手を伸ばしてみる

「お待たせ、日向くん。帰ろっか」
「ああ」
着替えを終えて更衣室を出ると、ドアの傍で壁にもたれて立っていた日向くんに声を掛けた。
彼は誠凜のバスケ部主将、私はそのマネージャー、私たちは高一の夏の少し前から付き合っている。

同じ中学出身だったけど、話したのは中学三年のときが初めてだった。
高校では同じクラスになり、もともとリコと友達だったこともあって、バスケ部立ち上げの際にマネージャーを頼まれた。
知らない人ばかりかと思ったら伊月くんもいたし、特に部活に所属する予定もなかったので引き受けたところ、一気に親しくなった。
入学直後はちょっと怖かったけど、木吉くんたちと出会って雰囲気が変わって話しやすくもなって。
強い責任感と意志を持った誠実な人柄に強く惹かれていき、そうして日向くんを好きになったのは、本当にいつの間にかだった。

「そうだ、ちょっと本屋さん寄っていっていいかな」
母から買ってくるよう頼まれた本があるのを思い出した私は、隣を歩く彼に問う。
「ああ、いいぜ。じゃあ、あっちだな」
快諾してくれた彼が私の手をとって、二人していつもの帰路から本屋さんへの道程へと逸れていった。

「それで、そのときの先生の顔がおかしくって」
「はは、あいつの授業はそんなんばっかだよな」
「ねー」
いつもこうして他愛ない会話ばかりだけれど、バスケの話をするときは目が輝いている。
昨年は辛いこともあったけど、それと同時に私はこの輝きを支えようと誓ったのだ。
ずっと傍にいる、と。
ことばではなかなか伝えられないけれど。どうか信じていてね。

「みはな、どうした?」
突然繋がれた手に力を入れた私の顔を、日向くんが覗き込んだ。
「んーん、なんでもないよ」

本屋さんに入ると、日向くんが新刊コーナーの前で立ち止まる。
「どうしたの?」
本を見ている訳ではないらしいので、今度は私が彼の顔を覗き込んだ。ちょっと表情が固まっている。その視線の先にいたのは、
「く、黒子…」
バスケ部の一年生、黒子くんだった。
「主将、と…櫻本先輩」
黒子くんもこちらに気付き、彼と私を見、やがて繋がれた手に視線が落ち着いた。
そういえば、付き合っていることを隠してはいないが、ほぼ一切口外してもいなかった。
私たちの関係を察した彼は、
「噂は本当だったんですね」
とだけ述べた。
「は?噂!?」
日向くんが俄かに取り乱す。
「先輩方が付き合っていると、部内では専らの噂です」
そんな噂が流れていたのか。寧ろ、隠していなかったのに噂程度だったことに我ながら感心だ。
というか誰からも聞かれたことなどなかったし。
ちょっと彼を助けてあげなければいけないようだ。
「そんな噂が、流れていたのね」
「はい」
「別に隠していた訳ではないのだけど、わざわざ言うようなことでもないでしょう?」
「…それもそうですね」
黒子くんは少しの間をおいて、納得を示した。
「ね。気をつけて帰ってね、黒子くん。お疲れ様」
「はい。お疲れ様です」
なにが「ね。」なのか、自分でも可笑しかった。彼は文庫本を一冊手に取ると軽く会釈をして、レジへと歩いていった。
これで一先ず波風は立たないだろう。
「日向くん、あっちの方探しに行こ。お母さんから頼まれてる本なの」
まだ少し固まっている日向くんの手を引いて覚醒させる。
「え、ああ」
目当ての本を購入し、いつもと違う道から帰る。
予定が合えば、殆ど毎日日向くんは私を家まで送ってくれるが、今日は少し新鮮だ。
私は少なからずドキドキしていた。
しかし、
「……」
「……」
先程から、正しくは黒子くんと遭遇してから、日向くんはずっと考え込んでいる風だ。
私の言ったことが気に入らなかったのだろうか。手は繋いだままではあるが、機嫌を損ねてしまったのだろうか。
「あのね、日向くん、」
兎に角なにか話そうとして、突如聞こえてきた騒がしい声にそれは遮られた。
そうか、ここは、
「日向くん、ストリートだよ!」
私はフェンスの向こうを指差した。
「お、おお」
近所の中学生や高校生が集まるストリートバスケのコートだった。
「あっ」
しかも、そこには知った顔。
「弟がいる。ね、入ろうよ」
急にテンションを上げた私は日向くんの腕をぐいぐい引っ張った。
「ゆーうー!」
ベンチに鞄を置いて、私は弟の名を大きな声で呼びながらコートに踏み込んでいく。
「げ、姉ちゃん!」
弟のゆうは予想通りの反応をし、周りにいた友達数人は一斉に私を見た。
「こんな時間までなにしてるの!」
「うるせ、うわっ」
嫌そうな顔をしている弟からボールを奪い、数歩だけドリブルをして
「日向くんパス!」
呆けている日向くんにボールを投げた。いつも見ている日向くんのフォームの見様見真似だ。私からの下手くそなパスを受け取ると、彼はにっと笑って鞄を私のそれの隣に置き、ラインの内側へと入ってきた。
日向くんがシュートの構えを取ると、私の呼吸は止まる。
それはそれは、綺麗なフォーム。
指先から爪先まで、全てが私を魅了する。
弧を描いたボールは難無くリングをくぐって3Pと相成った。
「うおぉーすげーっ」
弟を含め、中学生たちは日向くんに群がっていく。
その内誰かが「止めろー!」と言い出し、1on5が始まった。
中学生ともなればそこそこに体格のいい子もいるが、日向くんに敵う訳はない。もう1ゴールあっさり決めると、今度は中学生たちにボールが回る。当然彼はすぐにパスをカットして奪取。そしてまたシュート。
「兄ちゃんズリィよー!」
「かっけー!」
じゃれあっている様子を、私はベンチに座って見ていた。ああしていると、高校生も中学生も同じに見える。
ただのバスケ好きだ。
意地悪しながらたまに教えて、また一緒に駆け回る。
そこにいるのは、私がだいすきなキラキラした日向くんだった。

