「俺、参宮のことすきだわ」
まさか言ってしまうとは、自分でも思わなかった。





「先生ー、プリント提出しに来ました」
手には授業中に居眠りした罰として出された理科の課題。漸く終わらせて期限ギリギリで、理科室に提出しに来た。
先程職員室に行ったのだが、不在。どうやら先生は理科準備室を私物化しているらしく、大体いつもそこにいるのだという。
しかし、
「先生なら、今いないけど」
教室の後ろの方から返事が飛んできた。
先生ではない。一人の女子生徒が、こちらを振り返って見ていた。
「マジかよ」
顔を顰めると、彼女は俺をじっと伺ってくる。
「どうすっかなー。今日の昼休み提出っつってたのにいねえとか」
ホチキスで留められた数枚のプリントを左手に、頭を掻いた。
「……」
無言でこちらを見つめていたその女子がなんとなく事情を察したのか、再び口を開いた。
「…私が預かっておこうか」
多分先生は、昼休み中には戻ってこないよ。そう言って歩み寄ってくる。俺も教室内に足を踏み入れた。
「私がそれを預かっておけば、あなたは期限を守ってプリントを提出したことになる」
どんな根拠かは知らないが、彼女は断言する。考え込んだのは数秒で、「あんたがいいなら、頼むわ」と俺は素直に紙の束を渡した。彼女も、首肯して受け取ってくれる。
しかし預けてすぐいなくなるのもどうかと思い、俺も暫く教室に留まってみることにした。ちょっとだけ。
俺の預けたプリントを手に彼女は窓辺に戻っていく。俺もなんとなく歩み寄ってみた。
すると、何故かじっと見つめられる。
真っ黒な丸い瞳が、ぴくりとも動かず俺を見上げてくるのだ。
「な、なんだよ」
「いや、何処で見たんだっけと思って」
小首を傾げるが、やはり無表情。
おまけに主語もない。なにを、誰を、と束の間考え込んでしまった。
「…俺?」
「そう」
「同じ学校だし、そりゃ何処かでは見てるだろ。同学年だしな」
彼女の足元を指差すと、なるほどと頷く。
「それもそうだね、虹村くん」
プリントに目を遣りながら、彼女も俺の名前を口にした。不意を突かれつつ、訊ね返す。
「で、あんたは?」
「…参宮璃和」
少し間があってから小さな声で名乗った彼女を、俺も見たことがあるのだろうか。
「参宮さんね。ここでなにやってんだ?」
少なくとも、ことばを交わすのは初めてだった。



虹村くんは、机に上げてあった椅子を下ろしてどさりと腰を下ろす。プリントは確かに預かったはずなのだが、と奇妙に思いながら答えた。
「金魚の世話。あとはこの辺の植物も少々」
水槽といくつかの鉢を指し、目で追っていく。
「それなんの係りだよ」
「雑用。あ、あとそこのめだかも」
教室の後ろで実は稼動しているエアーポンプの音に、どれだけの人が気付いているだろう。
「え、あの中いたのかよ」
ひっそりと飼われている彼等を、虹村くんも知らなかったようだった。
「先生に頼まれてんのか」
「うん。昼休みに、餌やりに来てる」
話しながら如雨露に水を汲み、端から植物たちに与えていく。最初の頃より随分大きくなったし、葉に光沢も戻った。青々としたそれらを一枚ずつ確認していると、背後から「くくっ」と喉を鳴らす音。
「?」
ふっと振り返ると、虹村くんは笑っていた。
「楽しそうだな」



