下らないことで喧嘩した。
今まではこんなことなかったのに、どうしてあそこまで言ってしまったのかと、私は後悔していた。


幸せの瞬間を作り出そう


謝り方がわからない。
原因が些細なだけに、改めて謝るにはなにか特別なきっかけが要るような気がした。

「はい、和成くん。これお弁当ね」
「ありがとう」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

会話はあるのに、目は合わさない。そしてことばは端的でお互いに余所余所しい。新婚二ヶ月目にしてこの空気である。
今日こそは謝ろう謝ろうと思いながら切り出せず、先週末に事が起こってからもうすぐ二度目の休日がやってくる。
玄関で和成くんを見送って、そのまま座り込みそうになる。
(いけない、いけない)
私もそろそろ出勤しなければ。
新しいプロジェクトが部署肝入りで立ち上がったばかり。任された仕事の責任は今までより大きいものだから、必ずキャリアアップに繋げたい。
とはいえ、今日はノー残デー。
(早く帰って来られるし、いつもより美味しいごはん作って仲直りしよう・・・出来れば)
ここ最近は特に根を詰めすぎていたし、ゆっくり時間をとれるといいな―――
そんな弱々しい決意を固め、上の空な気持ちで家を出てその事故は起こった。




「いいか璃和、お前は考え事をしているとすぐに注意力が散漫になる。それをしっかり自覚しろ。今回は大したことがなかったからよかったものの・・・」
云々かんぬん・・・と私は怪我の処置受けたあとで緑間先輩からお説教を受けていた。
「すみません」
今や立派なドクターとなった彼は、中学時代の兄の部活仲間であり、高校では和成くんの相棒だった。私は二人よりも長く、中高ともに付き合いがあった。だからこそ仲間内では誰よりも知っているつもりだが、冷たそうな印象とは裏腹に実は結構面倒見がいい。
今も緊急搬送されたのが私と知るや否や駆け付けて来てくれた。
緑間先輩の勤務先に運ばれたのはただの偶然だった。けれど、当直明けの申し送りが終わって終業となったのに、白衣のまま外科病棟から飛んできてくれたのは本当に心強い。
「お前になにかあったら心配する人間のことを考えろ」
うっ。
本当に、大したことなどない。横断歩道を渡ろうとしたときに、左折してきた車に接触された自転車に接触されて転んだだけなのだ。避けようと思えば出来たはずの不運な事故。というか、ただのドジだ。情けないことこの上ない。
しかし。
私は和成くんと兄さんの顔を思い浮かべた。
「それはちょっと・・・」
「だろう」
「はい」
「高尾にはもう連絡済みだ。直に来るはずだ」
「はっ!?え、だめです!」
緑間先輩の口から和成くんの名前が出た瞬間、私は彼の白衣の袖を掴んだ。
気が利きすぎている。
「なにを言っている。当然だろう」
先輩は怪訝そうにしながらも、私の手を振り払うことはしない。すみません、と謝って私はそれを離した。
「いや、あの、帰ったらちゃんと話すので・・・」
「・・・・・・」
「喧嘩、してるんです」
先輩の視線による無言の圧力に耐えきれず、ぼそぼそと白状する。
「本当は早く謝りたくて・・・でも事故に遭ったなんて職場で知ったらきっと余計な心配をかけてしまいます」
ただの掠り傷なのに。
「お前が喧嘩?高尾とか?高尾がお前に怒ったのか?」
見上げると、先輩は心底驚いたといった風に目を見開いていた。珍しく矢継ぎ早に問いを投げ掛けられる。なにがそんなにおかしいのか私も解らず、首を傾げつつ、詳しく話した。
「この前の週末なんですけど、部屋のカーテンを替えようという話になってお買い物に行ったんです」
それまでは、私が一人暮らしをしていたときのものを持ってきてなんとなしにそのまま使っていた。が、色も褪せているし、折角だから買い替えようと急遽決まったのだ。
そしてホームセンターで見て回っていたのが、「あれはどう、これはどう、和成くんはどれがいい」と私が訊いても、彼はどれでもいいというばかり。関心がないのかと思った私は、そこで不満を口にしてしまった。どうでもいいんだ、と。
「和成くんのすきなものを選んでもらいたかった私の独り善がりです。私が一方的に怒ってしまって」
彼はきっと、家でゆっくりしていたかっただろう。特に最近は忙しそうに見えたし、私からの配慮が足りなかった。
「そう、謝りたいのに・・・」
膝の上でスカートをぎゅっと握る。
「やはり赤司にも連絡するか」
目を丸くしたままの緑間先輩がポケットから携帯電話を取り出した。
「何故そうなるんです」
兄への連絡も駄目だ。海外赴任中で時差もあるし、多忙の身。まず怪我だの喧嘩だの、それしきのことで連絡なんかしてはいけない。
「お前があいつと喧嘩とは、大した進歩ではないか」
意地悪く僅かに口角を持ち上げた先輩は、冗談だと端末を仕舞う。彼の方こそ、冗談をいうなんて昔とは随分変わった。
「赤司が聞いたら高尾を殺しかねんがな」
「それはジョークが大袈裟すぎます」
「冗談だと思うか」
「兄さんがまるでシスコンみたいじゃないですか」
「なにを言っている。あいつは筋金入りのシスコンだぞ」
「ええ?」
私が素頓狂な声を上げるのも構わずに、緑間先輩は「そろそろ高尾が来る」と言って踵を返す。
「会われないんですか」
「お前たちの喧嘩になど立ち会っていられるか」
吐き捨てるような口振りでも決して怒っている訳ではなく、かといって心配をするようでもない。
私たちの喧嘩の結末が、もう見えているかのようだった。



