「お疲れ様でした!」
今日もハードな練習が終わり、主将たち先輩に挨拶をして体育館を後にした。


君にしか治せない


相変わらず真ちゃんは横暴だし宮地さんは怖いし、疲労感に溜め息が出る。しかしそんな中でも俺が毎日頑張れるのは、心のオアシスがあるからだ。
例えば、帰宅に使う労力すら残量が危うい状態でも、わざわざ会いに行きたくなるような女の子の存在とか。

先程、校舎の端に未だに灯っている電灯に偶然気が付いた。単なる消し忘れかとも思ったが、あの階のそこは彼女の所属する手芸部の部室。
もしかして、と淡い期待を抱いて昇降口へと足を向けた。そして今、彼女に会えますようにと祈りながら階段を上っている。
こんな時間まで残ってたんだねと声をかけ、送っていくよと申し出る、そんな完璧なプランを立てながら。



「ええ!あのうさぎあげちゃったの!?」
里中先輩は、悲鳴じみた声を上げて目を見開いた。
「はい」
私が静かに頷くと、更にがくりと肩を落とす。
「残念!欲しかったのに」
“あのうさぎ”とは、先日の文化祭で私が手芸部から展示作品として出展したビーズマスコットのことだ。因みに先輩は布で小さな花束を制作した。
「す、すみません。欲しいと言ってくれた人がいて」
かく言う彼女も展示直後、余りの出来の良さに譲渡の約束が入ってしまい落胆した人も少なくない。勿論私もその内の一人である。
そんな気持ちが解る分申し訳なく思い、自然と眉尻が下がる。すると里中先輩の表情は一変した。
「男?」
にやり、と唇が上向きに弧を描く。
「え、それは、あの」
あまりの勘の良さにぎくりとしながら、なんとかことばを探した。しかし、結局吃ってはいともいいえとも言えずに終わる。
「あーあー図星か」
勿論それは肯定と受け取られ、先輩が大袈裟に肩を竦めた。
「なにも言ってませんけど」
勿論、脳裏には彼の笑顔。
はっきりと映像が刻まれ、忘れることが出来ない。あんなに嬉しそうに、真剣に、「ありがとう」と言われたことがとても印象深かったのだ。嬉しいのは、こちらだと言いたくなるくらいに。
そんな感慨に浸っていると、机の上に置いていた私のファイルから彼女は一枚の紙を勢いよく抜き出した。
「この設計図を見て見ぬ振りなぞ出来らいでか!」
眼前にそれを突き付けられ、身体が跳ねる。
今度作ろうと手順を書き起こしたビーズマスコットの設計図の内の一枚。
「あっ、そ、それは!」
何故里中先輩がそれを知っている。
自宅でこっそり取り掛かる予定であったのに。
「私と同じくらい不真面目な部員だった癖に、急にせっせとかわいいもんばっか作り始めたら誰だって怪しむっつの」
その通りだが、酷い言われようだ。しかしそれにしたって先輩は鋭過ぎる。脚を組み替えて「吐け」と目で語った。


「ぼんやりしてると思ってたけど、ついに美原ちゃんにも春がきたかー」
腕を組んで、里中先輩はわざとらしく何回も大きく頷いてみせる。
「先輩、声大きいです!」
「誰もいないしいいじゃない」
ドアの方を見遣りながら先輩が目を細めた。自他共に認める地獄耳な彼女がそう言うのなら、間違いないだろう。渋々頷いて私は白状した。
クラスメイトの彼、高尾くんに作品を譲渡したことを。
「確かに気にはなってます。でも、すきなのかと訊かれるとまだはっきり“はい”とは答えられません」
一生懸命作った作品を大事にしてくれてるから嬉しいだけなのか、彼だから「欲しい」と言われたことが嬉しいのか。
「あのときは本当に、彼にあげたいと思ったんです」
それだけははっきりしている。けれど、それは本当に感謝の気持ちからだったのだろうか。私は、下心をも渡してしまったのではなかろうか。
里中先輩の見解を待つが、みるみる内に面白くなさそうな顔色になっていく。
「どっちでもいいわそんなもん。向こうが喜んでるんだから」
誰にも言えなかった悩みを吐露したにも関わらず、けっと詰まらなさそうに一蹴された。
「で、でも」
不安が止まらず食い下がると、先輩は大袈裟に溜め息を吐く。
「甘酸っぱすぎて聞いてられん」
そして、広げていた材料や道具をばさばさと乱暴に鞄に放り込むと立ち上がる。
「えっ」
ここは親身に話を聞いてくれるところではないのか。拍子抜けして彼女を見上げた。
「私はもう帰るから、あとよろしく」
里中先輩はそう気分屋な性格ではないと思っていたのだが、さすがに鬱陶しかったらしい。省みて頭を下げる。
「すみません、お疲れ様です」
私はもう少し切りのいいところまで作業を進めるつもりでいた為、先輩から鍵を受け取った。
「まあ精々頑張んな」
スクールバッグを肩に掛けた彼女は、こちらを一瞬だけ振り返り手を振る。静かにドアを閉めて出ていき、私は一人になった。



