6(完)



俺は迷わず閉鎖書架へ走った。
どうしてあすかちゃんが泣いてるんだ。
俺には怒ってないけど、俺と鈴木が二人で話してるのは嫌だった―――それは誰に向けた感情なんだ。
教えてくれ、面倒がらずに。



めんどくさがりすとの結論


「あすかちゃん!」
幸い施錠はされていなかったドアを開けて、一番奥の棚へと歩を進める。

「高尾くん」

隅にパイプ椅子を寄せて、彼女は座っていた。

「ってまたかよ!泣いてねえじゃん!」

俺を見上げたあすかちゃんはいつもと変わらない表情で、目に涙などなく。
またしても踊らされた!と頭を抱えて嘆くと、「もう大丈夫」と彼女は立ち上がった。
「は?」
何処へ行くのかと思えば、少し離れたところに置いてあった椅子を持ってくる。
自身が座っていたものと同じそれを隣に並べると、「どうぞ」と勧められた。
「…ん」
古びてはいるが埃を被ってはいない椅子に腰掛け、まさかと思いながら訊ねてみる。
「あすかちゃん、泣いてたの?」
「ちょっとだけ」
この暗さでは、涙の跡は見えない。でも、あすかちゃんが嘘を吐くとも思えない。
「お、俺の所為?」
鈴木とどんな話をしたにしろ、考えられる原因に自分を含めてしまう。
「ううん。私が勝手に、嫌だったの」
「…どういうことか、教えてくれる?」
否定を聞いて、安心はした。
だけど、それ以上に彼女の心に踏み込む権利が欲しい。
「まだ、考えてる」
不思議な行動の多いあすかちゃんが必死に働かせる思考の先を、俺に明かしてほしい。
ただ願った。
「そっか」
俺は、彼女の自然発生的なことばを待つのだ。


数分後、「一つだけ解ったことがある」とあすかちゃんは切り出した。
「うん?」
跳ねそうな心臓を抑えつつ聞き返す。

「多分、最初から高尾くんがすきだった」

手元に視線を落としたまま、静かに彼女は言った。
「え!?」
椅子から落ちそうになって、咄嗟に壁に手をつく。
「今日の睡眠時間三時間だった」みたいなノリだったけど、今の告白だよな?
落ち着こうとしていた残り僅かの余裕が吹き飛び、顔が熱くなっていくのが解った。
「高尾くんに触ってみたくて、声が聞きたくて、ずっと見ていたくて」
「う、うん」
構わず饒舌になっていく彼女に、戸惑いを隠せない。
これはかなり熱い告白ではなかろうか。
しかし、次の一言で打ち砕かれた。

「でも、付き合いたいとかそんなのじゃなくて、寧ろ私のことはなんとも思ってほしくなかった」

「……」
そんなこと考えながら、結果的にやはり俺は弄ばれていたのか。とんだ魔性だな。
「高尾くんのことは知りたいけど、私のことは隠しておきたくて」
相反する欲求が、あすかちゃんの中にはあった。俺だったら、すきな人のことが知りたいのは勿論、自分のことも知ってもらいたいと思うのだが。
「うーん…?」

私が中学生の頃の話だけど、とあすかちゃんは続ける。
「少しの間だけ、付き合ったっぽい人がいたの」
「あすかちゃんの元彼!?」
「多分」
「“多分”?どういう意味?」
「何度もすきとか付き合ってとか言われて…断るのが面倒で」
「オーケーしちゃったんだ」
折れて首を縦に振るあすかちゃんの姿が容易に想像できた。
「だけどやっぱり彼には関心が持てなくて、所謂恋人らしいことは、全然しなかった」
まあ、そうなるよな。
そんで、勿論揉めるよな。
「すきだから付き合ってるんじゃないのかって聞かれて、別にすきじゃないって答えたの」
「あちゃー」
男も大概だけど、あすかちゃんも相当不器用らしい。
「偶然それを聞いてたともみちゃんに怒られて、別れたの」
「鈴木?」
何故そこで突然鈴木が出てくるんだ?
「ともみちゃんは、彼のことがすきだったみたい。いい加減な気持ちで付き合うから余計面倒なことになるんだ、って」
確かに、正論だ。でも、あの鈴木があすかちゃんを怒鳴るなんて余程のことではないか。
「友達になる前だったから」
「そのあと友達になったってこと?」
「そう。付き合うことになった経緯を知って、謝られたこともあったなあ」
「へえ…」
前々から思ってたけど、二人の関係性もなかなかに独特だ。
「そういうこともあって、誰かと付き合うのも、好意を向けたり向けられたりするのはやめようと思った」
つまり、トラウマになっていたんだ。これまでの鈴木の言動に合点がいく。
「そうだったんだ」
俺も、その元彼と同じようなことをしようとしていたんだな。今までの自身の言動を振り返ると、思い当たる節がありすぎる。まだ巻き返せるだろうか、手にじんわりと汗をかいた。
「だけど、やっぱり、うん」
あすかちゃんは一人脳内で話を完結させてしまったらしく、何度か頷く仕種を見せる。
だけど、なんなんだ。
やっぱり、なんなんだ。
それをまだ明かしてはもらえないのだろうかと落ち込んだのはたった一瞬だった。
彼女はいつだって、俺の思考や予想を易々と打ち破る。

「高尾くんがすきなのは、抑えられないみたい」

「……え?」
淡々と紡ぎ出されたその言葉を、今更ライクとは受け取れまい。だって彼女は、話の冒頭で既にそう言っていたのだ。
しかし「付き合いたいとは思っていない」とも断言していたはず。
「高尾くんとともみちゃんが仲良くしてるの、嫌だったの」
それを、あすかちゃんは長い葛藤の末に翻そうというのか。

「二人が付き合っているのかと思って、悲しかったの」

「それってもしかして…嫉妬?」
こくんと一度だけ頷いた彼女。
その結論に至るまでこんなにも時間を費やして、精一杯のことばでそれを伝えてくれている。

(愛しいな)

面倒くさがりで、不器用で、純粋で、繊細で、平気で人を振り回して平和そうにしているあすかちゃん。
それなら、こんな俺と想い合えると思いませんか。
「ねえ、あすかちゃん」
君のことを、だいすきな俺と。

「俺もあすかちゃんのことすきだけど」

そこから、どうしたい?

意地悪な問いかもしれないと、解ってはいた。
だけど、あすかちゃんからのことばが欲しいのだから、仕方がない。
付き合いたいって、言って。
「…つ、」
そんな俺の思惑も知らず、彼女はもじもじしながら口を開く。
「つ?」
「つ…」
焦れったさも、今はじわじわと俺の心を満たす材料でしかない。
しかも、あのあすかちゃんが僅かながら頬を赤く染めている。
俺にまで移りそうだ。

「旋毛を触らせて下さい」

古典的な脱力感の表現で申し訳ないが、今度こそ本当に椅子から滑り落ちた。
(そういえば、前にそんなこと言ってたな…)
これは、予測出来なかった俺の負けか。

「高尾くん」

「…なに」
期待が大きかった分、あとから来る羞恥もその倍だ。尻餅をついたまま、目を反す。
「そういう転け方するとこも素敵」
あすかちゃんも椅子から立ち上がると、俺に目線を合わせてしゃがみ込んできた。口元にはいつになく楽しそうな笑み。
「そう…」
最早それ以外ことばも出ない。

「ずっと見てたいの。私と付き合って下さい」

「あ、え?」
わざとやってるんじゃないか。格好悪いところばっか晒してるタイミングで。
この子は、一体俺の何処をすきになったというのだろう。
ともあれ、返事は勿論決まっている。

「こちらこそ…よろしくでっす」

俺にこんな間抜けな返事をさせて、それで満足そうにするあすかちゃんには絶対敵わないのだろう。
これが惚れた弱みか。
彼女の前では一切格好をつけさせてもらえない気がした。

(まあいいか)

そんな風にすきでいてくれるなら。




末永く、幸せに想い合えると思いませんか。


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