橋の丁度真ん中辺り。
欄干に頬杖をついて、流れていく川のずっと向こう、沈んでいく大きな夕日を見つめていた。


シャングリラ


もう、どれくらいこうしているだろう。
特に意味もないし、そろそろ帰ろうかな。
寒いし。
私は橋の下の川の流れを見下ろし、溜め息を一つ吐いて肩にかけた鞄を持ち直す。
オレンジ色の流れは途切れることなく滞りなくずっと流れていく。きらり、きらり、ずうっと向こうへ。
「さようなら」
私の携帯電話。
小さく呟くと、元来た道に背を向けて漸く歩き出そうとした。

「璃和?」

名前を呼ばれて振り返ると、橋の手前で孝支が私に向けて手を大きく降っていた。
「おーい」
「孝支」
澤村くんや東峰くんたちも一緒だ。
彼が小走りでこちらへやってくる。二人はにこにこと微笑みながらあとから追い付いてきた。
「なにしてんのこんなとこで」
「孝支こそ。今日早いね」
今日も部活動はあったはず。それにしては帰るのが早い。
「明日集会で体育館使うだろ。で、準備があるとかで」
早々に終了を余儀なくされたと。
「そう。お疲れ」
「ありがと」
「参宮は?スガを待ってたのか」
澤村くんがにやりと孝支の後ろから顔を出す。
「違う」
私が首を横に振ると、何故か東峰くんが焦る様子を見せた。
「ただの偶然だよ」
「本当か?」
「本当」
「おい、やめろよ」
尚も疑る澤村くんを、孝支は東峰くんとまとめて追いやる。
「はいはい。あとはお二人でどうぞ」
なにかにつけて澤村くんは私たちをからかいたがるものだから、もうすっかり慣れてしまった。
私も二人に手を振って見送る。
橋の上に残ったのは、私と孝支。
「で、本当はなにしてたの」
隣に並んだ彼も、オレンジ色。めちゃくちゃ冷えてるじゃん、と確認するように私の指先を握った。
「用ないなら、帰るべ。送るからさ」
「ん」
私は橋の下、川を指差す。
「川?川がどうかした?」

「携帯電話落とした」

「はっ!?」
小一時間程前に起こったことを孝支に説明した。
橋の中程で立ち止まり欄干に肘をついて件の端末を操作していたら、後ろから走ってきた自転車二人組の内の片方にぶつかられたのだ。その弾みで私の手からそれは投げ出されてしまい、弧を描いてあっという間に川に落ちて見えなくなった。そして、誰だか知らない自転車の犯人はお喋りに夢中で気付くことなく走り去った。
「ぶつかられた?怪我は?痛いとこないか?」
彼は私の肩や腕を擦る。
「ない」
首を横に振ると、今度は欄干から身を乗り出した。
「ちょ、孝支危ない」
腕を掴んで止めさせると、私に向き直って「で、それいつ?なんでもっと早く言わないんだよ!」と自分のことのように慌てふためく彼。
「一時間くらい前だし。流れてったなあと思って見てたの」
「なにしてるんだよ!」
川底に引っ掛かってるかもしれないから拾いに行こう、と孝支が私の手を取って土手へと駆け出そうとする。
「いや、いいよ。本当に流れてったの」
「でも」
「要らないよ、あんなもの。帰ろう。お腹空いた」
さらさらと流されていくちっぽけな機械に、改めてその価値を問った。
あんなものに振り回されて、わざわざ生活を忙しくする必要などないのだ。
誰と連絡を取る、どんな記録を残す、何処で情報を得る―――恐らくは現代社会に生きる人々の大半を知ろし食しているテクノロジー。
チープなチープな文明の利器。
川に流されてしまう癖に大層なものだ。
「要らないって・・・なかったら困るだろ」
「そうかな。あんなものに頼らなくても生活は出来るでしょ。なくても死なない」
「大袈裟だなあ。そんな飛躍した話じゃないべ」
孝支は食い下がるけれど、携帯電話がないと日常生活に支障があると思う方がよっぽど大袈裟だ。
「じゃあどういう話」
首を傾げながら、じっと彼を見つめてみた。私がなるほどと思うような答えを、孝支が持っているのを期待して。
すると、彼は少し視線を揺らしながらおずおずと口を開く。
「メールとか、電話とか・・・俺と毎日するだろ」
「・・・ああ」
それなら。
「家の固定電話、番号教えてあるよね。そっちにかけてくれたらいいよ。子機部屋に置いとくから。メールもパソコンのアドレス知ってるよね」
「そ、れはそうなんだけど・・・」
うーん、といまいち納得してなさそうに孝支が苦笑を浮かべた。
なによ、煮え切らない。
私は手を伸ばして彼の両頬に触れると、力を入れてぐいっと引き寄せた。要するに、孝支の顔を引っ付かんでいる。至近距離に、いつもつい見惚れてしまう色素の淡い髪と優しげなまるい目。
「私たちの繋がりが、あんな端末の有る無しで左右されるものだと思いたくない」
こつんと触れていた額同士が離れたのも束の間、私はそのまま孝支の唇に口付けた。
いつまで経っても、私を一つも上手く言い包められないのね。
「だめな人ね」
「う・・・」
「でもすき。お父さんが出るかもしれない家電に緊張しながらかけてくれたらもっとすき」
「・・・がんばるよ」
孝支は観念して眉を下げ、息を吐いて頷いた。
それを見て私がくすくす笑うと、ふいに抱きすくめられる。
「じゃあ、次は璃和」
「うん?」
なにが、と疑問符を浮かべた私の耳元で、彼は囁いた。

