芸術の秋に託けた学校行事文化祭といえば、殆どの生徒が浮足立って盛り上がるもの。
そんな喧騒を、私は離れた場所で聞いていた。



そして私は頷いた


幸い熱はまだないが、咳は止まらない。
マスクの下でごほごほと咳き込んだ。
年に一度のイベントを休みたくなかった為に少々無理をして登校したが、全く楽しくない。
(あんなに張り切ってみんなで準備したのに…)
こんな風邪を引いてしまうなんて。
模擬店でカフェをやっている手前、衛生管理上私は教室にいられなかった。
忙しそうながら楽しそうに動き回っている友人たちが羨ましくて、自分の失態を心底怨む。
行き場のない私は、文化部の展示を行っている講堂に流れ着いた。
(あの盛況振りじゃあ、申し合わせ通りの休憩はないな)
親しい友人と校内を回ることは出来ないかもしれない。文化祭は一人ぼっち決定か。
溜め息を吐きながら、書道や絵画、生け花などの作品を眺める。写真部は広くスペースをとっていて、かなり熱が入っているようだ。
しかし飲食系やバザー、お化け屋敷などのお店に比べれば、圧倒的に展示会場は人が集まらない。この講堂はメイン会場から離れているから、尚のこと。
私は見ていて落ち着くし楽しいと思えるが、文化部にしたって文化祭だからといっても気合いの入り具合はまちまちだ。
模擬店を出す料理部や製菓部、売上を目論む被服部は別格だが。
手先の器用さを活かせるような部活に取り敢えずと思って入った私は、どちらかというと真面目には活動をしていない。
私の作品もこの中に紛れているがほんの隅の方だ。
(それより、クラスのカフェがなぁ…)
エプロンなどの揃いの衣装も、せかせかと作っていただけに残念でならない。
未練がましい思いに憑り付かれながら、静かな講堂内を一通り見て回り外に出た。

(ちょっと、だるいかも)
少し歩いただけで、疲労を感じる。
教室を出てきて正解だったかも知れない。
更に人気のない場所へふらふらと歩を進め、適当に階段へ腰を下ろす。ここは影になっていて通る風邪も涼しい。
「帰っちゃおうかなあ」
重くなり始めた頭を抱えた。

「美原帰んの!?」

そこへ背後から現れたのは、同じクラスの。
「高尾くん」
頬や額に汗をうっすらと浮かべ、少し息が上がっている。しかも、カフェのユニホームを着けたまま。そういえば、彼のエプロンを縫ったのは私だったっけ。
「やっと見つけたのに!」
そしてずい、とミネラルウォーターを差し出された。
「ん?」
首を傾げながら受け取ると、
「これ、飲んで」
続いて握り込まれた手を向けられる。その下に掌を持っていけば、渡されたのは二錠の錠剤。
「体調悪いんだろ?市販薬だけど、風邪薬だから」
「い、いいの?」
よくこんな気の利いたものを持ってたな、とまじまじとそれを見つめる。

