彼が口下手なのは、付き合い始めた当初から一応知ってはいた。
決して愛情表現が上手ではないことも。



一つずつ、教えてね


彼の友人曰く、「真ちゃんはあんなだけど、実は櫻本さんのこと超見てるから!」だそう。私よりも彼と過ごす時間の長い彼の友人がいうのなら、間違いではないだろう。
(でも)
たまには彼の口から聞いてみたいな、なんて思ったのが昨日のこと。

まだ、あまり緑間くんのことを多くは知らないような気がするのだ。


今日の部活は早く終わるらしく、午後から会う約束をしている。
疲れているだろうから、たまの休みくらい家でゆっくり過ごした方がいいと言ったのだが却下された。昼休みに一緒にお弁当を食べたり、恋人らしい時間はそれなりにもらっていた。勿論メールもしているし、二人で話す機会だってあることにはある。
だが、確かに最近は一緒に帰ることが出来ていない。休日も勿論、彼は朝早くから夜遅くまで部活に勤しんでいる。
「いいから兎に角今日は空けておけ」と言われてしまえば、私も欲が出るのは当然で。
そんな偉そうな態度だって許せてしまう。
(三時に駅前…)
昨夜の緑間くんからのメールを読み返し、時計を確認した。まだ余裕はある。
おかしなところはないか、洗面台で鏡の前の自分を頭頂から睨んでいく。
少し、前髪が伸びた。目に掛かって少し邪魔だと感じる程度だが、デートには万全を期して臨みたい。
私は鋏を手に取った。

ちょっと長いだけ。だから、切るのもちょっとだけ。
左端の前髪を拇指と示指で摘んだ。
鋏でちょんと毛先を一、二ミリ程切ってみる。それを繰り返し、一応全体に鋏が入った。
しかし。
「あんまり変わらないなあ」
もうちょっと短くしてみようかなと鏡を覗き込み、再度鋏を構える。
その瞬間、ポケットに納めていた携帯電話が振動した。しかも、このメール受信音は緑間くん。
「わっ」
二倍びっくりで身体が跳ねる。
じゃきん、と鋏の刃が閉まった。
「え…」
はらはらと細かいなにかが目の前を舞い落ちる。
流しに散った黒色。
やけに開けた視界。

「嘘でしょ―――!!」

鏡の中の向こうで絶叫する顔色が真っ青なこけし。
「信じられない…」
それは、眉の上まで切断してしまい予定外の長さの前髪を失った私の姿だった。


取り敢えず震える手でメールを確認すると、予定より早く駅前に着きそうとのこと。
時間がない。
嬉しいはずなのに、あんなに楽しみにしていたのに、前髪一つで緑間くんとのデートが憂鬱でしかなくなってしまった。それでもキャンセルという選択肢は存在しない。
大した馬鹿だと自分を罵りながら、せめてそれ以上は短くならないようにと細心の注意を払って長さを合わせた。
「ほんとうに…馬鹿みたいな顔…」
一粒涙が出るほど、切り揃えられた短い前髪が似合わない。
「奈々ちゃんはあんなにかわいいのに…」
同じようなそれのクラスメイトを思い出す。彼女の場合は似合っているし、そもそも見て呉れが良いのだ。引き合いに出す時点で間違っていた。
「緑間くんに会うまでにどれくらい伸びるかな」
あと一時間もないけれど。
何度も何度も撫で付けてみるが、当然長さは変わらない。
前髪の中央をピンで上げてみたり、斜め分けにしてみたり、上手く誤魔化せないか試してみたがどれも全くしっくりこない。
帽子で隠せるものでもなかった。
やはり、このままにしておく他あるまい。
「なんで私のおでこはこんなにも広いの…」
緑間くんに冷たい目で見下ろされたらどうしよう。被虐の趣味があれば興奮しただろうが、生憎と私にその気はない。
「おは朝でもこんなことは言ってなかったのに」
そうこうしている間に家を出る時間になってしまった。
短時間とはいえ久々のデートで、こんな滑稽な姿を緑間くんに晒すだなんて私史上最大の不幸である。ここまで身体を張って彼氏から笑いを取りたい彼女なんて世界中探しても何処にもいないだろう。
私は肩を落としながら玄関を開けた。


駅前の時計の下で、と私たちはいつも待ち合わせる。
(いた)
大きなエナメルバッグを抱えた長身の彼。緑色の髪を探すまでもなく見つけられる、群衆より飛び抜けた頭。
「緑間くん。ごめんね、お待たせ」
後ろからそっと声をかけた。私はもう冷や汗が止まらない。
「みはな」
彼がゆっくりとこちらを振り返る。
「俺も今来たところ」
なのだよと続けようとしたのだろうが、その語尾が紡がれることはなかった。