「意地張るなよ」

「なにそれ」
むっとして見上げると、孝支の困ったような笑顔。
「本当は、ぶつかられたところ痛いんじゃないのか」
「・・・」
「本当は、素知らぬ顔で走ってった自転車に腹が立ってるんじゃないのか」
「・・・」
「携帯電話、まだ新しい方だったべ」
「・・・」
一時間かけて鎮めた感情が、ぶり返してくる。
「ふ、うっ・・・」
「ほら、泣きな」
そんな風に言われて、頭を撫でられて。
「孝支の馬鹿あ!」
「うん」
コートの背中を、力一杯握り込んで抱き着いた。肩に額を押し付けて、私の方が馬鹿みたいに泣いた。
「背中痛い!ハンドルが当たったのよ!」
「うん」
「前見て運転しなさいよ!」
「うん」
「二列走行なんてしてるんじゃない!」
「うん」
「折角、お父さんとお母さんが買ってくれたものだったのに!」
「・・・うん。そうだよな」
私とは対照的に孝支の手の触れ方は柔らかくて、それでいて背中からは確かに温かさが伝わってくる。

「孝支からのメールも、孝支に送りたかった写真も、全部、全部・・・!」

消えた。
どんなに言い聞かせても、もう戻ってこないのだという事実があまりに悔しい。
あんなものに、生活を左右されてるなんて思いたくないのに、それでも。
あの大きなオレンジの夕日を、孝支に見せたかった。
なんてことない写真だったし、被写体に拘りはない。
ただ、私が今日見たものを、孝支の目にも―――なんて。



気が済むまで泣いて涙を拭うと、孝支はなにも言わず私の手を引いて歩き出した。
(ああ、なんか大丈夫かも)
こんなにもダメな私のことを叱ってくれて、想ってくれる。背中を見つめながら、あんな端末での繋がりなんて、やはり些細なものかもしれないと考え直す。
彼がこうして手を引っ張っていってくれたら、何処かで転んだとしても私は歩いていける。
孝支の傍にいられる、それだけで私は誇らしくいられる。
「孝支」
「んー?」
振り向いた瞳を、私は今夜夢に見るだろう。
「本当に、電話してよね」
「勿論」



幸せだって叫んでくれよ


眠れないと何度も寝返りを打った末に、夢の中でも彼と会うだろう。



[ 19/22 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -