見えなくても信じることが出来る

 
もっと、他に交わすことばはなかったのだろうか。


(東京と、秋田か…)
随分と遠く離れてしまったものだ。
彼は彼の為に、私は私の為に、それぞれの進学先を選んだ。
後悔しないように、とお互い納得した上での選択だった。
でも、なんの歪みも生じない訳がなかった。

(どっちにしたってきっと悩むのは同じだった)

ならば、せめて彼に寄り添って苦しみたかった。
あの腕が抱き寄せてくれたなら、それだけで救われるのに。この手の平の喪失感が痛いほど胸に刺さる。

彼が秋田に発つ直前、見送りの際の最後のやりとりをはっきりと私は覚えている。


『じゃあね、櫻ちん』
『うん。風邪引かないでね』
『櫻ちんもね』
『私は大丈夫だよ』
『櫻ちんが大丈夫なら、俺も大丈夫』


友人たちが気を利かせて二人にしてくれたのに、随分と呑気な会話をしたものだ。
涙など一滴も出なかった。
我ながら薄情だと思った。
彼もそれを咎めることはなく、ただ手を振って「いつでも連絡してね」と笑っただけ。


高校に入学して初めての定期考査を一週間後控え、机にテキストもノートも開いたのに、全く手につかない。
集中しなければと思うほど、気は散っていく。思考が彼に向かっていくのだ。
シャープペンシルを握る自らの手を見つめていると、否応なしに彼との想い出が脳裏に蘇る。


『で、この問題はこっちの公式の応用だから〜』
彼は、テスト前になるといつも私の勉強を見てくれた。
『うんうん』
場所は、放課後の教室・学校図書館・お互いの家など、基本的に緩い彼にしては熱心に教えてくれていた。
『数字を入れてくと式が完成。ほら櫻ちん解いて、ここまでねー』
しかもそれはとても解りやすくて、彼のお陰で私は成績を維持し続けることが出来た。
『はーい……っと、出来た!』
『せいかーい。よく出来ました〜』
『やった!ありがとう!』
『頑張ったのは櫻ちんだし』
よしよし、と大きな手でよく頭を撫でてくれた。いつもバスケットボールばかりを触っている彼の手も、そのときだけは私のものだった。


受験勉強のときだって、暇があれば私を気にかけてくれた。
彼だって忙しかったろうに、彼はその頃口癖のように言ったのだった。


『俺は櫻ちんに甘えてばっかだったし、受験の応援は俺が櫻ちんにしてあげられる、最後のことだから』


なんだかとても縁起でもないことばのように思っていた。
でも、それだけ彼も私の進路について真剣になってくれていたんだと、解っていたから、
(頑張れたんだ。…合格して、安心させようって)
今の高校に進学出来たのは、彼のお陰だと言っても過言ではない。

だから、頑張ると決めていたのに。
陽泉のバスケ部で日本一を目指す彼においていかれないよう、また会えたときに恥じない私でいられるよう、私は私に出来ることを精一杯やると決めていたのに。

日常の些細な場面に彼がいないと少しずつ実感するようになって、私は空っぽになってしまったのだ。

いつでも連絡してね、そう言ってくれたのだからすればいい。
すればいいのに。

(そんなことしたら、余計会いたくなっちゃう…)

そうなれば彼を困らせるだけ。
私は迷った末に携帯電話を手に取り、かつての彼のチームメイトに電話をかけた。

「もしもし、赤司くん」
彼なら、なにか話したりしているかもしれない。
『櫻本。珍しいな、君から電話がかかってくるなんて』
「うん、ちょっとね」
『どうした』
「えっと、その……敦、元気かな」
『………は?』
「ご、ごめんね、変な用で!」
「全くだ、なにかと思えば。僕達がそんな安否の連絡を取り合っているとでも思っているのか」
電話口の向こうで明白な溜め息が聞こえてきた。
「あ、赤司くんなら敦の近況知ってるかなって」
『知る訳がないだろう』
「ほら、天帝の眼で…」
『僕の眼は衛星じゃない。敦に直接聞けば済むことだろう』
「だって…」
『喧嘩でもしたのか。仲裁する気はないよ』
「してない、喧嘩は」
とにかく、人伝でも、せめて彼が元気かどうか知りたいのだ、と食い下がる。
『敦なら菓子を与えておけば元気だろう』
赤司くんは面倒そうにそう答えた。
「もし手元のお菓子が尽きてしまって、でも高校でお菓子くれる人がいなかったら?」
『そろそろ切っていいか』
「こっちは本気なの!」
はあ、とまた深い溜め息。
『だから質が悪いと言っているんだ』
第一、お前の与り知らないところでそんな奴がいてもいいのか?
「え…?」
不意を突かれた問いに、私は言葉が出ない。
『そもそも本当に敦が元気でいるなどと解ったところで、お前は嬉しいのか?満足するのか?』
「それ、は…」