「で、あんたが件の“タカオクン”な訳だ。宮地の後輩だっけ」
部室から出てくるなりじっとりと俺と目を合わせてきた強そうな先輩は、ドアを閉めると出し抜けに問ってきた。
「いつから気付いてたんです」
堂々と核心を突くその高圧的な物言いに、俺は端から降参する。
「ばれたくないなら足音くらい消さんせ」
つまり最初からか。
半目で見上げられ、益々竦み上がった。
俺が初めから聞いているのを知っていて、美原に尋問していたらしい。
「…うっす」
曖昧に頷くと、更に圧してくる。
「美原ちゃんの作品をぽっと出の男に取られたんだから、楽しくないなあ」
誰にも取られなくてよかった。本当によかった。
「俺もすみませんとは言えないっすね」
なんとか言い返せば、先輩の笑みがなんとも恐ろしい陰りを帯びる。
「はっ。かわいい後輩にいい加減なことしたらぶっ殺ですわよ」
そりゃこっちだって同じだ。
「同感っすね」
俺は決して中途半端な気持ちで美原に近付きたい訳ではないし、そんな輩がいたら成敗してくれるわ。
「美原ちゃんがあんたのことめちゃくちゃ意識してるみたいだし、ここは引いてやるけど」
あんたの為じゃないからそこは弁えなさいよ、と先輩の瞳孔が開く。
「部室変なことに使ったら宮地にチクるから」
先輩はくいと親指でドアを差す。
「恐縮でっす」
釘もしっかり具合に刺され、内心冷や汗をかきながら俺はドアをノックした。
あれ、まずなんて声をかけようとしてたんだっけ。



設計図と手元の工程を交互に見ながら、息を吐いて一度背を伸ばす。あと十分程度で終わるだろう。
確かに、元々私は真面目に活動している部員ではなかった。けれど、たまたま文化祭だし頑張ってみるかと思ってあのうさぎのマスコットは作った。それが高尾くんの手に渡ったことで“作り甲斐”というものを実感し、今こうして創作意欲が湧いてきている。以前より部活が楽しいと思えるし、複雑な作りのものを完成させられたときには誇らしい気持ちになる。
それは、彼にもらったものだ。
(高尾くんのバスケットボールには、及ばないけれど)
いいものが作れたら、いつかまた彼の目に留まるかもしれない。
(今日は、あともう少し)
再び手を動かそうとしたとき、コンコンと扉がノックされた。
「里中先輩?忘れ物ですか」
普段はノックなんてせずに堂々と入ってくるのに、と苦笑しつつ答える。

「ごめん、先輩じゃないんだ」

摘んでいたビーズが指から落ちてテーブルにかつんと転がった。
マスコットを渡して以降、挨拶を交わしたり少し声をかけられたりするくらいの間柄になってはいた。けれど親密にお喋りするでもない。お互いに、なんとなく遠慮していた。
距離の縮め方を、考え倦ねているような。「高尾くん」

彼との、距離を。

「どうしてここに」
少なくとも私はそうだった。ずっと、あのときのことは夢かもしれないと疑ってすらいた。
高尾くんとここで過ごしたこと、手を繋いで踊ったこと。
フラッシュバックする、あの日。
至近距離で見つめた目や、聞いた声。
誰にも内緒で作った、文化祭の想い出。

