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「なんでそうやって自分ばっかりが悪いみたいに言うんだよ伊緒ちんのばか」



解放


なにが起こっているのだろう、と敦くんの潤む目を凝視した。
敦くんが、また泣き出したのだ。
どうして。

どうして、私を叱りながら。

「敦くん、敦くんが泣くことないよ」
私はおろおろしながら、なんとか彼の高ぶった感情を鎮めようとした。
背中を摩ったり、腕をとんとんと叩いたり、頭を撫でたりしてみる。
しかし、敦くんは「違うし」と唇を尖らせて首を横に振った。
「そんなのおかしいじゃん。伊緒ちんは悪くない」
「…でも」
私がクラスメイトに怪我を負わせたのは消えない事実だ。

「俺は伊緒ちん怖がったりしない」

彼はぐっと身を乗り出しながら私の手首を掴んだ。
「敦くん…」
握られてはいるが、痛くはない。ただその掌は熱く、また自身の脈拍を感じる。熱が伝って、どくんどくんと血圧が上がっていくようだった。
「だから、変わんないで」
「でも、私、」
敦くんの瞳に、情けない顔をした私が映り込む。

「もうそいつらのことなんか忘れて、俺を見てよ」

彼は、顔をぐしゃぐしゃにしたまま私を抱き締めた。

「俺、そのままの伊緒ちんがいい」

風の音や人の声、周りの音がなにも聞こえなくなって、彼の心臓の音だけを感じる。
強い、強い力だった。

だいすきな敦くんの体温に包まれ、私の頭は更に混乱を窮めていく。
彼は、悩んでいるならと赤司くんに会わせてくれたくせに、変わらないでという。
人を傷付けてきた私を、悪くないという。
私自身の戒めとしてきた過去を、忘れてという。

みんなから怖がられている私のことを、怖くないという。

俄かには信じ難いことばの数々。
それはまるで、長年の呪縛を解くような丸く優しい響きで。
ぼろぼろな私の欠片を、一つずつ丁寧に拾い上げてくれるような温かさを持っていて。

(そんなことを言ってくれる人なんて、いないと思ってた…)

本当はずっと、寂しかった。
誰にも触れられないことを、虚しく思っていた。
「うっ、う、」
堰を切って涙が溢れる。
この前独りで泣いたときよりずっと、わんわんと遠慮なく声をあげた。
気付けば、私の手は敦くんの制服を握っている。彼も、私の背中に回した腕に更に力を込めた。
心も身体も解れていって、だんだん落ち着いていくのが解る。

(…ほんとはね)

もうよく思い出せないんだ、あの子たちの顔が。
敦くんに出会ってから。

「私、敦くんの傍にいたい」

私は、他の誰でもなく彼からの好意が欲しいと望み、初めて自分から手を伸ばした。

(だいすきだよ)



そして、敦くんは、何度も尋ねた。
「ほんとに?ほんとのほんとに?」
俺から離れていかない?と。
「は、恥ずかしいから!」
あと近い。
取り敢えず腕は解いてもらったが、顔が近い。肩をちょっと押して、距離を取ろうとするが、彼はびくともしない。
「えー」
唇を尖らせて一向に引く気配を見せないのだ。
「なんか、離れたくないし」

(くっ…かわいい…!)

こうしていられるのは単純にすごく嬉しい。
でも、離れてくれないと心臓がもたなくなってしまう。そもそも、想いをちゃんと伝えるのは目標を達成してからと決めている。
なんだかもうお互いの気持ちが見えているようだけど、まだ口にしてはいない。
敦くんが私の為に泣いたり怒ったりするのは何故なのか、まだ知らない。
でも、今はそれでいい。
それぞれ抱いている気持ちに、ことばが追いつくまで。

「伊緒ちーん?」
黙り込んでしまっていると、敦くんが私の顔をぐいと覗き込んできた。
「っ!」
私は思わず肩を跳ねさせて背骨が反射的に反る。
彼は無自覚、無意識でそういうことをするものだから困ってしまう。私がどれ程どきどきしているのか、知ってもらいたいものだ。
いつも素で、気取っていない。
飾り気がなくて、そのままで優しい。
そういうところがとても羨ましくもあり、敦くんのすきなところの一つであるのだが、私はいつも振り回されている気がする。
そんな彼が、私は変わらなくていいと言ってくれた。そのことばに嘘はないだろう。
けれど、私はやっぱり彼にオムライスを作ってあげたい。
「敦くん、一回勝負しようよ」
私は袖を捲って、腕を差し出した。
「えー」
また敦くんはむくれる。もういいじゃん、と眉根を寄せて明らかに嫌がった。
「よくないの」
赤司くんや他のスタメンのみんなも巻き込んだ以上、私は目標達成まで辿り着きたい。
「私を赤司くんに会わせてくれたのは敦くんだよ。最後まで応援して、ね」
「確かにそうだけどさー」
「おいしいオムライス作るから」
私は顔の前で両手をぱん、と合わせた。
「……伊緒ちんの、オムライス…」
彼の表情が少し崩れる。
「それは、食べたい…けど」
「けど?」
「やっぱり嫌なんだよねー。伊緒ちんと赤ちんが仲良さそうにしてるの。峰ちんたちとも手握るしさ」
敦くんが、私の合わせた両手をその上から包むように握った。
「伊緒ちんが、俺だけのだったらいいのに」
この手も、と彼は呟く。
その表情には赤みが差していて、それが解った瞬間、私は血液が沸騰したかと思ってしまうくらいに全身が熱くなった。
彼にも、赤くなることはあるのだと解ってしまった。
否応なしに、抑えられない恋愛感情を意識してしまう。
「私は、さつきちゃんや赤司くんも大事だし、感謝してる。だけど…敦くんは、他の誰ともまた違うよ…」
だって、敦くんは私の一番だから。
さつきちゃんともっと親しくなりたいのも、赤司くんに尊敬に近い感情を抱いているのも、本当だ。他のみんなも、仲良くできたらと思う。
けれど、手を握ってドキドキするのは、彼以外ありえない。
例え沢山のことばや想いをもらっても、それが敦くんからでなければこんなにも胸に熱は広がらない。
罰当たりなほど贅沢だが、もう私はそんな風になってしまったのだ。
「伊緒ちん、ずるい…」
彼が手に力を込め、俯いて顔を伏せる。

「オムライス作るのも、俺だけにしてね」

「勿論」
なんとか気持ちは伝わったらしく、お許しを得られたようだった。


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