思わず耳を疑った。
そんなこと、今まで言われたことないな。
(楽しそう…)
勿論、馬鹿にしたニュアンスではない。
確かに楽しいけど、そう見えたのだろうか。変わった目をしている、と失礼なことを考えた。
水を替えたばかりの綺麗な水槽の前に椅子を置き、爪でかつんと突く。
「お前は、かわいいね」
昨日の彼のことばが頭から離れない私を一瞥して、金魚はひらりひらりと尾鰭を翻す。まるで、「そんなこと知ってるよ」とでも言いたげに。
「参宮、虹村のプリント預かってくれてたのか」
準備室から顔を出してきた先生の口から発せられた“虹村”の名前に耳がぴくりと反応する。
「そうですよ」
実は、雑用を任せる目的で私は準備室のスペアキーを極秘で先生から渡されている。だから、虹村くんのあのプリント提出を仲介したのだ。
「ご苦労、飴をあげよう」
先生が、棒付きキャンディを投げて寄越す。
「ありがとーございます」
キャッチすると、先生はまた軋む木製のドアの向こうに消えた。
(うわ、メロン味…)
先生には悪いが、これは食べられない。
「苦手なんだよなー」
私にしか聞こえないようにごちた。持ち帰って弟にでもあげようかな。
「先生、私もう戻りますね」
そろそろ教室に戻ろうと一声かけて理科室を出ると、虹村くんその人に出会した。
「虹村くん」
「参宮。今日もいたのか」
「うん。というより、毎日いる」
頷きながら、彼の後ろを見遣る。
そこには虹村くんが連れていたらしい、凡そ中学生とは思えない程の体格の、
(一年生?)
紫色の髪をした彼が、私をじっと見下ろしていた。
「…なに」
「甘い匂いがするー」
「オイ紫原」
屈み込んできた彼を、虹村くんが制した。
「もしかしてこれ?」
匂いの元が思い当たる私は、さっき先生にもらった飴を胸元のポケットから取り出し差し出す。彼は「いいの?」と長い前髪の向こうで顔を綻ばせた。
「…紫原、もう行っていいぞ」
虹村くんは呆れながら手を振る。
「はーい」
飴のフィルムを剥がしながら、彼はのしのしと擬態語が聞こえそうな様で歩いていった。
「悪いな、うちの部員が」
申し訳なさそうに、虹村くんは眉根を寄せる。私は後ろ手にドアを閉めながら、首を横に振った。
「部活の後輩?」
「ああ」
紫色の一年生は規格外であったが、改めて見ると彼も体格がいい。
「虹村くんって何部なの」
「……」
「なに」
なにが癪に障ったのか、虹村くんは目を細めて私を見下ろす。
「バスケ部だけど」
「そうなんだ」
帝光はクラブ数も多いし、総じて強い。みんな青春だなあ。彼にも、バスケットボールという熱心になるものがあるのか。ぼんやり虹村くんの肩を見つめた。私のそれとは全く違う、しっかりした幅のある男の子のもの。
(なんか私、変態みたい…)
コート上で躍動する彼のユニフォーム姿を想像して、勝手にどきどきしてしまった。
彼が苦虫を噛み潰したような顔をする。
私の疚しい考えが読まれてしまったのだろうかと、思わず視線を下げた。
「自意識過剰か…」
「?」
「自分が、知られてると思ってんのは」
どうやら、思考がばれた訳ではないらしい。
「虹村くんでしょ」
「…そうじゃねえよ」
なにが自意識過剰でなにがそうじゃねえのか真意を図りかね、私は口を閉じる。
虹村くんは虹村くんだ。
私が知っている彼は、私を真っ直ぐ見てくれた虹村くんだけ。



特に深い意味などない。
そのままの意味だ。
ちょっと愛想が悪く見える女子が、俺を知らなかったなんて別に落ち込むような話でもない。
と、思った。しかし、参宮のことを考えれば考える程。
(…落ち込むだけの理由があるんだよな)
板書の写しが全く進まない。開いただけの真っ白なノートを睨みつけながら、俺の頭は授業とは関係のないことでいっぱいだった。
さっきの彼女の顔や声、ことばや紫原に飴を渡した仕草一つ一つを思い出す。
惚れてしまっている。
柔らかい印象というよりは、クールだった。話し易い、落ち着いた声がどうしても耳に残って離れないのだ。
「虹村くん」
と控え目のトーンで呼ばれただけで、新鮮な気がした。女子からは媚びるように話しかけられるのが常だからだろう。わざとらしい上目遣いもしない。
ただ、金魚や植物のことを話すときだけ楽しそうに少し笑っていた。
それ以外、殆ど彼女のことを知らない。
(参宮の気って、どうやって引くんだろうな…)
参宮も俺のことを知らなかったんだ。
当たり前といえば当たり前ではあるが、道程は長い。
(いや、いきなり親しくなるなんて誰だって無理だ)



時間があるときは、参宮に会う為理科室を覗きに行った。
「また来たの、虹村くん」
部活が忙しく頻回にとはいかなかったが、訪ねれば本当にいつも彼女はいる。
「通り掛かったからな、なんとなく」
「そう」
俺のそんな軽い嘘を、信じているのかいないのかはどうも推し量れない。
それくらい、参宮の返事も軽かった。
決して鬱陶しがったり、追い返そうともしない。
「今日は水替えんのか」
「うん。昨日カルキ抜きした水を用意してたの」
「重てえだろ。持つ」
水槽の水替えを手伝ってみたり、
「虹村くんもあげてみる?」
「おう。なんか懐かしいな、小学生の頃思い出すわ」
「懐かれてる気になるよね」
金魚に二人で餌を与えてみたり、
「ごめん、そこの如雨露に水汲んでくれない」
「この辺の鉢に遣っといたらいいのか」
「そう。ありがとう」
名前も知らない植物に水遣りをしてみたり。
回数を重ねていくと少しずつ会話が増えて、目が合うことも多くなった。
これはなかなかに順調じゃねえか、そう思っていた矢先。
言ってしまったのだ。
「俺、参宮のことすきだわ」
数秒の間があって、参宮は何度か瞬きをする。
「やっぱり虹村くん、変なこと言うね」