「どうしたのだよ、その手は」

緑間くんは、額に当てている私の手を凝視する。切りすぎた前髪を隠す為に当てている、この手を。
「怪我でもしたのか、熱があるのか」
少し動揺しながら、彼はそんなことばをかけてくれた。
「そうじゃないけど…ちょっとこれには訳が」
苦笑いも出来ないほど、私は口角を引き攣らせる。
「なにがあったのだよ」
怪我でも病気でもない、けれど緑間くんは益々心配そうに尋ねてきた。
「笑わないでね」
「笑わん」
「本当に?」
「本当なのだよ」
しつこく念を押しても尚たっぷり黙り、意を決して遂に緑間くんにありのままを告げる。
「出掛ける前に前髪を切ろうとしてて」
「前髪?」
私はこくりと頷いた。
「そのときに鳴ったメールの着信音にびっくりして、有り得ない長さまで切り落としちゃったの」
彼の表情がほんの僅か強張る。再び泣き出してしまいそうな私の声の様子に気付いたのだろう。
「それは、その…俺のメールなのか」
申し訳なさそうに、緑間くんはことばを詰まらせる。私は依然額に手を当てたままぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そうだけど、緑間くんの所為じゃないよ!私が勝手に、驚いただけ!」
緑間くんからのメールに、いつまで経っても慣れない私が悪いのだ。気にしないで、と自らの掌に視界を若干阻まれながら彼を見上げた。

「俺は、みはなからの着信音に驚いてラッキーアイテムの花瓶を地面に落としたことがある」

「え」
いきなりの告白にぽかんと口が開いた。
「それ、割れちゃった?」
「ああ」
なんてことだ、と絶句する。私は、知らない間に緑間くんの命運を左右するラッキーアイテムを壊してしまっていたのか。
「ごめん!それいつの?」
弁償しなきゃ、と頭の血の気が引いていく。
(あれ、花瓶って…)
彼がそれを持っていた姿は記憶に新しい。
「まさか」
「昨日なのだよ。部活の後だった」
身に覚えのあるタイミングだ。確かに今日のことを約束するメールをやり取りしていた。部活が早く終わることが解り、部活直後に緑間くんに連絡をもらったのだった。「ごめん、本当にごめん」
項垂れて謝罪を繰り返す。
「構わん」
「でも…」
「みはなも、そうなのだろう?」
その問いの意味を理解するまで暫くかかった。
お互いがお互いのメールや電話に緊張している、という解釈でよいのだろうか。傾げるとも頷くともつかない角度で、首を傾けた。
「そう、なのかな」
「…それならば」
ふいに手首を掴まれる。

「見せてくれ」

みはなの顔を、よく。
低い声が、喧騒の中でも的確に私の鼓膜を揺らした。
抵抗は許されず、手は額から離れていく。
「あっ、だめ、緑間くん!」
慌ててもう片方の手で隠そうとした。しかしその手も奪われる。
「本当に、だめ」
ずっと隠せるものではないが、まだ心の準備が出来ていなかった。
(もうやだ)
目に涙が滲む。恥ずかしくて、急速に顔に熱が集まった。
「恥ずかしいの、緑間くん…離してよ…」
彼は無言で、表情も固まっている。
(やっぱり、変なんだ)
そしてその顔がそのまま降りてきた。
近い。
まるでキスするみたいだ、と思い至って我に返った。

「み、緑間くん!?」

私が声を上げて抵抗する。けれど彼は全く動じず、着々と距離を縮めてくる。
「こんなとこで、だめ!」
こんな、往来で。
「見えていない」
そりゃ緑間くんは通りに背を向けてるからいいだろうけど。
「なんで、急にこんな」

「いい加減黙るのだよ」

遂に全ての反論を受け入れてもらえなくなった。
俺がすると言ったらする、なんて酷い。
酷い人をすきになってしまったものだ。逆らえない。
キスなんて。
(してほしいに決まってるのに)
せめてこんな場所でなければなどという希望を脳の片隅で滅して、私は目を固く閉じた。
唇に触れる感触を期待したのも束の間。
柔らかいそれが、一瞬触れた。
「ふ、え」

唇の、端に。

しかも一瞬だけ。
予想というべきか、期待というべきか、兎に角私の思いに反して細やかであったそれ。
ぱちりと目を開けて緑間くんを見上げる。
だから、なんで。
「真っ赤なの…?」
「う、うるさいのだよ。もう行くぞ」
少々乱暴に手を引かれても、怖くなどない。先程までの真っ直ぐな眼差しの勢いが微塵も感じられなくなったからだ。
そんなことより、ずっと彼の赤面の理由を考えていた。小さく呟かれた「短い方がよく見えるだろう」はそのヒントなのか、機能性に対する褒めことばなのか。
勿論一日かかっても答えは出なかったし、教えてももらえなかった。やっぱり私は、緑間くんのことをまだまだ知れないのだろう。
なんだか悔しいような気がする。
それでも、今日はとても胸が温かいのはどうしてかな。



あなたがどんなときにどんな顔をするのか



切りすぎた前髪が気にならなくなったのは、どうしてかな。



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