べさせてあげなければ。
先程とは違う意味合いで手を震わせながら、私はポッキーを摘む。
さっきの感覚を、思い出しながら。
「わー」
よし。順調だ。
そして、今度こそそれを敦くんの口元へ運んだ。
「ど、どうぞ…!」
「んー」
その笑顔たるや、なんと表現したものか。
ただのお菓子を、こんなにも幸せそうに食べるなんて。
その上、
「伊緒ちんに食べさせてもらうといつもより美味しー」
だなんて言ったりするから。
顔だけじゃない。
耳や首まで熱くなる。
見つめられているのがこそばゆくて、私は思わず手に力が入った。苦し紛れに次に摘んだポッキーが真っ二つに折れる。
構わず「敦くん!も、もう休み時間終わるよ!」と時計を指差した。
「えー」
当然一本では食べ足りない彼は、不服そうに立ち上がる。
「じゃあこれ最後に頂戴」
「へ?」
最後、と言って彼は私の手を甲から包むように掴んだ。
そしてそのまま口元へ。
「ちょ、と、あのー!」
唇が近付いてきて、意識したら一瞬にして頭に疚しい考えが過ぎった私は、慌ててお菓子から手を離した。
「ごちそーさまー」
対照的に、ぺろりと半分のポッキーを食べ終えた敦くんはふにゃふにゃ笑いながら自分のクラスに戻っていく。
手が、火傷したみたいにじんじんする。熱におかされて吐き出したもの私って、こんなに敦くんのことすきだったんだ。
それは、人知れず呟いた誤魔化しの利かない気持ち。[ 15/32 ][*prev] [next#]
backtop