金魚や植物の世話をする私を楽しそうと言った虹村くんは、当初から私にとって不思議な存在だった。
通り掛かったからという理由だけで、私を手伝ってくれる。勿論ありがたいのだが、不可解だ。昼休みの理科室など普通なら誰も用はない。金魚や植物の世話が楽しいなんて、私くらいだろうに。これは、先生に押し付けられた雑用の範疇なのだ。
次に、そんなことを言う虹村くんって、どういう人なんだろうという疑問が生まれた。
私は、不思議だ変だと思うばかりで、彼のことをなんにも知らないのだ。
そんな中でも、昨日の虹村くんのことばは今までで一番突拍子がなかったと思う。
(すき?鋤?数寄?)
頭の中で何度も繰り返した。
水槽の傍で頬杖をついて、横から覗き込む。ポンプが作り出す細かな水泡を見つめながら、餌をぱらぱらと水面に蒔いた。それに気付いた金魚たちはゆっくりと浮上していく。そうして、きらきら光った鱗を目で追っていると。
(思い出した)
彼を、何処で見たのか―――部活の集合写真だ。
夏休み明けの校内報で大きく取り上げられていた男子バスケットボール部の、その中心に彼はいた。金色に輝くトロフィーを手にしながら、それに負けないくらい眩しく、凛々しく。
全国制覇を成し遂げた部の、主将だった。
(虹村くんって、すごい人だったんだ)
何処かで見ただのなんだのと、随分と失礼なことを言った気がする。
そんな彼が、私のなにがすきなの、どうしてすきなの、どういう“すき”なの?
知りたいことだらけで、気持ちがゆらゆら揺れる。金魚が、私の心の中でも泳いでいるようだ。沢山の波紋が絶えず生まれては消えていく。
「今度訊いてみようかなあ」
呟いたのは独り言。
「なにをだ?」
先生が背後からぬっと現れ問い返してきた瞬間、びっくりして椅子から落ちそうになった。
「わっ。驚かさないで下さいよ」
批難を込めて見上げると、だるそうに先生は「お前がぼうっとしてたんだろ」とドアを顎で指す。
「客だぞ、お前に」
そこに立っていたのは、なんとも気まずそうに眉根を寄せた虹村くん。
先生は用件だけ伝えると、準備室に引っ込んでいった。
「餌、あげる?」
手にしていた袋を見せながら訊ねるれば、彼は短く「おう」と返事をして入ってくる。
そんな顔をされると、私もやり辛いのだけれど。



「……」
「……」
なんだこの空気。
なに話そう。なにから話そう。すきだって言っちまった昨日の今日で来たのは、間違いだった。なんかすげえ見られてるし。
「なんだよ」
視線に耐え切れず、俺の方から口を開いた。
「…訊きたいことがあって、どうしようか迷ってる」
「なんだよ」
それを言うくらいなら訊けよ。先を促すと、「じゃあ」と参宮は切り出した。
「昨日のことなんだけど」
直球だな。
「私がすきって虹村くんが言ったの」
「……言ったけど」
それがなにか、と開き直ってしまいたい。こいつのそのあとの返事が、「変なこと言うね」だったのだ。しかも、「やっぱり」って。

「それが、よく解らない」

「は?」
解らない?返事なんざイエスかノーのどっちかだろ?
いや解らない時点でノーなのか。
呆けていると、参宮は水槽のガラスを爪でつつきながら続けた。
「すきってどういうこと。どう答えたらいいの」
それを俺に訊くのかよ。確かに訊けとは言ったが、答えは参宮が決めなけりゃ意味ねえだろ。
「参宮は、俺のことどう思ってんだよ」
「不思議な人」
そこは即答かよ。
「だって私のことすきとか言うし、変じゃない」
伏せた目が、少し寂しい気がした。
「……」
思わず、ガラスをつつき続ける参宮の手を握る。
「んなこと言うなよ」
「虹村、くん?」
戸惑った声と共に、華奢な手がぴくりと震えた。
「迷惑だったのか、すきって言ったこと」
見開かれている目を覗き込むと、暫く泳がせたあと見つめ返してくる。
そして、じっと俺と目を合わせたまま小さく何度か首を横に振った。
(やべえ)
すげえ至近距離。薄く開いた唇に目が奪われる。
やがて、その形のいい唇がゆっくり動いた。


「ううん」






だって、跳ねたんだもの。


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