「美原に渡しに来たんだよ」

高尾くんは穏やかに笑って、私の頭をぽんぽんと撫でた。
「ありがとう」
ぱき、とペットボトルのキャップを開けて水と一緒に薬を飲み込む。
胃に流れ落ちる冷水が気持ちいい。
高尾くんはよっこらせ、と隣に座った。
「美原を捜しててさ、講堂も回ったんだ」
「ごめん、入れ違いかな」
「あー、そうだったのか」
頭を掻いて苦笑する彼が、なんだか可愛く見える。しかし元来はシャープな顔の作りをしている訳で、
(似合ってるな、黒エプロン)
我ながらいい出来だ。
「それ、張り切って作ってよかった」
思わず口元が緩む。
「え?」
「そのエプロン。高尾くんの」
「あ、ああ!美原が作ってくれたんだよな。ありがとな!」
今度は歯を見せてぱあっと笑った彼。眩しい。
「…どう致しまして」
なんて目映い笑顔なのだろう。
(笑顔って一つじゃないんだ)
先程から、高尾くんは色んな笑い方をする。柔軟な表情筋に感動すら覚えた。
「クラスのカフェ、どう?」
いいなあ、と口には出さず、手中のミネラルウォーターへ目線を落とし私は尋ねた。
「結構客は多いけど、上手くいってるよ」
「ならよかった。高尾くんはいいの?今休憩?」
「んー、まあ、そんなとこ」
そうか。多少の余裕はあるのか。
それなら、本当に帰っちゃおうかな。
はあ、とだるさから漏れる息も熱くなってきた。
「美原、本当に帰る?」
心配そうに高尾くんが私の顔を覗き込む。ちょっとごめん、と額に手を触れた。
「熱い、かもな」
「うーん」
これは熱が上がってくるのだろうか。
彼の声がぼうっとして聞こえる。
「帰るんなら、送るぜ」「うーん」
そうしたいのは山々だ。但し身体が動けば、である。確実に風邪は悪化してきていた。
(衣装作りで徹夜も続いてたし)
立ち上がる気力が湧かない。

「ごめん、高尾くん」

ちょっとこのまま休ませて、と凭れ掛かった。
(あ、薬のせいで眠たいのかな…)
瞼が下りてきて、私はそれに抗わない。
彼も交代の時間になれば起こしてくれるだろうし、本当に少しでいいのだ。
私は眠りに落ちた。



澱みなく目を覚ますと、そこは元いた場所ではなかった。身体がやけに楽だと思ったら、座位ではなかった。
そして薄暗い。
「えっ」
どういうことだ。
慌てて上半身を起こせば、

「気分はどう?」

すぐ傍から聞こえたのは、眠りに落ちる前に肩を借りたクラスメイトの声。
「たっ、高尾くん!」
腰を捻って振り向く。
「よく寝てたぜ。ちょっとは良くなってる?」
「いや…あの…うん」
この位置関係と、さっきまでの状態は。
「高尾くん。もしかして、私」
さあっと血の気が引いていく。

「ああ、膝枕?気にしなくていいぜ」

男の脚だもんな、寝心地悪かっただろ、じゃないよ高尾くん!
問題はそこではない。他のところにどっさりある。
(最悪だ!色々と!)
私は半泣きになりながら、長椅子の端で膝を抱えた。一体どれだけの迷惑をかけたのだろう。頭がぐるぐるする。
「…ここ、もしかしてうちの部室?」
室内はあまり見えないが、この皮張りの椅子はよく知っている。私が部活で座っているものだ。
「正解。あのまま外にはいられねえし、ここが丁度よかったんだ。全然人来ねえのな」
「そうだね…」
如何せん人数の少ない部活な為に、宛がわれているのは端のぼろ教室。勿論この長椅子を始め机などの備品も年季入りだ。
「私、ずっと寝てたの」
「おう。起こせる訳ないっしょ、よく寝てたんだから」
「ごめん、こんなとこまで運んで…もらって…」
言いながら語尾が小さくなっていく。又しても私は頭を抱えた。