「ここにいろ」と釘を刺されて逃げることなど出来ずに、私は大人しく和成くんを待つことにした。
色んな人の声や機械の音、薬のにおいが溢れるこの廊下の先から、もうすぐ彼は私を探して来てくれる。仕事を放り出して、きっと汗だくで走ってくる。
心配かけてごめんねって謝って、週末はお菓子を作ったりなんかして、うんと労ってあげたい。下らない意地を張ってても解決なんかしないのだから。
腕時計で時間を確認し、天井を仰いだ。
彼を待つ間が落ち着かないのは、昔とちっとも変わらない。申し訳なくっても、早く早くと思ってしまう。

「璃和ちゃん!」

その期待に応えるように、騒がしい廊下に響いた私の名前。
「和成くん!」
大きな足音が近付いてきて、私の目の前で止まった。周りの人が顔を顰めるのもお構い無しで、こんなにも取り乱した彼を未だかつて見たことがあっただろうか。
忙しなく肩で息をする彼の額や頬から、首筋まで汗が伝っている。
「大丈夫!?」
私がびっくりするくらいの声量で肩を掴まれた。
「う、うん・・・」
「事故に遭って怪我、したって・・・」
ぜえぜえと荒い息混じりにことばを紡ぎながら、私の旋毛から爪先までをよく確認する。
両掌の絆創膏と左腕の包帯、右腕の痣を見つけて和成くんの目が潤んだ。
「・・・!」
絶句している彼を前に、
「大丈夫だよ」
と呟くのが精一杯だった。本当に、軽傷なのだ。でも和成くんに心配をかけたことを思えば、そちらの方が余程心が痛い。
「全然大した怪我じゃないよ」
さっき緑間先輩も来てくれて、と俯いて黙ってしまった彼になんとかいくつも声をかける。
「か、和成くん・・・?」
しかしそれらに対する反応がない。肩を掴んでいた手が腕から手へ滑っていき、私の指先をぎゅっと握ってしゃがみ込んだ。
「璃和ちゃんに・・・もしものことがあったらって・・・俺、本当に・・・」
和成くんの手が、熱くて震えている。
私は一体、どれ程不安にさせたのだろう。
「ごめん、ごめんね、和成くん」
手を握り返し、大丈夫だからと繰り返した。いけない、私まで泣いてしまいそうだ。
「喧嘩、したままだったし」
「・・・うん」
下を向いたまま、彼はゆっくりと語り出す。
「ちゃんと話せばよかっただけのことなのに」
「・・・うん」
和成くんの吐露する思いに、私は何度も頷いた。
「そうだね」
私たちは、まだまだお互いについて知らないことやことばを使わなければ通じ合えないことがきっとたくさんある。けれど、理解しようとすることを、決してやめたりはしない。

こんなにも愛しい人から、離れていくことなど出来ないのだから。

「私も、ずっと謝りたかったの。あんな些細なことでムキになって、和成くんに嫌な思いをさせたこと」
ここ最近和成くんは忙しそうにしていたから、家は少しでも彼の過ごしやすい場所にしたかった。その一つとして、新しくするカーテンは折角だから彼の好むものを選んでほしかった。
「押し付けだったね。そんなことより、もっと違う気の遣い方があったはずなのに」
だから、もう顔を上げてほしい。
そう伝えきると、和成くんは目を丸くして私を見上げてくる。
「ごめんね」
まっすぐに見つめて、心からすんなりと謝ることが出来た。ああ、こんなに簡単なことに、どうして一週間も時間を要してしまっていたのだろうか。手を握る力を、更に強める。
「璃和ちゃん・・・」
「和成くん?」
「俺の方こそごめん!」
「わっ」
唐突に、視界の角度が変わった。
ぎゅっと強く抱き締められていると、すぐにわかる。熱い熱い体温が、回された力強い腕が、私を包んでいる。
周りの目など、もう関係ない。
私も、そっと彼の背中に手を添えた。
「同じこと、考えてたんだ」
「えっ」
「なのに、喧嘩しちゃってたんだ。馬鹿だな、俺も」
抱擁を解いた和成くんは、申し訳なさそうに眉根を寄せている。
「同じことって?」
「言い訳に聞こえるかもしれないけど。二人で暮らす部屋のことだから、関心がなかった訳じゃないんだ。ただ、本当に璃和ちゃんのすきなものを選んでほしかったんだよ」
理由はわかるよね、と彼は微笑む。
「それって」
「璃和ちゃんと一緒。部屋を、璃和ちゃんの好きなものでいっぱいにしたかったんだ」
あまりに優しい声と、柔らかな表情。随分と久し振りな気がする。
「私ばっかりが選んでたら、部屋がかわいいものだらけになっちゃうよ」
「それがいいんじゃん。そんな空間で笑ってる璃和ちゃんと暮らすとか最高」
「ふ、なにそれ」
思わずこちらも笑ってしまった。私は、和成くんのそういうところがだいすきでたまらないのだ。
「仲直りしよ」
私はぶんぶんと首を縦に振る。
「じゃあ、新しいカーテンの色は―――」

オレンジ。

二人の声が重なった。
何度か瞬きをして、くすくすと小さく笑い合う。
私たちは、まだ夫婦になったばかり。
たくさん、これからの話をしようよ。


もっと見つめ合って

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