人から好かれたら、誰もが必ず幸せな気持ちになるのだと思っていた。


愛のない話


ちょっと前からいいなって思っててーーー付き合って下さい、と言われた。
高校生活三年目にして初めて異性から告白というものをされた。
「はあ…」
相手は同じクラスの男の子で、今月初めの席替えで私の前に来た。それをきっかけに大して話した訳でもないし、知っていることと言えば森本という苗字と帰宅部だということくらい。マサフミという名前の漢字も知らない。その程度の関係なのに、一体彼は私の何処を見て好意を持ってくれたのだろうか。私から彼に対して印象を語るとするならば、素朴そうで、悪いようには思わない。目立つ存在でもないが、暗いという訳でもなさそうだ。
目の前にいる友人曰く「普通。」だそう。 彼がそういうならば普通なのだろう。
恐らく付き合えば普通のカップルになれる。なのに返事は保留にしてしまっていた。
一体なにが欠けているというのか。私自身、選り好み出来るほど上等な人間ではないのに。
「どう思う、健介」
溜め息ながらに訊ねると、威圧感のある吊り目が更に持ち上がった。
「俺が知るかよ」
付き合いも三年目になると、容赦のない友人である。真剣に悩んでいるのだが、健介は至極鬱陶しそうだ。
「ごちゃごちゃ考えててもどうせお前の頭じゃ答えなんか出ねえよ」
「あんだってコラ」
喧嘩売ってんのか。
負けじと私も目を吊り上げて睨んでやる。
「矛盾してんだよ」
しかしそれを意にも介さず今度は彼が溜め息を吐いた。おい、この状況で頭の悪そうな人間を見るような目はやめろ。
「矛盾?」
「普段は手ぇ繋いで歩いてる奴ら見かける度に呪いかけてる癖に、いざ自分が告白されたら舞い上がるどころか頭抱えてやがる。これが矛盾以外のなんなんだよ」
「だって…もっと嬉しいものだと思ったんだもん」
理想と現実がこんなにも違うだなんて、私は知らなかったのだ。
「その分だと気付いてねえな」
「なにに」
「璃和、お前多分あいつと付き合っても長くはもたねえよ」
「なんでそんなことがわかるの」
「さっきから璃和は森本に対して全然肯定的じゃねえんだよ」
健介が言うには、私はずっと否定形で彼のことを話していたらしい。
悪いようには思わない、目立つ存在ではない、暗いという訳ではない。
「本当だ」
「そんなんじゃあ付き合っても璃和が振られて終わりだな」
にやにや笑った健介が「あーあー可哀想」と大袈裟に肩を竦める動作を見せる。
「う、うるさいな!」
握っていたシャープペンシルの芯がぱきりと微かな音をたてて折れた。いけないいけない。落ち着こうと私は深く息を吐く。そして消しゴムに持ち替えて歪んだ文字を消した。
「…確かに、健介の言う通りかもね」
普通は、人から好意を寄せられしかもそれをはっきりと伝えられたら否が応でも多少は気にするだろうに。
私は気まずささえ抱いていた。
「なんだよ隣人愛って…」
「この学校で三年にもなってそれを問うのか」
「だって考えてみたらそうじゃない。うちの主将だって、モミアゲでアゴでゴリラなのにいつも彼女欲しいとかモテたいとか言ってるでしょ。人を愛する心があるのよ。モミアゲでアゴでゴリラなのに」
私は持っていた消しゴムをころんと机に転がしそのまま突っ伏す。
「私には愛がない…」
「確かにあいつは彼女欲しいともモテたいとも言ってるしモミアゲでアゴでゴリラだがな、それは愛じゃなくて下心ってんだ」
「心は心でしょ。私にはないものだわ」
首だけ回して、伏せた顔を窓に向けた。あ、前髪がぐちゃぐちゃになった。
夕暮れの景色に、うっすらと私の間抜け顔が重なる。
まあいいか。
「なにそんな卑屈になってんだよ」
「なってない」
「なってるだろ。ほら、ったく」
呆れた顔をしながらも私の乱れた前髪に手を伸ばしてきて、梳いてくれる。