「あー疲れた…」
学ランを脱いでカッターシャツのボタンを一つ外し、腕まくりをした日向くんが私の隣にドサリと座る。
「ご、ごめんね、なんか…こんなことになるなんて」
「おう、中学生でも5人の相手はなかなかきついな」
部活終わりでもあるし、疲労は倍だろう。
しかし先程のように考え込んでいる様子はなければ、怒っている風でもない。寧ろ、ふっきれたように笑顔を湛えていた。
汗をかいている横顔に、タオルを差し出しす。
「はい。今日使わなかったタオルだから」
「サンキュ」
「ゆう…勇貴もね、中学でバスケやってるの。日向くんの後輩になってくれたら嬉しいな…」
私の勝手な期待だけれど。
誠凜に来てくれたらいいな、なんて。
「勇貴、何年生?」
「三年だよ」
「じゃあ、来年だな。筋はいいし、誠凜に入ってくれるといいな」
眼鏡を外して、日向くんはこめかみの汗を拭う。
「うん」
「しっかり勧誘してくれよ、マネージャー」
私の頭を、彼が大きな手でくしゃりと撫でた。
「了解!」
ベンチから立ち上がって私が敬礼すると、彼も鞄を肩に掛けながら立ち上がる。
「すっかり遅くなっちまったな。帰ろうぜ」
「あ、ごめんね」
「ははっ、それ二回目。楽しかったしいいよ。あ、タオルは洗って返すからな」
屈託なく笑った日向くんに、心臓が跳ねた。
「え、そんなのいいのに…!」
「いーって」
丁寧に畳んで、彼は私の貸したタオルを鞄に仕舞った。そして私は手を引かれて日向くんとフェンスの外へと出ていく。
「ゆーうー、あんまり遅くならないようにねー!」
振り返ってそう伝えると、ゆうはゲームから抜けてこちらへ走ってきた。
「もう帰るんスか?」
すっかり懐いたようで、ゆうが唇を尖らせた。
「悪いな、姉ちゃんを送ってくからさ」
満更でもなさそうな日向くんを見、私を見、繋いだ私たちの手を見て、ゆうは
「ふーん…そうなんだ」
と、目を細めて呟いた。なんだかこの光景も二回目。
「付き合ってるんすね」
「ゆう!」
何故かちょっと刺々しくことばを放ったゆうを、慌てて制した。が、
「そうだよ」
「ひゅ、日向くん!」
喧嘩を倍値で買ったかのように不敵に日向くんは笑った。
さっきのバスケ少年とは違う、クラッチタイムの彼だ。
私の顔に熱が集まっていく。
「俺、誠凜行きますから」
ゆうも引き下がらない。しかしなんでいきなり険悪に?
それに、ゆうは今、大事なことを言った気がする。
誠凜に、来る?
「ほんと!?」
私が食いついてしまった。
「あ、あぁ。そんで、誠凜でバスケする。…待ってて下さい」
またゆうは日向くんを睨んだ。彼はくくっと喉で笑って、
「待ってるぜ」
私の手をぐいと引いて歩き出す。
「絶対!っすよ!」
背中からゆうの宣誓が飛んでくると彼は少しだけ振り返って、
「ああ」
短く返事をした。

