(社会人パロディ)



「もー!」
「牛?」
「違う!終わった!はい!終わり!」
携帯電話を握り締めて癇癪を起こす私を、宥めるでもなく高尾はやれやれと溜め息を吐いて眺めていた。
「またか櫻本…」



瞬間冷却装置搭載女と高尾


「今度のは、どんな奴だっけ」
まあ座れよ、と彼はテーブルにグラスを置いてくれる。まだ人の多い休憩室内を見渡し、私は小さく礼を言って座り直した。
今日は偶然高尾とタイミングが被ったらしい。元々よく話すし、食事に行ったりもする仲ではあったが、ここで会うのは少しばかり久し振りだ。
「この前言ってた若手の」
「あー、十歳年上の」
「そー、その」
テーブルに肘をついて、彼が注いでくれた冷たい水を喉に流し込む。
「確か、運命の人だとかなんとかかなり熱上げてなかったっけ」
「やめて」
高尾はにやにやと私の真似をして頬杖をつく。
「同級生より一足お先に婚期が来たとかさ」
「やめなさい」
むっとして制止をかけると、その笑みは一層深くなる。
「どっかの年上好きにはたまらん良物件だったのにな」
「やめんか」
がくりと項垂れ、腕に額を押し付ける姿勢になった。
「俺も、櫻本とそいつ上手くいくと思ってたぜ」
今結構びっくりしてるわ、と彼は言う。
「ふっふっふっ、本当にやめろ」
大袈裟に自嘲して頭を持ち上げた。
「怖えわ、お前」
高尾が口元を引き攣らせる。
「恥ずかしくてたまらないのよ、今は」

