「うーん…」

学校に着くなり、私は自分の席で机に突っ伏した。

(気持ち悪い…)

この二日間、私は胃の不快感と戦っている。
それはそれは辛い。
腹部を摩りながら、口から唸り声が漏れた。

授業が始まるまであと十分弱。
この状態で数学の呪文を小一時間聞かされるなんて、なにものにも勝る拷問だ。涙出そう。

「どうした、櫻本」

「…赤司くんか…おはよう」

隣の席の赤司くんが今日も華麗に登場した。
朝練を熟して汗を流してきたとは思えない程の涼やかな様子を、いつもなら目の保養として堪能している。
が、今日はそれどころではない。
げっそりした物言いに、赤司くんも眉を顰めた。

「隣の席だから当たり前だろう。なにか不都合か?」

違うのよ、赤司くん。
寧ろ、席替え以降このポジションを神様からの贈り物だとしか思っていない。

「ごめん…そうじゃないの」

それどころじゃないだけなの。
ゆっくりと息を吐く。

「体調が悪いのか」

「うん…」

私はこの腹痛の原因を思い返す。
あーあ、なんであんなことをしてしまったのか。
両腕を枕にして少しでも楽な姿勢を探しながら、昨日の行いを悔いた。

「普段騒がしい隣人が静かだと不自然だな」

赤司くんがしげしげと私を見つめる。
ソウデスネ。
普段の行いが悪いとろくに心配されない、今日の学びだ。

「なにか悪いものでも食べたのか」

薄ら笑いを浮かべて彼は言った。
小馬鹿にしたつもりだったのだろうが、残念だ。

「御名答」

「……は?」

「その通りです、赤司くん。私は悪いものを食べました」

赤司くんの目がみるみる細められていく。
やめて背後からブリザードを吹かせるの。

「解っていて自分の行動の制御も出来ないのか?高校生にもなって拾い喰いなどと非常識な…」

「違う流石に酷いよ赤司くん」

彼は随分と言うことを聞かない犬の扱いに長けた様子で、私を詰った。
しかし私は断じて拾い喰いなどしていない。

「ここ二日程両親が不在でね…なんとかなると思って自炊に挑戦してたの」

するとなんとびっくり。
私の料理のセンスは凄まじかったのだ。
作ってみてから気付いたのだから、対価の少なくない後学だった。

「だめだね、材料や調味料が足りなくて似たようなものを使えばいいっていう発想とか、よく解らないまま趣向を凝らそうとするのは」

瞼の裏に、あのキッチンの光景が蘇ってくる。
料理にオルタナティヴなど存在しない。

「…なにを作った、いやなにをした」

聞きたい?
聞く?
いいよ次の犠牲者を出さない為にね。

「まずね、コチュジャンがないからって豆板醤使っちゃだめ。鶏ガラスープの代わりにコンソメ使うのもだめ。なんで茸の具材を足したくてなめたけを使っちゃったのかも、今では解らない…」

それらから生成されたうっかり二日分の雑炊は、私に咳と涙を齎し、水が手放せなかった。

「なにをしているんだお前は…」

赤司くんの目が憐れみに満ちたそれに変わった。

これが死因になるのかと思い、私はその日の気力を振り絞ってインターネットで調べてみた。

曰くコチュジャンと豆板醤は全くの別物で、代用など出来ないのだという。
そうか、コチュジャンは甘味で、豆板醤は辛味・塩味だったのか…とそこで力尽きた。

「オニオンスープもね、作るならちゃんと調べたらよかったよ。味がしなくて牛乳とバター加えたら、300シーシーだったスープがぎとぎとの薄い牛乳1リットルになっちゃうんだもん。流石にキッチンに立ち尽くしちゃった」

赤司くんが手で口元を押さえた。私も言いながら吐き気が戻ってくるのを感じる。もう軟口蓋から食道、噴門まで油を塗りたくったかのような感覚がずっと取れないのだ。

「櫻本…」

赤司くんが優しく私の名前を呼ぶ。
こんなことは初めてだ。
どきりとしながら、彼を見遣った。
心配してくれたのかな。

「うん?」

彼は遠い目をして一言。


「早まるな」


「…………………うん」

色々超越してしまった末の精一杯の労りに、「がんばるよ…」と力無く返す。

あと三日も両親いないけど。

そうぽつりと付け足すと、赤司くんの顔色が更に悪くなった。
そして机に掛けた鞄を探る。

「?」

ぼうっとその動作を眺めていると、「ほら」とパックタイプのゼリーを差し出された。

「それなら胃も受け付けるだろう」

のろのろと受け取ったそれを見つめる。
栄養補給と銘打ったゼリーは、間違いなく彼が口にするはずだったもの。

「いやいや受け取れないよ」

情報処理が追いついたところで慌てて返す。
しかし彼もそれには応じない。

「いいから受け取るんだ。隣で野垂れ死にをされては僕も寝覚めが悪い」

つーん、という効果音が彼から聞こえてきそうだ。

(心配されてる、のかな)

彼が誰かにこんなに気をかけてあげているところなど見たことがない。
ぽかんと口を開けて赤司くんの横顔を見てみるが、どうという表情もなく。

「ありがとう」

私は、出来るだけはっきりと紡ぎ出した。
恐らく誰も知らない彼の優しさに、私はたった今触れたのだ。そう考えると、胃の不快感も和らいでいく気がする。
最初は見ているだけでいいと思っていた赤司くんと、こんなに親しくなれるなんて思ってもみなかった。
料理が出来ないことを暴露しちゃったけど、まあいいか。


「別に、最初に言っただろう。櫻本が大人しいと、こちらの調子が狂う。ただそれだけのことだ」


……はい?

待て待て赤司くん。
あなたそんなこと言ってましたっけ。

「ああ、言ってましたね」

ただ似てるけど、今のことばはかなり違う意味で捉えられそうだ。


もしかして。


思ったよりもずっと、赤司くんとの距離は縮まってるのかな。

ふふ、と笑いを零してもらったゼリーを開けた。



誰かに作ってあげるという目標があれば料理の腕はきっと向上する!


(料理の腕を磨いて、いつか赤司くんにとびきりの御馳走作ってあげようっと!)

(なんだ? 急に寒気が…!)

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