日直は面倒だ。
その日は、一日やたらと先生の小間使いのようにあれこれと頼みごとをされる。
今だって翌日配布のプリントのセットをさせられたり、教室の掲示物の張り替えを頼まれたり。
仕事の量は日によりけり、生徒からしたらタイミングという名の運命に左右される訳だ。
私は運が悪い方だった。


TV Maniacs


黒板を消して日誌を書いたら、雑用を言い渡される前にさっさと帰ろうと思っていたのに。
「どうせ暇だろうし頼むわ」
って失礼な。
暇だよ。
明日配るプリントを五枚ずつホッチキスで留める仕事を仰せつかってしまった。
これは頼まれる雑用の中でも最も面倒なものの内の一つだ。

もう一人の日直は部活だか委員会だか、ホームルームが終わると一目散に教室を出て行った。
こうなった以上、仕方ない。
結局は誰かがやらなければならないのだから。

私はウォークマンを鞄から取り出してお気に入りのアーティストの楽曲を再生する。
どうせ誰もいないし、と軽く口ずさみながらプリントを揃えていく。
「I let it fall,myheart,And as it fell you rose to claim it...」
日誌は適当でいいし、プリント組みもリズムが出来てしまえば単純な作業だ。
すぐに未セットのプリントの量は半分程にまで減った。

「We could have had it all...Rolling in the Deep. You had my heart...And you played it...」

あと少しだな、と一つの紙の束を数えていたとき、突然教室のドアががらりと開いて私は顔を上げた。

「あれ、櫻本さん」

「氷室くん」

入ってきたのは私の後ろの席の氷室くんだった。
クラス内外で、というか最早校内で彼は有名人だ。兎に角女子に人気がある。
男子であるにも関わらず美人と形容され、帰国子女のバイリンガル、我が強豪バスケ部のスタメンでありその物腰は柔らかくレディ・ファーストを兼ね備えている正に陽泉の至宝―――とは友人が言っていた。
実際その通りだと思う。
私も、彼にははいつもにこにこしていて、聞き上手な印象を持っているから。
「一人で日直?」
「うん。氷室くんは部活だよね?」
「ああ。ちょっと忘れ物をしたんだ」
彼は机の中を探り始める。
「櫻本さんも大変だね」
「今日はついてなかったよ。ま、もう終わるけど」
私は手を止めず応じた。

氷室くんは、悪い人ではない。
しかし、私は彼をなんとなく苦手に感じていた。

多くの人から好かれる価値のある人だというのは解っているのに。
ほぼ全校の女子から持て囃される彼とこうして話していても、何処か居心地悪く感じてしまう。

(美人すぎるから?良い人すぎるから?)

人間、出来すぎていると気後れしてしまうものだからなあ。
「ノートあった?」
ものの数秒で自己完結に至った私は、椅子の背凭れに手をかけて上体を捻り、彼を振り返った。

「ああ、あったよ」

ただ、同情する点があるとすれば。

(疲れてるよね、いつも)

だから彼は、無邪気に笑えないのだろう。
他の人と違って見えるそれを、誰しもがクールだのミステリアスだのというけれど。

人に囲まれすぎて、ただ自分を晒すことをやめてしまっただけな気がする。
来る者は大体拒まないが、自分からはあんまり歩み寄っている感じがしない。

まあ男の子だし、そんな年でもないか。
氷室くんの事情や性格をよく知りもしない平々凡々な私に、同情なぞされても不快なだけだ。

「よかったね」
下らない考えを振り払って前に向き直った。
「ああ」
これで会話は終わり、バイバイとなるかと思いきや。


「櫻本さんは、USよりUKの方がすき?」

私の横に立った彼はそう尋ねてきた。
「え?」
「音楽」
意味が解らず首を傾げると、氷室くんは机の上の私のウォークマンを指した。
ああ、Adeleを聞いていたからか。

「USでもUKでも、なんでも良い曲なら聴くよ。ミーハーだから」

実際、ウォークマンには気に入った一曲しか入っていないアーティストもいる。
勿論年代関係なく拘って聴くアーティストもいるが、チャート上位に入っている曲ばかりを聴くことが多いのだ。「そうなんだ」と氷室くんは微笑む。


「氷室くんは本場にいたんだもんね。なにかお勧めあったら教えてほしいな」

これは勿論本音だった。いい曲を聴きたいというのは私に於いて真理だ。
加えて、ふと彼がどんな音楽を聴くのか知りたくなった。

だから、
「じゃあ、櫻本さんのお勧めは?」
なんて聴かれるとは思っていなかった。

「私?私はメジャーな曲しか聴かないけど」
「教えて」
そんな目で私を見てどうするんだ、と思う程氷室くんに澄んだ眼差しで見下ろされ、考え込んだ。

「氷室くんがIf IHad A Gun...とかGRENADEとか歌ったら悩殺だけど…」
それじゃあ多くの夢見がちな女の子たちと一緒だ。彼はそういうイメージに疲れているのだから。

「日本のバンドも、私はすきだな。これなんて特に」

私はウォークマンを操作して、イヤホンを差し出した。

氷室くんは暫く大人しく聴いていたが、徐々に表情が変化していく。

「すごくいいよ、これ。とてもexcitingだ」
目を見開いて、ことば通り興奮しているようだった。
「気に入ってくれてよかった」
彼の賛辞に私も気をよくしてにこにことイヤホンを受け取る。

このとき、『あ、これが彼の“無邪気”な笑顔か』―――そう思ったときには遅かった。


そんな氷室くんの表情を見てしまい、心臓を撃ち抜かれたとなれば自覚する感情は一つ。

「彼らの音楽をもっと聴いてみたいな。櫻本さん、CDは持ってる?」
「う、うん…明日持ってくる、ね」

急に目が合わせられなくなった理由は一つ。

「Really!? 是非頼むよ!」
「うん…他の曲も、きっと気に入るよ」
みんな、彼がこんな顔もするだなんて知らないだろう。

それを独り占めしたいだなんて思ってしまった理由は一つ。

「Thaks! っと…もう部活に戻らないと。邪魔してごめんね」
彼は「本当は手伝えたらいいんだけど」と顔を歪めた。

「ううん、いいの。私こそ引き留めてごめん」

手伝ってもらうなんてとんでもない。今これ以上接近したら、心臓が破裂してしまう。
頑張ってね、と私は手を振った。異常に気付かれる前に、兎に角離れて欲しいとの思いを込めて。

「みはなも。気をつけて帰ってね」



名残惜しげに氷室くんが去ってから、私は机に突っ伏した。
ちょっと待て氷室くん。

「今…名前で呼ばれた…!?」




(明日にはきっと、なんて運の良い日だったんだろう、と私は今日のことを振り返る)

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