日向くんに握られたままの私の手は、汗ばむほど熱くなっている。ばくばくと暴れる心臓の音も、手から伝わってしまいそうだ。
ゆうに、堂々と付き合ってることを肯定してくれたのが嬉しかったから。
日向くんがどういう心積もりだったのかは解らないけれど、或いは何の気無しに言ったのかもしれないけれど、私にとっては間違いなく特別な瞬間だった。
さっきからずっと私の脳内でリピート再生されている。

ねぇ、もうみんなに言っちゃおうよ。
そう言ってしまいたかった。

「みはな」
「はっ、はい!」
邪な思考が読まれたのだろうか。
私は思わず姿勢を正した。そんな私を、彼は可笑しく思ったようだったが、私は続きを促す。
「さっきみたいに、俺ら付き合ってるのかって聞かれたらさ」
どきん。
「もう、言っちまってもいいか?」
「え…」
眼鏡のレンズ越しに、立ち止まった日向くんが真っ直ぐに私を見つめた。
どきん、と一瞬脈が乱れる。
「気が気じゃねんだよ、お前モテるし」
なに、その見たことない表情。私にまで伝染ってしまう。
「中三のとき…初めて話したときからずっとすきだったんだ、誰にも渡したくねー。みはなのこと狙ってる奴、全員ブッ潰したいくらいには」
さっきゆうに見せたものより、ずっと獰猛な瞳が街灯の光を受けて光った。
そんなに、そんな風に、私のことを?
「あはは、ブッ潰すって…」
にしても過激だ。どう答えていいか解らず、わざと苦笑いをしてみせる。
「本気だ」
……本当に?
ねぇ、だったら。
そんなの。
「いいに決まってるよ!」
私は繋いでいた手を離して、トン、と一歩前に出て日向くんを振り返った。
「言っちゃおうよ、いくらでも!…別に我慢とかはなかったけど、」
寂しいとかは、なかったけど。
「そうなったら嬉しいな!」
普段からあまりべたべたくっついたりすることはないけど、たまらず彼に抱き着こうとした。
したのだけど、叶わなかった。
私が抱き着くより先に、彼に抱きしめられていたから。
「みはな…!」
「んんっ、日向くんっ」
ちょ、ちょっと苦しいかな。
でも、離してほしくないな。こんな風に抱きしめられるのなんて、初めてだ。
日向くんはいつも落ち着いた感じの人だから、そう思って心の何処かで遠慮をしてしまっていたのかもしれない。それはきっと、お互い様だろうけど。

少し身じろぎをして、両腕を恐る恐る彼の背中に回して、そっと力を込めた。
「なぁ、みはな。傍にいてくれよ、ずっと」
耳元で紡がれた私の想いと同じ願い。シンクロしたね。
答えは一つしかない。
「勿論だよ!」
整った顔立ちを見上げた。
あ、肩越しに月が見える。
気が付けば、背中に回していた腕を月に向かって伸ばしていた。
「日向くん…」
その手は、月に届く前に彼の頬に触れる。
それを合図にして、日向くんは屈むようにして顔をゆっくり近付けてきた。
熱い。
私は今どんな顔をしているのだろう。
視界がゼロになったところで、ゆっくりと目を閉じた。

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