「健介え…」
雑な力加減なのに、ひどく温かく感じられた。何処まで兄貴気質なんだ。文句を口にしつつ、一癖も二癖もある後輩の面倒だって日々きっちり見ているし、本当に健介はいいやつだ。
「なにか悩んでんならいつでも言えよ。お前は大事な…あー、うちの、マネージャーなんだからな」
そんなことを、大真面目に言ってのける。
(頼もしく、なったな…)
一年生の頃は最下級生だったから責任なんてなくて、二年生になればますますバスケに没頭して。
副主将になってからか。
ゲームの中だけでなく、部として全体をよく見るようになり、自分の役割を自覚して全うする為に努力を怠らず積み上げてきた。きっと、素質から考えれば自然な成長ではある。
だけど。
「悩みは、ない」
傍で見てきて、その健介の三年間の軌跡があまりに立派に思えた。私が偉そうに言うことではないが、すごく、すごく、大それたことのように感じられる。
「本当か?ならいいけどよ」
健介は、そうして自らの手でウィンターカップでの全国制覇を成し遂げるのだろう。
「ついさっきまでは…」
「は?」
一瞬だけ安堵に緩めた表情を、彼はまたすぐに歪めた。
「どうしよう、健介」
「なんだよ」
「健介がめちゃくちゃ格好よく見える。惚れそう。ていうか惚れた。どうすればいいの」
森本くんのことは扨置いたとして、本当にさっきまでは大した悩みなんてなかったのに。
突然健介が悩みの種になってしまった。
「お前なあ…」
そして何故か健介も頭を抱える。
「なんで俺が三年近くも言えなかったことを一瞬で言っちまうんだよ…」
「……え?」
俯けていた顔を上げると、彼はがしがしと髪を掻いて乱す。
「え?じゃねえわボケ!」
「は!?」
かと思えば突如切れ始めた。
「すきじゃなかったらこんな時間まで一緒に宿題なんてやんねえよお前みたいなバカと!お前バカなのに!」
椅子を蹴倒して立ち上がった健介が、私を見下ろしながら指を差す。
「ちょ、なんで私いきなり貶されてんの、さっき告白されてなかったっけ」
都合のいい聞き間違いだろうか。解釈のミスだろうか。いや、バカでも解る。私は今、大変理不尽に健介から怒鳴られている。
「クラスメイトに告白されたからっていい気になるなよ!」
「なってないじゃん」
「璃和、お前にそんな甘酸っぱい青春なんざねえ!ウィンターカップで優勝するまでバスケ部できっちり働いてもらうんだからな!」
「私大事なマネージャーじゃなかったの」
「たった今から馬車馬に降格だ!」
「ねえ健介意味わかんない」
私みたいなバカにもわかるように話してよ。あんたの顔が真っ赤な理由とか、それが私にも伝染った訳とか。場合に拠っちゃ森本くんへの返事が変わってくるんだから。
「森本ぉ?そんなやつ知るか!お前が色恋沙汰に現を抜かしてる暇はねえっつったろ!」
もう健介の言ってることはめちゃくちゃだ。
「そこはあんなやつと付き合うなよくらいは言ってくれてもいいんじゃないの」
「おいまじで調子乗るなよ」
健介もその辺にしといた方がいいと思う。もう旋毛から湯気が出そうになっている。
「健介」
肩で息をせんばかりの気迫を見せた彼を、なんとか宥めたくてゆっくり呼び掛けた。
「んだよ」
「ウィンターカップまで頑張るから…うん、頑張ろうね」
彼を見上げてにっと笑って見せる。
「…当たり前だろ」
ばつが悪そうに、健介は腕を組んでふいと目を逸らした。どうやら少しは落ち着いたらしい。座るように促すと彼は脚を投げ足すようにどかりと腰を下ろした。年季の入った椅子がぎしりと一度軋む。
「で!」
「んだよ」
私は机から身を乗り出して、健介に目を合わさせた。
「私の何処がすきなの!?いつすきになったの!?詳しく教えなさいよねえねえ!」
椅子が再び、今度は彼を載せたまま後ろに引っくり返る。健介の足の裏を見送ったあと間髪入れずに教室内に響いた大きな音に、思わず目をぐっと強く瞑った。