私はついさっきまで好意を寄せていた男性との出会いを思い出した。
この部署所属の職員を対象に行われる研修で、四週間程他の事業所に出張したときだった。
同期五人と只管研修先のお局様に怒られながら四苦八苦していたとき、別部門の研修に来ていた男性に私は好意を持ってしまった。
「ここの人怖いよね」と合間に優しく話し掛けられて、たったそれだけで一目惚れ。
打ち上げでも話し掛けて顔と名前を覚えてもらい、メールアドレスも教えてもらい、順調なように見えた。
「私にしては上手くいきすぎてた…もっと懐疑的になるべきだったわ」
顔にかかった髪を掻き上げて耳に掛ける。
「櫻本暗いなオイ」
そりゃ暗くもなるわよ。
「お互い忙しいからさ。あのあと会えたのは一回だけ、メールもスローペースだったの」
それでも趣味や性格は今まで出会った誰より合っていると感じていた。後日二人で会ったときも盛り上がった。
『やはりこの人はタイプだ!』と思った。はずだった。
「本当…フィーリングは最高だったのよ」
早合点もいいとこだ。
「随分勿体ぶるじゃん。そこまで感じよくてなにが結局駄目だった訳」
先程の返信を見せようとしてやめた。
私がまずもう見たくないのだ。
「今日から休暇なんだって」
「お誘いされた?」
「全然。同期と旅行に行くみたい」
「あれ?」
「しかも彼氏がいる女と」
「はい?」
高尾の表情も雲行きが怪しくなる。
「とんだ女豹よ!長く付き合ってる彼氏がいるのに彼に猛アプローチ!彼も彼でS級鈍感、最近まで女豹の策略に気付かなかったって!」
「いや、それおかしくね。今回の旅行は知ってて行くってことかよ」
「そうなのよ!今までも一緒に出掛けたりしてて彼氏に悪いよな、とか言ってたのに」
しかも今回の旅行も周りからさんざ止められたらしいのだ。
「そんで強行すんのはなんで?」
「知らんわ。大丈夫、なんとかするからとしか」
なんのミッションのつもりだ。あのきゃぴきゃぴ声が聞こえただけで顔が強張るとか言ってた癖に。
行けと言われたら行かないのだろうか、結果として誰も彼を止めることは出来なかった。しっかりしてよ、ともう一人の彼の同期の顔を思い浮かべる。
「しかもこのメールのやり取りがね、その旅行に大幅に遅刻してきた女豹待ってるついでよ。さっきぱたりと途絶えたの」
携帯電話のディスプレイを示指の爪で叩いた。今頃、あの女豹は何食わぬ顔で彼の車の助手席に座っているのだろう。
「私とも時間が合えば遊びに行こうって言ってくれてたのに、もうなあなあにして流すつもりなんだわ」
張り切って暫くの予定を空けていた私は、馬鹿そのものだ。
「櫻本」
「なに」
「言って悪いけどそいつただのま」
「解ってる。皆まで申すな」
「へえ」
「だから今さっき冷めたのよ。なに考えてるのか解んなあい」
わざとらしく語尾を伸ばして肩を竦めて見せた。
「一瞬で?」
「一瞬で」
高尾が目を丸くして身を乗り出してくる。その問いに私は一度だけ大きく頷いた。
すると高尾はその身を椅子の背もたれにどさりと預ける。
「櫻本も相変わらずだなーその冷却装置」
「だって」
「解るよ。何処でスイッチ入るのかはいつも予測出来ねえけど」
口元こそ笑っているものの、その目は真剣に私を捉えていた。高尾も相変わらずなまじ聞き上手な所為で損な役割だ。こうして貴重な休憩時間も私の愚痴に喰い潰されて、午後の激務に戻っていく。
「高尾もなんで彼女出来ないのかしらね」
実は私の所為だろうと感付きながらも、温くなった水を飲む為に持ち上げたグラスを傾ける。
こんな私に、付き合うことなどないのに。
「馬鹿言え、俺はモテるぜ。断ってるだけ」
前言撤回、絶対私の不幸に巻き込んでやる。
「最低。女の、いや…私の敵」
「おっとこれはタイミングを誤ったな」
「わざと言ったろ」
じとりと高尾を睨むと、
「さて」
適当に流して立ち上がった。
掛け時計を見遣ると、もうそろそろ仕事に戻る時間。人も疎らになってきた。私もふうと息を吐いて立ち上がる。
「真面目に仕事することにするわ」
「お前は元から真面目だろ」
「そういう振り」
「それこそ馬鹿言え」
グラスを戻して休憩室を後にする。
高尾の少し後ろを歩きながら、相変わらず私は口が悪いなと眉を顰める。猫を被らずになんでもない会話が出来る高尾は、私にとって貴重な存在だ。
「高尾に言われたくない」
「お、櫻本に褒められた」

思えば、彼の前では如何にもな優等生ぶって本来の自分とは全く違う自分を作り上げていた。彼がすきそうな、優しそうな女性を。
けれど本当の私は今高尾と話している通り、短気とよく言われるような性格なのだ。丙午でもないのに気性が荒い自覚がちゃんとある。
彼と共鳴した部分が多くあったのは事実だが、接すれば接するほどじり貧になっていくのは何処かで解っていた。
(本当に、すきではあったけど)
私が彼に一瞬で冷めたように、彼とて私に一瞬で冷めるときが来ていたかもしれない。どちらが先か、それこそ紙一重で。

エレベーターに乗り込んで、目的のフロアのボタンを高尾が押した。
「なあ、暫くの予定空けてたんだろ」
ふと彼が私を振り返る。
「ええ」
「今予定確認出来る?」
私は無言でポケットからスケジュール帳を取り出して開いた。
「この通り休日は真っ白よ」
仕事の予定以外は一切書き込みがない今月のページを見せる。「(休)」と書かれた日付の欄は空白だ。
それをしげしげと見つめて、高尾は問った。
「なあ、もしそいつから急に誘いがあったら遊びに行く?」
逡巡して、僅かな未練を白状する。
「…かもね。空いてるし断りはしないわね、多分」
ポーンと軽い電子音が鳴ってドアが開き、エレベーターから降りた。

