帝光中学校に入学し、二度目の春を迎えた。
右目を隠す為に故意に伸ばしている前髪が風に揺れる。
校門をくぐりながらそれを右手で押さえた。
硝子の目
新しいクラスを確認し、のろのろと教室に向かった。
宛がわれた席は窓際の後ろから三番目で、早くも陽気に眠気が誘われる。
うつらうつら舟を漕いでいると、隣の席の子が窓に手を伸ばしてきた。
「ごめんちょっと開けるねー」
返事をする間もなく半分ほど開放されてしまい、「ああ、うん」と曖昧に返し俯いた。
風は心地好いから不快という訳ではない。顔を、否、目を隠す為だ。
新たな担任がやってくるまであと約十分。瞼を下ろしたまま、続々と席が埋まっていく気配と音を感じ取っていた。
チャイムが鳴り、担任がやってくる。
「ホームルーム始めるぞ。全員揃ってるな」
まずは当面の変則スケジュールについてのプリントを配り始めた。
そのとき初めて気がつく。
前の席の燃えるような赤い髪に。
そして、担任の話など右から左に流し皆が彼のことをちらちらと見遣っては室内の空気をざわつかせていることに。
(……?)
担任もそれに気付いて苦笑した。
「おーい、赤司が同じクラスになって気になるのは解るが、一応今は先生の話を聞くように」
赤司、というらしい彼は注目されることに慣れているのか、後ろから見ていても微動だにしない。
姿勢良く伸ばされた背筋が、顔も知らないのに凛々しい印象を私に与えた。
やがて私の列にもプリントが回ってくる。
生憎と私は彼を知らないし、席が前後になったくらいで特に親しくなる訳もないが、彼の顔を拝めるかとそこそこの興味を抱いた。
いや、別に今でなくともよいのだが。
否、何故今だったのか。
“赤司くん”がプリントを差し出しながら上体をこちらに向けて捻り目が合った瞬間、窓からひゅう、と風が吹き込んだ。
前髪が靡いて隠していた顔の右半分が光に晒される。
「っ!」
私は慌てて押さえつけ、左手でプリントを受け取った。
顔を伏せてすぐさま後ろへ手渡す。
私は見逃さなかった。
目が合ったとき、ほんの僅か彼が目を見開いたことを。
当然の反応ではある。
この不自然な目を気味悪く思わない人などいないのだ。
寧ろ彼は反応を最小限に抑えた方だった。
それに彼も、
(オッドアイ、だった…)
彼の場合、私のそれのような病的なものではなく、赤と黄の光を固めた天然石のようだった。
比ぶべくもないほど綺麗で、もしかしたら、より驚いてしまったのは私だったかもしれない。
私は、自分のこの右目がとにかく嫌いだった。
幼い頃に怪我をして、視力の半分と色素を失った。
当時のことはよく覚えていないが、親が目を離した隙に持っていたおもちゃで傷付けたらしかった。
(彼は、きっとそういうのじゃないんだろうな)
綺麗で、世界もちゃんと見えていて、私の目とは根本から違うのだ。
「じゃあ全員体育館に移動しろー。始業式は九時からだからな。着いたら二列で並ぶように」
担任の指示を受けて、各々席を立ち廊下へと出て行く。
私はいつも通り、早くも形成され始めたグループに混ざることなどない。昨年のクラスではそれなりに仲良くした子も一人いたが、目のコンプレックスで友人と呼べる人がほぼいない。
誰も近寄らないし、私も近寄っていかなければ当然の結果だ。
取り敢えず、人の殺到している教室の出入り口を窓に凭れながら眺め、混雑の解消を待った。
「櫻本みはなさん」
殆どのクラスメイトが捌けていった頃、ふいに横から名前を呼ばれる。
えーっと、
「あかし、くん?」
驚いた。
彼も、まだ教室に残っていたのか。
ずっと私の横にいたのだろうか。
全く気付かなかった。
右目の視野をカバーする為に若干首を捻る癖はあるものの、余程ぼうっとしていたらしい。
「ああ」
声をかけられるなんて予想外のことに、彼の顔も見られないし次のことばも急には出てこない。
どうしたものかと困っていると、赤司くんの方から口を開いた。
「移動しなくていいのかい」
私と同じように窓に背を預け、微笑んだ。
目つきが猫っぽくて、妙に圧力のある笑い方をする。
ただ突っ立っているのを気まずく感じ、私は窓を閉めた。
「単に混雑を避けたいだけ」
新しいクラス編成になったばかりの今なら、さぼろうがばれやしないだろうが。
「そうか」
赤司くんが頷くと、窓ガラスから背中を離して私に向き直る。
「俺はね、櫻本さん」
彼は徐に私の左腕を掴み、引き寄せた。
「う、え、赤司くん?」
机越しに距離が詰まって向き合う形になる。
「その目を、もっとよく見たいと思って」
赤司くんはさらりと私の長い前髪を梳き、そのまま軽く持ち上げて耳に掛けた。
「ちょ、ちょっと赤司くんっ?」
「へえ、そういう顔をするのか」
既に誰もいなくなった教室で、私は視界いっぱいに彼を捉えていた。
「綺麗な目だ」
決して、強い力で拘束されている訳ではない。
なのに、振り解けない。
赤司くんが、そんなことをいうから。
「うそ」
私は力なく二、三度小さく首を横に振った。
鏡に映る左右で色の異なる私の目は、いつだって非常に醜く見えた。
何処を見ているか解らないような虚ろな眼球は、我ながら不気味だったのだ。
勿論本人がそう思うのだから、周りだってそう思うに違いない。
「嘘じゃないさ」
彼は、す、と私の頬の輪郭を撫でてふわりと笑んだ。
一層顔を寄せて、私の右目を覗き込む。
「色素が薄いのか?灰色…いや、少し水色がかっているんだね」
私はそこで漸く我に返り、首をぶんと振って一歩下がった。
荒く前髪を戻し、手で右目を覆う。
「見ないで…!」
クラスメイトから向けられる視線に比べればましであったが、家族ですら私に同情したというのに。
「どうして?」
「こんな、気持ち悪い目なんか」
見られて嬉しい訳がないだろう。
今まで、小学校低学年まではクラス替えの度に好奇の目を向けられ、席替えで隣になれば異形を怖がられてきた。
綺麗などと、言われたことはない。
ただの一度も。
「そうか」
残念だな、と赤司くんは小さく苦笑した。
「硝子玉みたいで、綺麗なのに」
彼が、肩を竦めると行こう、と私に教室を出るよう促す。
(硝子玉、なんて)
そんないいものじゃない。
私は彼のことばを上手く処理出来ずに立ち尽くす。
赤司くんは私が駄々をこねていると思ったらしく、「ほら、さすがにそろそろ行かないといけないよ」と私の手を掴んだ。
最早私はされるがまま、ただ彼のあとをついてのたのたと歩いた。
「赤司くん目の方こそ、宝石のようで綺麗だ」―――と言い返してやればよかった。
そう思い至ったのは、その日の夜になってからだった。
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