運んでもらったのか、こんなところまで。

「ああああなんとお詫びを申し上げたらよいのやら…!」
「だから気にしなくていいって。#櫻本#軽かったし」
顔は見えなかったが、声で笑っているのが解った。
「取り敢えず帰らねえ?クラスの奴らが教室に戻ってくる前に荷物取りに行こうぜ」
なんで、そんなに楽しそうなの。
「一応訊くけど、私お昼前にはもう寝てたよね」
そして今のこの暗さ。
つきっきりだった高尾くん。
もう嫌な予感しかしない。
「当番とか、回りたいお店とかあったんじゃない」
「いや美原といたし」
「起こしてくれると思ってた」
「んなまさか」
当然そうに即答するけれど、何故彼はここまで甲斐甲斐しい。
「その辺に転がしておいてくれてもよかったんだよ」
特に親しい訳でもないクラスメイトのことなど、一日中面倒を見る筋合いはない。ましてや、今日は文化祭初日であるというのに。
「冗談はそこまでな?」
「んんっ」
納得出来ずに反論すると、示指で頬を突かれた。
「まあ、どうしてもって言うなら。なんかお礼してもらおっかな」
黙ってしまった私を尻目に、更にそんなことを言い出す。
「どんな」
「そうだな。美原が手芸部で展示に出してたあれ」
「ビーズマスコット?」
「そう。ペアになってるうさぎ。超可愛いじゃん」
曰く、私を捜して入れ違いになった講堂で見かけて気に入ったのだと言う。片方でいいから頂戴!と手を合わされてしまった。文化祭が終われば返却となるし、別に譲渡で差し支えることはない。
「そんなに気に入ってくれたんなら、ペアごとあげるよ」
寧ろ、その程度で今日のお礼になるのであれば安いくらいだ。
「いいの?やった!もう先約あったらどうしようかと思った!約束な!」
「うん」
突然の大きな声に驚きつつ、私ははっきり了承を示す。すると、「美原の鞄も一緒に取ってくるから」とスキップでもしそうな勢いで走って彼は部室を出ていった。それ程までにあのうさぎが欲しかったのだろうかと、暫し呆気に取られる。


やがて手持ち無沙汰になって椅子に座り直すと、突然校庭に大音量で音楽が流れ始めた。
そろ、と窓に近付いて外の様子を伺う。
(フォークダンスだ)
秀徳では、文化祭一日目の夕刻は校庭でのフォークダンスが恒例となっている。それぞれの衣装やユニホームを身につけたまま踊るのだ。
(そういえば、高尾くんもエプロンまだ着けてた…これ参加したかったのかな)
罪悪感に項垂れる。彼はみんなで騒ぐのも好きそうだから、そうに違いない。冷たいガラスにこつんと額をぶつけた。
明日はもう休んじゃおう。
まだ、文化祭は来年も再来年もあるのだから。


「お待たせ、美原。これ終わらねえ内にこっそり―――って美原?」
戻ってきた高尾くんが、歩み寄ってくる。
「なに、泣いてんの」
少し焦った声色で彼は私の肩に手を置いた。
「泣いてないよ。私はいいから、今からでも参加してきたら」
私は彼を見上げて校庭を指差す。
「なんで」
しかし高尾くんはきょとんと首を傾げた。
「参加する為にそれ着てるんでしょ」
「これ?違えよ」
校庭からの明かりで、整った顔立ちがぼんやり浮かび上がる。しかし、暗さに慣れた目には十分すぎる程にはっきりと見えた。
「美原に作ってもらったのが嬉しくて着てただけ!」

その笑顔が。

「はい?」
なに、その新しい服を買ってもらって早速着てしまう小さい子どものような理由は。
「諦めてたんだけどな。こんな機会逃がせねえわ」
そっと手を掴まれて、引かれる。
「?」

「俺と踊ってよ」

気付けば、私はその手に応じていた。すっかり暗くなった室内で、時折彼の目がきらりと光る。
ゆらりゆらりと拙いステップを踏んでいると、不思議な気分だった。心臓から末端まで熱が運ばれていき、私はそれを指先で高尾くんに伝えているのだ。

照れ臭そうに細められたその目が、

(高尾くんって、本当に色んな顔をするんだな)

私を見つめていたから。



曲が終わってもそのまま向かい合って黙り、手は離すタイミングを失っていた。
私は、今更どきどきしている。
校庭かなんでら人が掃けていく。
もう、クラスメイトとの鉢合わせは避けられないだろう。
困ったように肩を竦めて、彼は私に耳元で囁いた。

「今日のことは」




内緒だよ

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