赤司くんのことばがぐるぐると頭の中で巡る。考えるまでもないことだった。

(そんなの、いやだ)

彼が、赤司くんになら相談しているかもしれないと思ったのだ。
私に会いたいと。
私に会えなくて淋しいと。
彼にもそう思っていてほしいと、私は望んでいたのだ。

「……ごめん。切るね」
『ああ、是非そうしてくれ』

なんて浅ましいの。

呆然としていると、手の平に引っ掛かるようにして留まっていた携帯電話が振動し、着信を告げる音楽が鳴った。
この音は、

「あつ、しっ…」

すぐコールに応答し、端末を耳に押し当てた。上手く手に力を入れられず、左手もそれに添えた。

『あー、櫻ちん?』
そこそこ久し振りなのに、全く変わらない調子で私の名前を呼んだ彼の声。
ずっと聞きたかった。
「敦…」
『さっき赤ちんから連絡あったんだけど』
「赤司くんが?」
なんだかんだ言いながらやっぱり元主将。面倒見いいんだな。感謝しないと。また今度電話しよう。
『面倒くさいから下らないことで電話をかけてくるなって伝言』
「……そう」
一瞬で私は前言撤回することにした。
「で、どうしたの、敦」

『どうしたのはこっちの方だし』

「え?」
急に敦の声のトーンが落ちて、私は電話の向こうに耳を澄ませた。
『なんで赤ちんに電話なんかすんの?淋しいなら俺にかけてくればいいじゃん。言ったでしょ、俺』
「……ごめん」
『櫻ちんひでーし』
「ごめんね」
感情的な彼の呵責に、私は謝るしか出来ない。
かと思えば、
『ちゃんと勉強しないとだめでしょ』
「……うん?」
急に話が変わった。 敦の意図が解らず、私は首を傾げる。
『櫻ちんはやれば出来るんだから』
「敦?」
『俺がいなくてもちゃんとしなきゃだめだよ』

敦がいなくても。
私がいなくても。
一人でも。

二人で決めたことだった。
でも今は、呪いのことばにしか聞こえない。

『頑張るって約束出来たから、俺、櫻ちんのこと秋田に連れて行きたかったけど我慢したんだよ』
あの、新幹線に乗る最後の瞬間まで。

その一言が、私の涙腺を壊した。

「どうして今それを言うの!敦も酷いよ、意地悪だよ!敦いなきゃ、私頑張れないよ!」
困らせるって解ってても…否、困ってほしかった。
ずっと理性で抑えてきた願望を吐き出す。
私がいなくて淋しいって、言ってよ。
騒ぐ心臓を鎮めることも出来ないまま、敦の返事を待った。

『やっと本当のこと言った』

それはそれは、予想外で。

「……敦…?」
『俺も淋しいよ。部活のミニゲーム中、何回ファウル取られたと思ってんの。最近ずっと。全然まともにバスケ出来ないんだけど』
先輩には怒られるし雅子ちん超怖えし。
彼は日常の不平不満を打ち明け始めた。
因みに雅子ちんというのは、陽泉の監督らしい。

『こんなんじゃだめだって解ってる。今の俺、いつもみたく正座させられて説教もんだよ』
“いつもみたく”というのは、部活中に敦が部員と衝突したときなどに私が彼に行っていた罰だ。
自己申告しちゃってるよ、敦。
笑って戯けようとしたが、それは私自身の嗚咽に飲み込まれた。
「敦、敦っ…会いたいよ…!」

『俺だって淋しいに決まってんじゃん』

敦から、一番ほしかったことば。
はっきりと解るほど、震えている。
『だから、赤ちんに電話しないで』
「うん、うん。もうしないよ」
泣きながら拗ねてるのかな。ごめんね、そのやきもち嬉しいよ。
『ちゃんとインターハイ行くし、ウィンターカップにも出る。そんで、櫻ちんに会いに行くから』
「…待ってる」

『今は会えなくても、俺、絶対にずっと櫻ちんのことすきだからね』

電話を切ったあと、私は机に向かった。
(いい点取って、敦にいっぱい褒めてもらうんだから!)

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