慌てて立ち上がり机の下を覗き込むと、彼は後頭部を押さえて悶絶していた。
「ちょっ、大丈夫!?なにしてんの!?」
手を貸そうとするが起き上がろうとしない健介は、「お前がそれを言うのかよ…」と弱々しく答えるだけった。
暫く椅子に座った体勢で床に張り付いている彼を見つめていたが飽きてしまい、とうとう再度声をかける。
「健介、そろそろ起きたら?椅子もかわいそうだし」
腕で顔を隠したまま、やはりか細い声で健介は呟いた。
「うるせえ…なんで璃和みたいなやつすきになっちまったんだよ畜生、俺が聞きてえよ…」
「泣かないの、ちょっと気になっただけじゃん」
「泣いてねえしまじお前質悪い」
「でもすき?」
「……」
沈黙による肯定と受け取るけどいいかな。
「手ぇ貸せ」
「はいはい」
やっと起きる気になったようで、私の問いには答えず健介は手を伸ばしてきた。私は両手でそれに応える。
「サンキュ」
「ん」
立ち上がった健介は、一緒に倒れ込んだ椅子も起こした。
「…一年のとき」
視線はやっぱり合わせないまま、健介が徐に口を開く。
「俺が練習中に肘擦り剥いたことあっただろ…っつっても璃和は忘れたかもしんねえけど」
うーん、擦り傷掠り傷なんてみんなしょっちゅうだからなあ。一年生のときの記憶をざっと思い返してみるが、そんなものいちいち覚えていない。
「具体的にいつ?」
「四月。まだ殆ど話したことはなかった頃だ。そんとき絆創膏貼ってくれたのが璃和だったんだよ」
「……」
「……」
え、そんなまさか。
話の続きを一応待ってみるが、それ以上健介が喋りそうな気配はない。
「それだけ!?」
痺れを切らした私は声を上げた。
「オイコラ、だけってなんだよ。もう十分白状したろ」
「もっと他にないの?それだけで惚れるとか単純すぎるよ大丈夫?」
「なんだその心配の仕方!璃和こそもっと他に感想ねえのかよ」
今の短い話にそんな大層な感想など持てない。
「私の愛って絆創膏一枚分なんだあ…としか」
やはり私には愛なんてないに等しいのだ。目の前に怪我してる人がいたら絆創膏差し出すのくらい誰でもとる行動だろう。健介の手当てをしたのが違うマネージャーでも、彼はきっと同じように惚れて三年間想いを寄せたに違いない。
「そんなことねえよ。入部したばっかで、練習が中学のときとは桁違いにきつくて…自信なくしてたときだったんだ」
曰く、そのときの私は健介になにか琴線に触れることばをかけたらしい。
「私、なんて言ったの」
「それこそ絶対ぇ言わねえ。知りたきゃ自分で思い出せ」
健介は強引に話を打ち切り、机の上に広げ課題やテキストを片付け始めてしまった。
本当に口を割らなさそうだったので、諦めて私も片付けに入る。あれ、全然進んでないじゃん。空欄の目立つプリントに私は白目を剥いた。
「お前バカすぎ。問題全然出来てねえし、自分の言ったことも忘れてるし」
私の手元を覗いた健介が屈託なく笑う。ああ、むかつく憎まれ口。
そんなことを言いながら、ずっと私をすきでいてくれたんだ。私でも忘れちゃってるような出来事を、ずっと覚えてるくらいには。
本当、憎いやつだ。
私、こんなやつになんて声をかけたんだろう。過去の自分のファインプレーが俄には信じがたい。
「思い出せないよ健介。嬉しいのに、このままじゃ素直に喜べない」
「お前、嬉しいのかよ」
「当たり前。健介からそんなこと言われて喜ばない訳ないでしょ」
「…そうかよ」
健介こそ馬鹿でしょうが。私、さっき惚れたって言ったのよ。




他の誰かにとっては、愛のない話


好くのも好かれるのも、誰でもいい訳じゃないらしい。





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