「早く、教室戻ろう」
そういって私の手を掴んでぐいぐい引っ張るあすかは、普段のあすかではなかった。



めんどくさがりすとの涙


焦っているし、苛ついてもいる。
大抵のことは気にしろと言われても受け流す彼女が、余裕のなさを表情にありありと浮かべていた。
「あすか?どうしたの」
ずんずんと足速に行こうとするあすかを、私は立ち止まって引き留める。
静止した背中から顔を覗き込んで、私はことばを失って息を呑んだ。
「あすか……?」
相変わらずの無表情、しかしその両目からは一筋の涙が流れている。
「どうして泣いてるの」

「え…?」

本人も気付いていなかったらしく、あすかは僅かに目を見開いて目元に手をやった。
「どうして…」
俄に慌てて拭うが、止まらない。
私は彼女と向き合い、ハンカチをそっと頬に当てた。

この涙は、もう誤魔化しきれないあすかの想い。溢れ出した、高尾和成への想い。

もう、蓋をしないでほしい。
正直になってほしい。
自分の気持ちを、受け止めてほしい。
「あすか」
「ん…?」
なんて癪なんだろう。
なんて切ないんだろう。
私は、あすかの平穏を願って止まないのだ。

「すきなんだね、高尾のこと」



私があすかと初めて話したのは、中学三年の春だった。
進級する少し前から知ってはいたが、出会いは最悪だった。私はあの頃、あすかが嫌いで、兎に角目の仇にしていたのだ。
当時から、あすかは今と同じような振る舞いをしていた。なににも囚われない自由人で、はっきりいえば変わり者だった。

そんな彼女にも、二年生の終わり頃から付き合っている男子がいた。運動部に所属する活躍目覚ましいレギュラーで、性格は明るく見た目も良い、男女問わず人気のある男子だった。
そんな王子様な彼と、釣り合う筈もないあすか。なんと告白したのは彼の方で、異色カップルとしてそこそこ校内では有名だった。
誰がどれだけリサーチしても、彼の方はあすかの独特な緩さに惚れたとしか言わなかったらしい。なんだそれ。

私はあるとき、二人の喧嘩を目撃してしまった。
否、彼氏の方が一方的に声を荒げていた為、喧嘩といえるのかは解らないが。
悪趣味だと思いながら、私はそのやりとりを物陰に隠れて立ち聞きをしてしまった。なんでも、あすかが余りにも素っ気なく、付き合っているといえるのかとか、もう三年だというのに部活の試合の応援にも来てくれないだとか、彼女の消極性に不満があるようだった。
彼女はたった一言、そんな些細な要求も
「面倒だから」
で片付けた。
「俺のことすきじゃねえのかよ!すきだから付き合ってるんじゃねえのかよ!」
私は心から彼に同情していた。
女子の憧れである彼に好かれていながら、あすかの態度はあんまりだった。
極めつけが、
「別にすきでも嫌いでもない」
との返事。
怒りが頂点に達した彼は「なんだよそれ!」と吐き捨てて足音荒く去っていった。
その直後、私はあすかに掴み掛かった。
「なんなのあんた!なんですきでもないのに付き合ったりするの!」
「鈴木、さん?」
脳天気な声が更に私の感情を逆撫でた。

「私の方が、彼のことすきなのに!!」

私もまた、彼に憧れる女子の一人だったのだ。悔しかった。納得がいかなかった。
なんでこんな子が、彼と。
なんでこんな子を、彼が。

「断るのが、面倒だったから」

その一言を聞いた瞬間、私はあすかの頬を引っ叩いてしまった。
今思えば、とんでもない逆恨みだ。
自分から彼に近付いたこともない癖に、嫉みだけは一人前だった。

「そんないい加減な気持ちで付き合うから余計面倒なことになるんでしょうが!!」

そのときはそんなことを考える余裕などある筈もなく、感情に任せて怒鳴り付けた。
襟首を掴み上げられたあすかの頬はみるみる腫れ上がっていき、いつも眠たげな目ははっきりと開かれていた。

「あんたなんか大っ嫌い!」

我ながら子供かと笑ってしまいそうな雑言が口から飛び出す。目一杯の憎しみを込めて睨みつけ、乱暴に襟から手を離すとあすかは後ろによろけた。

「そんなに面倒面倒言いたいならまともに人付き合いの一つでもしてみなさいよ!」

肩で息をしながら、私はあすかの反応を待った。
あすかは襟元を整えると、私を真っ直ぐ見据えて口を開いた。

「わかった」

たった一言。
「は……?」
それだけを残して、彼女はゆっくりと去っていったのだった。

その翌日、あすかと彼が別れたという噂が朝から真しやかに校内を駆け巡った。
なんでも、教室内で堂々とあすかから「別れて下さい」と切り出したのだという。しかも、深々と頭を下げて。
彼も半ば自棄にそれを了承し、泥沼の修羅場にはならなかったらしい。だが、そんなことを人目を気にせずやってのけたものだから、目撃者は多数に及び結局彼は不憫な姿を晒した。
やはり配慮が足りない、と再びあすかに文句を言ってやろうと思い、私は彼女を捜した。

