「やっと見つけた」

思わず頬が緩んだ。あすかちゃんはなにも言わない。
「……」
俺も無言で、彼女の隣に立った。
近くに寄っただけで、どきどきする。これが恋じゃなかったらなんだっていうんだ。
ああ、なにから話そう。



めんどくさがりすとの拒絶


「……鈴木は?」

まず口から出てきたのは、安全確認だった。
あすかちゃんは、こちらを見ないまま「今はいない」と答える。
「ともみちゃん捜しに来たの」
今度は彼女から問われる。
「違うよ」
丁寧に、答えなければ。あすかちゃんにきっと真意は伝わらない。

「あすかちゃんを、捜してたんだ」

「……そう」
いつにも増して口数の少ない彼女から、僅かでもいい、なにかことばが欲しかった。「此処は?」
言いたいことはいくらでもあったはずなのに、俺は咄嗟に核心を避ける。
「閉鎖書架。司書さんに言わないと入れない」
「げ」
こんな風に時間を潰している訳には、いかないのに。
無言が続いて、やはりあすかちゃんは話さない。ただずっと、ずらりと並んだ本の背表紙を眺めている。
薄暗い中でも一切表情を崩さない横顔のラインがやけに美しくて、俺はごくりと生唾を飲んだ。灰色の目は、堅い拒絶を宿している。
「あすかちゃん」
そのままでいいから、聞いていてほしい。

「俺、この前からあすかちゃんのことがずっと気になってる。最初は、正直よく解らねえ子だと思ってたんだけど」

すきだ。

「今は俺自身のことが解らねえんだ」

たった一瞬のことで、すきになってしまったんだ。

「だから、あすかちゃんのことが知りたい」

頼むから、無視したり避けたりしないでほしい。
俺は拳を握り締めて絞り出した。
(今はまだ、望まないから)

「ちょっとずつ、あすかちゃんのこと教えてよ」

(踏み込んだり、しないから)

「そんで、ちょっとずつ仲良くなろうよ」
この距離でいいから、離れて行かないで。
俺は、あすかちゃんの返事を待った。
欲を言えば、俺に関心を持ってほしいけど。
今は、肯定の一言だけでいい。小さく頷いてくれるだけでいい。
彼女は、ゆっくりと口を開く。
「それだけ?」
確認するように、念を押すように、それはぽつりと紡がれた。
え、と思わず聞き返す。

「絶対に、それ以外のことってない?」

(“それ以外のこと”?)
疑問に思いながら、必死だった俺は大きく頷いた。

「ないよ」



「馬鹿なのだよ」

折角助言してやったのに、とでも言いたげに真ちゃんは俺を見下ろした。
「え」
なんとか首の皮一枚繋がった俺からすれば何処に問題があるのか解らず、ボールを弄る手を止める。
「告白しに行ったと思っていたのだがな」
いや、したよ。
今の限界のぎりぎりのとこまでだけど。

「見損なったのだよ。お前がそこまで愚鈍だとは思わなかったのだよ」
鋭い視線を緩めないまま、真ちゃんは俺を罵る。
「んだとコラァ」
さすがにカチンときた俺は睨み返すが、
「あ?」
真ちゃんの方が圧倒的に怖かった。

「すいませんどういうことか説明して下さい」


それはそれは深く長い溜め息のあと。
真ちゃんは今度は憐憫の目で「いいか?」と前置きをして話し始めた。

「お前が軽弾みに取り付けた“仲良くなる以外のこと”をしないという制約は、“それ以上”も“それ以下”も許されないということだ」

つまり、俺はあすかちゃんに恋愛感情ですきだと告白することも、付き合って下さいと男女交際を求めることも出来ないという。

「え、え…ええぇぇえぇえ!?」

第三者にそこまで咬み砕いて説明されて、俺はあすかちゃんのことばの意味を漸く理解した。
真ちゃんは苦々しい顔で眼鏡を押し上げる。
「何故告白しに行ったはずがそんな呪縛をかけられて戻ってくるのだよ。それなら一思いに砕けた方がよかっただろう」
美原も一体なにを考えているのか、と真ちゃんが首を捻った。

「嘘だろ…」

友達としては接することは出来る。
でも異性としての好意は徹底的に拒否する。
そんなんやっぱり、

(俺のこと嫌いなんじゃん…)

なんで振ってくれなかったんだ。
望みがあるからじゃないのか。
「けど、さ!これから前みたいに仲良くしてったらあすかちゃんの気持ちだって変わるかもしんねえだろ!?」
こんなこと、真ちゃんに食ってかかっても仕方がないけど。
「そこまでは知らん」
案の定、肯定は得られなかった。