私の、下心の正体。

「体育館から出たらさ、まだここの電気が点いてるの見えたから」
美原がいるのかと思って来ちゃったんだよと首の後ろを掻いて笑った。
それは、ぎこちなく少し固い笑い方で。だから、焦ったのかもしれない。
「そ、そうなの」
それきりことばを継げなくて、俯いてしまった。
「美原は、まだ終わんねえの?」
歩み寄ってくる彼に、血圧が上がっていく。
「あと、もう少し…」
尋ねられて、答えるときも下を向いたまま。
「そっか」
軽い調子の相槌と、がたんと椅子の引かれる音。ふいに顔を上げれば隣には腰を下ろした高尾くん。
「待ってても、いい?」
机に乗せた腕に頭を預けた彼が、私を見上げている。
(息が、苦しい)
呼吸を、やめてしまいそうだ。
どうして、どうして。そればかりが思考を埋め尽くした。
「まだ時間、かかるけど」
「うん。どれだけでも」
美原の納得するところまでいくらでも続けててよ、と高尾くんは私の手元を見つめる。
(見られてると、やり辛いんだけどな)
私の手の動きを追うその目は、あまりにも爛々と輝いていた。
もしかして、見たいのかな。あのうさぎも、こうして出来たのだと。
なら、作業を進めなければ。
「俺が、送ってくからさ」
「え」
ビーズの容器に手を伸ばそうとした手が止まった。
「そんなこと、してもらう訳には」
作りかけのマスコットを置き、慌てて片付けにかかろうとする。しかし、その動作を止めるようにそっと彼の手が被せられた。
「俺が、一緒に帰りたいんだよ」
「あ、あの、あの、高尾くん」
目がぐるぐると回り、なにが起きているのか解らないどころか高尾くんを直視出来ない。
「だけど、美原が作ってるところも見たいし」
ねえ、なんで今日なの。
「なあ、今度はなに作んの」
里中先輩に打ち明けた直後なだけに、自分の気持ちと直面させられる。
「こっ、今度、は…」
彼の手から離れるタイミングとばかりに、先程里中先輩に見られた図面をファイルごと鞄から引っ張り出して今度は自ら高尾くんに向けた。
「これ!」
それを凝視して数秒、彼が目を見開いて固まる。
「こ、これって…」
高尾くんの顔がほんのり赤みを帯びて見えた。
「?」
どの図面を見せたのだろうとファイルを確認してみる。

「ああっ」

声を上げても後の祭り。
先輩に暴かれた、極秘であったはずの設計図。それを手ずから、最も見られたくない人物に明かしてしまった。
今更机に伏せても、手遅れだろう。
「今の…」
「なし!忘れて!」
「と、言われても」
彼が手の甲で口元を覆う。

「バスケットボールだよな、それ、」

「……」
私は無言で頷いた。
そう、新しいこの設計図はバスケットボールとオレンジ色の小鳥を作り、ケースに収める―――描いてから気付いた、彼へのイメージによる作品のものだ。勿論、自己満足で自室に飾りたくて作るつもりだった。
疚しいことがなければ、高尾くんに隠す必要などない。今なにも言えないのは、秘めておきたかった気持ちがあるからだ。

「私、おかしいんだと思う。気付いたら何度も高尾くんとのこと思い出してる」


あのね、高尾くん、と口籠もる彼女は、なにを伝えようとしてくれているのだろうか。酸素の足りない魚のようにぱくぱくと口を動かしてはいるものの、次のことばをはなかなか出てこない。図面を机に押し付けている手に、再び自分のそれを重ねた。
(捕まえた)
丁寧に美原の話の続きを待とうとしたが、もう我慢ならない。

「なあ美原、俺今かなりどきどきしてんだけど」

文化祭の夜も、こうしていた。
あのときの美原の体温を昨日のことのように覚えている。
これが、“すき”ということ。
彼女にもそう思われたい。
彼女にもそう言われたい。
(だって)
俺のことを思い出してんだろ?
あんな話を立ち聞きしてしまっては、もう歯止めなんか利かない。
何度も何度も美原の瞳に映って、刻み付けて、沢山のことばを渡して、そうしたらその分だけ俺のことを考えてくれる?

俺なんか、頭の中が美原のことでいっぱいで。


もうずっと前からおかしいのに




[ 19/21 ]

[*prev] [next#]
[back]
[しおりを挟む]



「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -