そうだ、予防接種に行こう


「私、昨日インフルエンザの予防接種受けてきたんだー」
全ての始まりは、部活開始前のそんな他愛ない青峰くんとの会話からだった。


「予防接種?」
青峰くんから一応反応があったので、表情も見ず手元のバインダーに視線を落としたまま続けた。
「注射は苦手なんだけどねー。小3のとき罹患してさ、それ以来毎年欠かさず行ってるの」
「ふーん」
「青峰くんもちゃんと行ってる?」
顔を上げて尋ねると、ボールをいじりながらはっ、と青峰くんは鼻で笑った。
「必要ねーよ、インフルエンザどころか風邪も引かねー」
「馬鹿だから?」
間髪入れず問い返すと、
「んだとコラ。お前とは鍛え方が違ぇんだよ」
頭を掴まれてギリギリとシメられる。いだだだだだだ。ごめん、ごめんってば。謝って解放してもらう。
「でも、予防は大事だよ」
赤ペンで記録に印を付け終えたタイミングで、
「そうだな。みはなの言う通りだ、大輝」
「赤司くん」
背後から我らがキャプテン様が現れた。右手を差し出されて、理解した私はバインダーを手渡す。
「そもそもインフルエンザの予防接種は罹患しないために打つのではない。罹患したとき重症化させないために打つものだ」
彼はありがとう、と小さな笑みをくれた。そして私から受け取ったそれを隅々までチェックしながら言った。
「だよね!ね、赤司くん、冬の大会も近付いて来たし、特にレギュラーメンバーでまだ接種してない選手がいたらまとめて受けに行こうよ」
「そうだな。行こうか。」
「まじかよ、面倒くせぇ…」
「なんだ大輝、怖いのか?」
「は!? んんんな訳、ねねねぇだろ」
私は赤司くんと顔を見合わせた。
「じゃあ明日は少し早いめに切り上げることにしよう」
イエス、サー。
その後、赤司くんの指示で私は学校の近くの内科に問い合わせて予約を入れ、結局スタメンと黒子くんが接種を受けることになった。
「えっ?私も?」
「付き添いで来てもらいたい」
引率は赤司くんだけで十分なんじゃないのかなぁ、と思ったけど彼の指示、もとい命令に逆らうつもりはないので頷いた。

翌日、部活を終えて私は第一体育館の前で彼らを待った。5分も経たない内に彼らの話し声が近付いて来る。
「ほんとに行くんスか〜?俺苦手なんスよ注射とか…!」
「馬鹿め。この歳になって情けないことを言うな」
「緑間の言う通りだぜ黄瀬ェ、お前とんでもねぇヘタレだな」
「だめなものはだめなんス!黒子っちは怖くないんスか?」
「それは好きではないですよ。でも黄瀬くん程ではありません」
「ヒドッ」
「黄瀬ちんお子様だねぇ」
「往生際が悪いぞ涼太。みはなを待たせているんだ。早く行くぞ」
いつも賑やかな一行である。本当、楽しそうでなによりです。
「大丈夫、そんなに待ってないよ」
緩む頬をなんとか抑え(ようとし)つつ、みんなを迎えた。
「みはな、すまないな。部活後も付き合わせて」
「ううん。私に出来ることならなんでもするから」
「助かる。…行くぞ」
うーん、やはり赤司くんの微笑みは後光が見えるようだ。有り難く頂きました。