翌朝、朝練を終えて教室に入るとまずあすかちゃんの姿を探した。
彼女は既に席に着いていて、机を挟んで鈴木が立っていた。
「おはよ」
「……おはよう」
出来るだけ自然に、馴れ馴れしくならないように、あまり目を合わせないように。
普通の挨拶をして、俺も椅子に座った。
長期戦なら、これくらいでいい。ゆっくりやっていけばいい。
たまに話をして、委員会にも出席させて、慣れてきた頃にジュースを奢ってみたりして。
それでいいんだ。
彼女に、俺の気持ちを解ってほしい。だけど、押し付けたりはしたくない。だから待つんだ。受け入れてもらえるまで。


「おーい美原、真面目に授業を受けるようになったんじゃなかったのか。問二な」
すっかり元に戻ったあすかちゃんは、一時間目の世界史の授業で早速先生に目をつけられた。
「高尾くんと同じ答えです」
「そうか。じゃあ高尾」
先生まで元通り。
「……アケメネス朝ペルシアです」
渋々答えれば、俺も以前と同じ高尾和成だ。


「なんなのアレ」
こんなところまで同じじゃなくてよかった。
昼休み、俺は怒りを隠そうとしない鈴木とまた踊り場で対峙していた。
「なんだよアレって」
「惚けんな。気持ち悪いんだよ」
本当は、鈴木がなにに怒っているのか、どうして怒っているのか、解っている。
「うるせえな。これでいいんだよ」
「あんたがいいかどうかは聞いてない。あすかがよくないの」
鈴木は、ぴしゃりと言い放った。ただ一方的にあすかちゃんを盲信してるという訳ではなさそうだ。
「…どういうことだよ」
前々から感じていた。彼女のことを、本当に理解している風に話す。
「断言してやる。あんたがそういうつもりなら、事態は絶対に動かない」
鋭く研ぎ澄まされたことばが、俺を刺した。
「……」
「あんたはあすかに告白することも出来ない、振られることも出来ない、そう思ってるでしょ」

でも、違う。
あすかが、あんたを受け入れることも拒むことも出来ないの。

つまらないものを見るように、鈴木は目を細める。
「あんたがその程度ならね」
「そ、その程度ってなあ、鈴木」
「比喩でもなんでもねーよ。んな及び腰ならもう一切あすかと関わるな」
命令だ、と鈴木は言い切った。
俺の中でなにかがプツンと音をたてた。

「黙って聞いてりゃなあ!お前がいつからあすかちゃんと友達かは知んねえけど!俺はこっからなんだよ!」

邪魔するな!と声を荒げたとき、

「ともみちゃん、と…高尾くん」

上階から渦中の本人が現れた。
(まずい…!)
ここだけ見たら、女子、しかもあすかちゃんの友達を一方的に怒鳴りつけているとしか思えない。
「あすかちゃん、これには深い訳が」
慌てて弁明しながら鈴木と距離を空けるが、表情一つ変えず彼女はとんとんと階段を下りて来る。

「うん。聞きたくない」

「……え?」
一瞬耳を疑った。目も合わせず、抑揚もなく、そう言ったあすかちゃんは俺の傍を通り抜ける。
「ともみちゃん、お昼。早く食べよう」
鈴木の手を引っ張って、さっき下ったばかりの階段を再び上っていった。
擦れ違い様の鈴木の驚いた顔がやけに鮮明に瞼に残り、彼女ですら予期していなかったことが起きたのだとはっきりと理解する。

俺は、あすかちゃんの逆鱗に触れたのだ。



「終わった…」

俺は真ちゃんの前の席の椅子を借りて、向かい合わせに座った。
真ちゃんは「鬱陶しいのだよ」と心底嫌がったが、今の俺は梃子でも動かない。
否、風が吹けば灰になって散ってしまいそうだ。
「嫌われた…決定だ…」
耳にはっきりと残った『聞きたくない』の一言。
「自分の友達を怒鳴り付けた男なんか、すきにならねえよなあ」
腕に顔を埋めて呟くが、
「……」
「真ちゃんシカトはやめて今本当やめて」真ちゃんはなにも言わない。聞こえていないはずがないのに。
「だからお前は駄目なのだよ」
漸く口を開いたかと思えば、容赦はない。いつものことだかいつもより冷たく感じた。
「そういうのやめよう!今は!本当に!」
咀嚼したおかずを嚥下した真ちゃんは、相変わらず眉間に皴を寄せている。
「これが罵らずにいられるか。どうしてそう短絡的なのだよ」
「…短絡的って」
「鈴木が『その程度』と言ったのも尤もなのだよ」
全く俺の味方をする気のない相棒は、剰え鈴木の肩を持つ。
「だからなにが『その程度』なんだよ。言っとくけど俺あすかちゃんのことすげえすきだかんな!?」
あすかちゃんへの好意が誰からも軽んじられるのが、俺は釈然としない。
「その癖些細なことで何度も落ち込んでいるのは誰だ」
食欲の減退している俺を余所に、真ちゃんはペースを落とすことなく弁当を食べ進め、ぱちんと箸を仕舞った。
「すきだから一喜一憂すんだろ」

「大層な口を叩くな。お前は怖じ気付いているだけなのだよ」

もう、俺は身動き一つ取れなくなっている。
そう気付いても、今更だった。


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