22


「待って!」
私は走って彼を追い掛けた。
途中で始業のチャイムが聞こえたけど、そんなもの関係ない。
ただ、無我夢中だった。



代わりに


バタン、と重たい鉄の扉を開けると強い風が私の身体を打った。

「敦くん!」

広い屋上で、彼は背中を丸めて座り込んでいた。
駆け寄ると、私も傍に膝をつく。
「ごめんね、腕が痛むの!?」
腕で隠されている顔を、目一杯覗き込みながら尋ねた。
すると顔をゆっくり上げて、敦くんが口を開く。

「……は?」

短い一音だった。
「あ、あの、私が敦くんの腕を掴んだりしたから…痛かった、よね」
痣になったりしてない?と腕の様子を窺うと、敦くんはまた顔を伏せてしまう。
はあ、と深い溜め息が聞こえて、
「そうじゃねーし」
と呟いた。

「……怒鳴って、ごめん」
彼は、顔を伏せたまま突然私に謝る。
「え?」
「俺、伊緒ちんのこと守りたかったのに…俺が、伊緒ちん怖がらせて、ごめん」
敦くんの肩が震えていて、私は彼が激しく感情を揺らしているのだと思った。

彼は、いつもそうだった。私を心配して、庇ってくれて―――代わりに、怒ってくれる。

「ありがとう、敦くん。敦くんは、優しいんだね」

ちょっと不器用かもしれないけれど、私の気持ちを大切にしてくれて、態度やことばの全てにそれを感じ取ることが出来る。
「大きい声に、ちょっとびっくりしただけ」
敦くんを恐れるなど、有り得ない。
急に蹲った姿が愛おしく思えてきて、風に煽られてぼさぼさになってしまった彼の髪をゆっくりと梳くように撫でた。

「俺、我慢出来なかった。伊緒ちんがなんで悪く言われるのか、解らなくて」

彼が少しだけ首を横に動かして、私を見る。
諦めきった私の代わりに、敦くんはみんなの心ないことばに傷付いてしまった。
それはとてもとても、申し訳なくて、なのに嬉しくて。

「私の為に、悲しんでくれたんだね」

どうしたら、伝わるだろう。
敦くんがいてくれるから、もう平気なんだと。
ただ強がって耐えていた以前とは違う。
彼と出会って肩の力を抜いて、笑っていられる。
そして彼の存在に支えられ、強くもなれた気がするのだ。

私を認めてくれた彼に、私は初めて恋をした。
ことばで説明などし得ない。
私は私の感覚全てで、彼をすきになった。

私は敦くんの隣に、彼と同じように膝を抱えて、ぴったりとくっつき座り込む。

「ありがとう」

これしか、ことばが出てこなかった。そうして屋上で寄り添ったまま、私と敦くんは一時間授業をさぼることにした。
彼は、赤ちんに知れたらかなり怒られるかもと身を震わせる。
「そんなに?」
「うん」
私も背筋が凍った。

それでも結局そのままでいるしかなくて、お互い少し黙ったあと、あのさ、と敦くんが切り出した。
「ん?」
「伊緒ちんは、どうして怒らないの」
「…うーん」
「あんな風に言われてばっかりで、どうして言い返さないの」
敦くんの表情から、釈然としない気持ちがありありと感じ取れる。
『言い返せよ』と私に言ったくらいだ、事勿れ主義を掲げたことに対して彼が納得していないのは解っていた。
「勿論、嫌だよ」
彼の気持ちも嬉しい。
でも、私には自分のことで憤ったり泣いたりする資格がないのだ。


幼かった頃は、人より速く走ることが出来、人より重いものを持つことが出来ることを、少なからず自慢に思っていた。
しかし、小学校に上がると、自分の力が周りより遥かに強く、またそれが自分でコントロール出来ないことを自覚し始めた。
ふと持ったものを知らない間に壊してしまっている、ということが多くなった。
自分のものは勿論、人のものも。
友達のものを「かわいいね」と触れようものなら壊し、今と同じように学校のものも沢山壊した。
自分でも訳が解らなかった。
けれど周りからの評価はクラッシャーで定着していく。
純粋で残酷な子供社会では、明らかな爪弾きに遭った。

「伊緒ちゃんはすぐものを壊すから」
「伊緒ちゃんは触らないで」
「伊緒ちゃんはこっち来ないで」
「伊緒ちゃんとは遊ばない」

どうすることも出来ず、とにかく人との接触を避けた。子供心ながらに、私は人と接してはいけないのだと悟ったのだった。
そんな中で、小学二年生のときのある日、女の子が学校の階段の踊り場で男の子に髪を引っ張られいじめられているのを目撃した。
二人とも、同じクラスの子だった。
今思えばその男の子は女の子のことがすきだったのだろう。しかし私は彼女が泣いて嫌がっていることだけが目につき、間に入ってしまった。
安い正義感だった。
浅はかなことをした。
『やめなよ』、そう二人を引き剥がした結果―――私は階段から彼を落としてしまった。女の子の方は尻餅をついて大泣きし、人が次々集まる中で、私はただ立ち尽くすしかなかった。
「本当に、殺しちゃったと思ったんだよ」
幸い彼の命に別条はなく、診断は額の切り傷と右腕の骨折。
しかし額は縫合を要し、利き手が折れた彼は長期間に渡り不自由な生活を強いられた。
「校内を歩けば指を指されて、クラスでも居心地は悪かった。私は人を傷付ける存在だったの。だから我が儘を言って、中学は帝光に来た。紛れ込める程沢山人がいるここに」
誰も私を庇ったりはしない。
二人の同級生の家を訪ね只管謝り続ける両親の姿も、私を責めた。
だから、私は私の為に怒ってはいけない。私は私の為に泣いてはいけない。
私は人を傷付ける立場の人間だから、間違っても傷付いたなどと思ってはいけない。
感情は、上手く自分の内面に向けて飲み込むのだ。
そういう術を私は身につけた。
「泣きそうになると、いつも二人の顔を思い出すようにして…そしたら涙なんか出ない」
絶対自分のことでは自分を泣かせたりしないように、泣きたいのは彼等の方なのだと、自分自身に思い出させる。
何度も、何度も思い出させる。
最近は、あまりそうでもないが。
「ごめんね、こんな話しちゃって」
本当は、赤司くんと引き合わせてくれた敦くんには、言い表せないほど感謝している。
赤司くんだけじゃない。
さつきちゃんや、黒子くんたちもだ。
変わるきっかけをくれたのは、敦くんだった。
あの日は、本当に長らく流していなかった感情が溢れた。
私自身のルールを破ってしまった日だった。
あのとき敦くんが私の前に現れなければ、私は二度と笑えなくなっていたかもしれない。
中身のない強がりにしがみついて、殻に閉じ篭ったままだったかもしれない。

「私、きっと変わるから。待ってて」

自分の足を見つめていた視線を、敦くんに移す。
「っ、敦くん…!?」
私はぎょっとした。

「伊緒ちん、変わらなくていいよ」

敦くんが、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣いていた。


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