それにしても、背の高い男の子に囲まれて歩く私は、宛ら囚われた宇宙人か珍獣ペットといったところか。
「(中学生に見えん…)」
私からすればみんなもなかなかの珍獣だと思うのだが。
大型犬にガングロクロスケ、へんな置物持ってるテーピング眼鏡、只管まいう棒を食す巨神兵、美しすぎる魔王様…黒子くんは空気清浄機だけど多分大体の人には見えてないだろう。
まぁ曲は強い面々だがなんだかんだ私は彼らがすきだし、だからマネージャー業も頑張れるのだ。
なんて思いながら赤司くんのあとをついていっていると、後ろから黄瀬くんが青峰くんに話し掛けているのが聞こえてきた。
「赤司っちって、絶対櫻っちに甘いっスよね」
「あん?」
「だって話し方とか!声のトーンとか!表情とか!」
「あー…まぁ、かもしんねーな」
いやいやいや。
「そんなことないよ」
振り返って話に割り込む。
「わっ、聞こえてたんスか」
「そりゃあね。でも黄瀬くん。赤司くんはみんなにも自分にも等しく厳しいよ。当然私にもね」
「え〜?そうっスか?」
「私だって前は怒られっぱなしだったんだから。仕事全然出来なくて、ダメマネージャーだったの。恥ずかしながら過去は黒子くんがよく知ってるかもね」
「そうなんスか!?」
「はい」
黒子くんがにゅっと私の隣に並んだ。
「おわっ、黒子っち!」
黄瀬くんが肩を跳ねさせる。
「なにかあるとすぐ『またお前かみはな!』って飛んできては…ですよね」
「うんうん。あー恥ずかしい埋まりたい」
両手で顔を覆って隠した。
「そんなに!?」
「つーかテツとみはなって俺より付き合い長いよな」
「そうだね。私も黒子くんのことなら多分青峰くんたちのことより知ってると思う」赤司くんのことは、いつまで経ってもわかんないしなーと思いながら、前歩く赤司くんと緑間くんの背中を見つめた。
「で?なんで櫻ちんは赤ちんに怒られなくなったの〜?」
「あばば、紫くん重たい」
後ろから紫くんこと紫原くんがのしかかってきた。お菓子の粉落とさないでね。今日は鯖味噌味のまいう棒か。
「それは僕も気になります。みはなちゃんは僕よりあとから一軍に来ましたけど、既に敏腕マネージャーになってましたから」
そう。私と黒子くんの歴史には少し空白がある。敏腕マネージャーだなんて、恐れ多いけれど。
「うーん?なんでだかは私もよくはわからないな…そもそも一軍に昇格出来たのも不思議だし。赤司くんに訊く方が早いんじゃない?」
答えていると、紫くんが次のまいう棒の開封にかかり漸くその重圧から解放された。
「それが訊けたら苦労しないっス!」
「うーん…」
私は再び首を捻る。
「そうだなぁ…私がしたことと言えば…」
「言えば?」
「怒られないように頑張った、かな」
抽象的だが、本当にそれのみだ。私の精一杯の答えに釈然としないらしい黄瀬くんや青峰くんたちは、はぁ?と間抜けな声を上げた。
私はとにかく選手や、練習の様子をとにかく見るようにした。只管観察して、自分で考えて仕事をするようにした。怒られるのが怖かったというのも嘘ではないが、なんとか役に立ちたいと思ったのだ。真剣に頑張るみんなの為に、赤司くんの為に。
「僕は、なんとなくわかる気がします」
「黒子くん…」
にこりと微笑みを向けられてジーンとした。黒子くんってデリカシーもあるし、優しいし、一見フェミニストな黄瀬くんより余程紳士な気がする。
「あーあー二人の世界に入らないでほしいっス」
黄瀬くんが突然私の肩に腕を回してきた。全く、彼のスキンシップは唐突に欧米風だ。
「おい、着いたぞ。院内では静かにするように」
「はーい」

中待合では、黄瀬くんの緊張が極限に達していた。
「あああ赤司っちぃぃぃ本当に受けなきゃだめっスかぁぁあ」
「今更何を言っている」
彼がガタガタ震えている間に、遂に名前が呼ばれた。
「ひぃっ!」
黄瀬くんの肩が大袈裟に跳ねると、
「さっさと行ってこい」
赤司くんが雑に背中を押した。
「大丈夫だよ黄瀬くん。頑張って」
私も腕の辺りをぽんぽんと叩いてあげると、赤司くんが、
「君も行くんだ、みはな」
「は、い?」
「涼太が暴れないように見ていてやってくれ。その為の付き添いだ」
まじか。

「うー…そこにいて下さいよ、櫻っちぃ〜」
「いるいる。ほら、袖抑えててあげるから。ドクターお願いします」
なんという滑稽の図。ドクターは目を丸くしていた。

しかし、実際に終わってみると大人しいものだった。事前の過度な緊張でやや疲れている様子は見せたものの、
「結構平気だったっス!」
とケロッとしていた。
「黄瀬くんドMだもんね」
「違うっス!」

診察室に固定となった私は、次の患者黒子くんを迎えた。
「黒子くんは黄瀬くんほど苦手じゃないのよね」
彼の捲った袖を、黄瀬くんにしたように持ってやる。
「はい。ですが…」
「?」
「そこにいて下さいね」
ズキュ――――ン。
黒子くんが、遠慮がちに私のブレザーの裾を握った。はにかみながら少し目線を反らし、その頬はほんの僅かに赤みが差している。
いるいる!いるよ!帰れと言われてもいるよ!私でいいならいくらでも!
少し痛がって表情を歪めたけど、黒子くんも非常に優秀だった。
なんというエンジェルタイム。
危うくハグをしてしまうところだった。溢れそうな鼻血を抑えながら彼を見送る。