高尾のそれはもしもの話であって、彼の方から連絡が来ることなどないと解っている。その上での肯定だった。
今度は高尾が私のペースに合わせ、肩を並べて人気の少ない廊下を歩く。
「じゃあさ」
徐に高尾は左手でスケジュール帳を私の手から奪い、右手でワイシャツの胸ポケットから出したボールペンをノックする。
「あっ、なにするの」
取り返そうとするも、背を向けられた上に掲げられては手が届かない。ばたばたしている間にも何事か書き込まれていく。
暫くして、
「櫻本の休日の空きはなくなりましたー」
と悪戯が上手くいった子供のようににやにや笑ってそれを返された。
すぐに中を確認すると、休日全てに雑な字で「高尾」と書かれている。
「ちょっと、これ!」
「よかったじゃん、暇じゃなくなって」
馬鹿か、こいつ。今までも普通に遊んでたんだから、こんなめちゃくちゃに約束取り付けることもないでしょうに。
「全部奢らせるわよ」
腕を組んで睨み上げるが、それさえも高尾はへらりと躱す。
「いいけど。つかいつも割り勘にしてんの櫻本の方だろ」
「お黙り。財布持ってかないんだから」
売り言葉に買い言葉、つい手帳を持つ手に力が入る。
「結構。計画的な独身男の貯蓄嘗めんな」
ますます笑みを深めるばかりで、一方の高尾の顔色はちっとも変わらない。
「搾り取ってやる」
何故私はいつも高尾には敵わないのか。歯噛みして心にもない罵倒を飛ばした。
「すきにしろよ」
「はっ?」
突然私の腕を掴んで身を引き寄せられる。

「どうせ一年も経たねえ内に共有財産だぜ?」

低い声が鼓膜を刺した。
不覚にも粟立つ。
「櫻本も人のこと鈍感とか言えねえよ」
「うるっさい」
我に返って押し退けようとするも、その寸前で高尾は一歩後退した。

「今日の高尾、変」

百歩譲って私が鈍感だとしても、さすがにそこまで言われたら、それがどういう意味を持つのかくらい解る。
ただ、冗談にしては出来が悪いし、本気なら尚更どうかしてる。
「かもな。櫻本が、例の男が駄目だっていうから」
「私の所為?」
言い掛かりじゃないの、と再び睨みつけてやる。
「もうずっと、櫻本の所為だよ」
「意味解らんのだけど」
いつものように、ただの悪ふざけだと思いたかった。そうやって、質の悪いジョークで私の気を紛らわせてくれているのだと。
「今回ばっかりは本気で終わりだと思ったさ。だから賭けてた」
なのに、ふっと高尾の表情が陰る。

「櫻本とそいつが、万が一上手くいかなかったら俺ももう腹括るって」

「…どんな気分?喜んでるの?」
私と彼にもう今後はない。そのことについて、嬉々としているのか。そんな人間だと思わなかった、と怒りが湧いてきそうになる。
「まさか」
もし頷いたら、目の前でスケジュール帳を破り裂いてやろうと思っていた。
しかし高尾は首を小さく横に振り、
「怖えよ、櫻本に拒絶されんの」
けどさ、と続ける。

「俺は櫻本に冷めたりしねえし、櫻本も俺に冷めることもねえだろうなってもう捨て身なんだわ」

最初から色っぽい仲じゃなかっただけに。
そう言って力無い笑みを浮かべた。
(あ、今の)

そんな笑い方をするなんて、知らなかった。

「さっきの勢いはどうしたのよ」
私は手帳の最後のメモページに行きたいお店を適当にリストアップして千切る。
「あんたが埋めたんだからね、私の予定。これでよろしく」
ぽかんと口を開けて走り書きを眺める高尾の腕を叩いた。

「高尾ってなんか余裕そうにしててやなやつだと思ってたけど、そういう顔はかわいいかも」




立ち止まったままの高尾をほっぽってデスクに戻った私は、パソコンを前に俯く。
(嘘でしょ)
惚れっぽいにも程がある。
僅かにだが、確かに頬は熱を持ち始めた。
(そうよ、素の私が知られてるなら)

私だって高尾と正面気って向き合ったって痛くも痒くもない。



今週末、恋を始めてみようと思います

[ 20/26 ]

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