「美原!あんたねえ!」
自販機前のベンチにゆったり座りパックの苺オレを啜っている姿を見つけるなり、ずかずかと歩み寄った。
「鈴木さん」
私の姿を捉えると、あすかも立ち上がった。徐にポケットに手を突っ込み、そのまま自販機の前に立った。
「?」
勢いを削がれた私は、彼女の一挙手一投足を目で追う。
自販機に硬貨を入れて、ボタンを押して、ごとんとパックが落ちてきて―――、
「はい」
世界が認めたと銘打たれたココアが、差し出された。

「ちゃんと別れたから、友達になって下さい」

開いた口が塞がらないとはこのことだと思った。
「はあ!?」
なんであんたと。
「言ったでしょ、私はあんたが嫌いなの。大体引っ叩かれた相手にそんなこと申し込むなんておかしいんじゃないの」
こちらに向けられた瞳とココアから目を逸らす。
思えば、この時点で私の負けだったのかも知れない。
「いい加減な気持ちでは、付き合わないから」
眠そうな目でこっちを見て。
「鈴木さんのこと、いいなと思ったの」
恥ずかしげもなくそんなことを言って。

「望むところだ畜生!」

なんでかは解らない。
彼がすきだったはずなのに、あすかなんか嫌いだったはずなのに、考えることも怒っていることも馬鹿らしくなってしまった。
どうしようもなく、彼女の纏う空気を愛おしく思ってしまった。
気付けば私はあすかに抱き着いていた。



あすかをすきになることに理由なんてない。
ただ、「いいな」と感じてしまう。
だから、高尾の気持ちはよく解る。
そして、傍にいればあすかが高尾をすきなんだということも解る。
互いに、他とは違う感情を抱いた者同士なのだから。
高尾とどうこうなったって、あすかと私の関係は変わらないし、態度も変わるとは思えない。
なら、私はあすかを応援するだけ。
より、幸せな方に。
あすかに平穏が戻るように。


「ねえあすか、逃げるのはやめよう」
「……」
あすかは、高尾がすき。
高尾も、あすかがすき。
この事実があって、どうして以前のようなことが起こりうるだろうか。
黙って首を横に振る彼女は、面倒がっている訳でもなんでもない。臆しているのだ。
私のあのときのことばが、今になってこんな形であすかを縛り付けるとは思ってもみなかった。
彼女が無闇に人を、高尾を傷付けるとは思えない。
(だって、あのときの彼は…)
唇を固く結んだ彼女の肩を掴んだ。

「本当に高尾のことすきなんでしょ!あすかからすきになったんでしょ!」

「…これが、“すき”なの?」
か細い声が、俯いたまま紡がれる。
「そうだよ」
私は頷く。
「ずっと見ていたいのも、でも見られるのは嫌なのも、触りたいのも、でも近付かれるのは嫌なのも」
饒舌になったあすかに驚きながら、
「そうだよ」
私はまた頷く。
「もっと……高尾くんのことを知りたいと思うのも」
恐らく、あすかが初めて抱いたであろうそんな感情を、私は一つ一つ肯定していく。
「そうだよ」

「でも、なにを話せばいいのかわからないの」

涙に震える声から、彼女の戸惑いを感じ取った。
「一言でいいんだよ」
すき、の一言で。
「私、高尾くんに酷いこと言った」
「謝ればいいんだよ」

今ならまだ間に合うから。



少し静かに考えたい、というあすかを残し、私は先に教室に戻った。
すると、緑間に「おい、鈴木」と呼ばれた。彼とは特に話したこともなかった為、珍しがって寄っていくと、彼の机に突っ伏す高尾の姿があった。
「なにこれ」
指を差して緑間に尋ねる。
「高尾なのだよ」
「それは見れば解る」
どういう状況だ。
「鬱陶しいのだよ」
「それも見れば解る」
これを見せる為に私を呼んだのか。
「どうにかしてほしいのだよ」
「なんでだよ」
なんで私なのだよ。
「お前は美原の友人なのだろう」
「高尾は友人じゃないんだけどね」
肩を竦めて見せると、緑間は一層暗い顔をする。私に縋られても困る。
「単刀直入に訊く。高尾は美原を怒らせたのか?」
「あー…」
これくらいなら教えてやってもいいかなあ。しかしただ教えるのも面白くない。ちょっと脅かしてやろう。

「怒ってないよ。泣いてただけ」

どれだけ話そうとしても泣いてばかりだから、そっとしとこうと思って置いてきた。
あっけらかんと言ってやると、
「は!?」
石のように動かなかった高尾が一瞬で顔を上げた。緑間も少なからず驚いているようで、目を見開いている。

「どういうことだよ!」

「さあ。私と高尾が二人で話してるのが嫌だったんじゃない」
これ以上はもう言わない。
そろそろ高尾には本気で男を上げてもらわねば、堪忍袋の緒が切れそうだ。

やれやれと息を吐きながら、その情けない背中を見送った。


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