次に診察室に入ってきたのは緑間くんだった。なんだ、彼ならなんの問題もないだろう。
「緑間くんなら大丈夫だよね」
「……」
「緑間くん?」
「っ、あああ当たり前なのだよ!」
「……」
うん?この冷や汗の量は、もしかしてもしかすると…
「だーいじょうぶだよ緑間くん!すぐ終わるから」
「なんなのだよその顔は…!別に怖がってなどいないのだよ!」
「うんうん私もそんなこと思っていないのだよ。ドクターお願いしまーす」
結局緑間くんも袖をめくってあげて、左腕をドクターに差し出した。後ろから寄り添っている体勢をとったので、空いている右腕を彼の右肩に回して宥めるようにさすってやる。やはり座っても大きいな…と思っていると、
「な!なにをする!」とこちらに首を捻って声をあげた緑間くんに睨まれた。なにって、そんな真っ赤になって言われても。
「大丈夫だよ、誰にも言わないから」
注射を怖がってることより、それがバレて真っ赤になってて可愛かったことの方が言い触らしてやりたいくらいだ。と思ったことは内緒だ。
「そういうことではなくてだな…!」
「はい、終わりましたよ」
「あ、ありがとうございましたー」
まだ何か言おうとした緑間くんをドクターが遮ったので、そのまま彼に退室してもらった。
話はあとで聞くのだよ。

そしてお次は紫くんだった。中待合に入る前にお菓子を没収されており、不機嫌さが表情からありありと読み取れる。
終わったら食べていいから!
「紫くん、お腹空いたよね。帰りにコンビニ寄って帰ろ」
「うん。やったー。じゃー先生、早くやって」
彼は本当に怖がっていないようだ。袖を捲ってじっとしている。
「紫くんはえらいねぇ」
余りの手のかからなさからほっとした私は彼の頭を撫でた。わー髪さらさら。
「ちょっと、櫻ちん、って」
「はい終わりましたよ」
紫くんがなにかを言おうとして、またしてもドクターが遮る。立ち上がった彼は、唇を尖らせて私を見下ろした。
「?」
私はどうやら、ただでさえテンションの下がっていた紫くんの機嫌を損ねてしまったらしい。
「…狡いし」
そう呟くと、背を向けて診察室を出て行った。これはあれだ、まいう棒と共に謝罪で許してもらおう。

「(あと二人か…)」
看護師さんからの奇異の目にもすっかり慣れたアンカー前は青峰くんだった。
私は疑っている、というかほぼ確信していた。
彼は、注射を怖がっている。
散々黄瀬くんを馬鹿にしておいて、実は彼も今日の予防接種をかなり嫌がる素振りを見せていた。私が気付いたということは、当然赤司くんも気付いていることだろう。
現に今彼の目は泳ぎに泳いでいる。さて、どうやっていじってあげようかな。この前の仕返しだ。
私の邪心を知らない青峰くんは唇を真横に固く結んで一言も発さない。うんうん、普段はガラの悪い青峰くんもこうしてみればかわいいものだ。
「青峰くんやーい。はい腕出して、右?左?」
「どっ…どっちでも変わんねーよ!」
そうだね。恐さは変わらないね。
「じゃあドクター、左でお願いします」
私はばっと彼の制服の袖を捲った。その瞬間、表情が更に強張り、一切腕やドクターの方を見ようとしない。両の手はがっちり握り込まれていて、
「緊張しすぎだよ青峰くん。腕の力抜いて」
トントンと肩を叩いてやる。すると、
「うっせーよ!べべべつに緊張なんてなぁっ、」
急にこちらに向けて顔を上げ、キレてきた。
「青峰くんうるさい」
診察室ではお静かに。これ以上時間がかかるのもドクターや看護師さんに申し訳ないし、青峰くんいじりはこのあとだ。私は彼の頭を抱え込むように腕を回してお腹の当たりで抱きしめた。
「ぶふっ」
「はいちょっとチクッとしますよ」
ドクターの声掛けで、更に腕に力を込める。この体勢では彼の抵抗などものともしない。今私は、恐らく初めて彼より優位に立ったであろう。うむ、いい気分である。
そうこうしている間に、はい終わり、ドクターがそう言って針を皮膚から抜き、看護師さんがガーゼを当ててくれた。
「お疲れ青峰くん」
息苦しそうな彼を解放してやると、勢いよく立ち上がって私を一睨み。
「な、なによ」
注射怖がってた癖に。全然怖くなんてないんだからね。

あとは我等が主将赤司征十郎様だ。
まあ彼に付き添いなど不要であろう。私が診察室から出て行こうとドアノブに手をかけようとしたら、それより先に回され、向こうから開けられた。
「あ、赤司くん」
私もう出てるね。そう言うと、手を掴まれた。
「なにを言っている。オレがまだだろう」
「はい?えっと…」
そこにいろ、と元いた位置に戻された。
「……」
えっと。手、握ったままなんですが?
「……」
いや、なにも言うまい。まさか、赤司くんが注射怖いなんてそんなこと…。
人間だもの、手くらい震えるよ。ねぇ赤司くん。
って…、
「(ドクターなんか冷や汗かいて顔色悪くなってるー!!)」
この角度からは赤司くんの後頭部しか見えず、どんな表情してるかはわからないけど、わかる、わかるよ…!
「(ドクターを威嚇している!!) 赤司くん、袖捲るよ」
「ああ」
私がなんとか声を掛けると、ドクターも我に返って注射針のキャップを外した。その瞬間、赤司くんの身体がびくりと跳ねる。
「ちょ、ちょっとチクッとします、よ…」
ドクター完全に腰が引けてるー!
これじゃあ寧ろ赤司くんの恐怖を煽るだけだ。私は逡巡の末、
「ごめんね赤司くん!」
あとで土下座をすることにして先程青峰くんにそうしたように、彼の顔をこちらに向かせて抱き締めた。
あー久々にズガタカを頂きそうです。
はい、終わりです。
とドクターが告げるなり私は腕の力を緩めて赤司くんお疲れ様!と背中をぐいぐい押して診察室を一緒に出た。ありがとうございましたー!とドクターに引き攣った笑みを向けつつ。
「なんのつもりだ、みはな」
案の定、私は赤司様からぺったんこにプレスされてしまいそうな程の圧を受けながら待合室の隅で怒られていた。目がざばざば泳いでいるのを自覚しながら、なんとか弁解をさせて頂く。
キセキのみんなや他の患者さん、医院のスタッフさんたちが何事かとちらちらこちらを見ているが、勿論そんなことを気にする赤司様ではないし、私にもそんな余裕はない。
「いや…あの…他のみんなが怖がってたから…赤司くんはどうかなって」
青峰くんも同じようにして大人しくさせたのだし。
「は?今なんと言った?」
「え、だから、あれで青峰くんも大人しくなったから、赤司くんにも効くかなって…」
「……」
ああああ!言ってから気付いた。すみませんすみません!赤司様とアホ峰を同格に扱ってすみません!赤司様とあのアホ峰が同じな訳ないですよねすみません!
おいテメーみはな今俺に失礼なこと言ってんだろとか聞こえてきたけど許せ!私は命が惜しいのよ!
ほら段々と赤司様の表情が一層険しくなっていく!
「大輝にも…同じことをしたのか」
「はい…」
「オレ以外の人間にあんなことをするなんて、許せないな」
「はい……はい?」
『オレにあんなことをするなんて』の間違いではなかろうか?
「大輝は明日基礎練3倍と外周10周追加だ」
いや、赤司様は青峰くんにもお怒りのようだ。何故。いけない、頭が混乱し始めた。
「みはな、君は―――…」
「はっ、はい!」
反射的に背筋が伸びる。
「明日から一週間、オレの専属マネージャーをすること」
一体そのペナルティーにはどんな意味があるのだろうか。やはり赤司くんはよくわからない。大変といえば大変だろうけど(女子からの視線や圧力が)、罰というほどのもののような気がしない。
「みはな、お前が誰のものか一週間で、よく、よく、よく教え込んでやろう」
「は、い…? えっと、マネジだけど私も男子バスケ部所属だし、元から赤司くんのものじゃないの?」
「は?」
はい本日二度目の『は?』頂きました!すみませんすみません口答えしてすみません!
「みはな、お前は…!」
「はっ、はいぃぃ!…って?」
背けて腕で隠そうとしているその顔は何故か赤くて、怒りの頂点だったのだろう。
「そういうことを無自覚に言うから隙だらけだというんだ!」
怒鳴られた。遂に堪忍袋の緒が切れた看護師さんから追い出されるようにして医院を後にしたのは言うまでもないだろう。

「どうしたのだよ、赤司は」
あんなに取り乱して、と帰り道で緑間くんが私に尋ねてきた。
いや、私にもわからんのだよ。

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