出会った当初は、興味らしい興味などなかった。
限られた時間での、適当な付き合いになると思っていたのだ。


会いたかったよ


「参宮先輩、そろそろ時間です」
後輩に声をかけられ、私は顔を上げた。書類を伏せて立ち上がる。
「ありがとう。では行こうか」
静かな階段を降りながら、事前にチェックしきれていなかったファイルに目を通す。
「参宮先輩、危ないですよ」
後輩こと斎藤ゆかりに横から注意された。彼女は真面目を絵に描いたような子だ、いやはや全く。優秀で助かってる。そう思いながら、
「んー大丈夫大丈夫」
その有り難い忠告を、平たくいうと無視して聞き流す。ぺらりと一枚書類を捲り、「いや〜要領悪くて困るね」と笑っていたらお決まりのように足を踏み外した。
私は別に声は出なかったが、ゆかりの短い悲鳴は解った。
(あ、落ちる)
支えをなくした身体ががくんと力無く傾いていく。ファイルが手から離れて放り出され、段を下っていった。スローモーションで周りの景色が変な像を描いているのを横目で見、私は瞼を閉じた。
その寸前、まだ何処も打ち付けていないのに視界を鮮烈な赤が過ぎる。
(……血?)
それにしてもまだ着地しない。

「参宮先輩、危ないですよ」

さっき聞いた台詞が、違う声で発せられた。衝撃に備えて固く瞑っていた目を開けると、体が傾いたままの角度で止まっている。
「あれ」
どうやら、誰かに支えられ助かったらしかった。
「大丈夫ですか」
優しいトーンの問い掛けに顔を上げれば、
(…さっきの赤色だ)
なんともまあ見目好い男子生徒。髪も瞳もも作りもののような鮮やかさに目を奪われた。
触れている手は確かに異性だが、そのまだまだ幼い顔付きと小柄な体格からすると一年生だろう。
「ありがとう、大丈夫だよ」
体勢を直し、制服を正した。
「もー!参宮先輩!」
二、三段後ろからゆかりが降りてきて、隣で吠える。危ないって言ったじゃないですか、と涙目だ。
「ごめんごめん」
やはり優秀な後輩の言うことは聞いておくべきだった。
「君にも迷惑かけたね。ええっと」
彼に向き直ると、これまた爽やかな笑顔。
「赤司征十郎です」
名乗るだけで品の良さが見え、感心してしまう。
「ふむ、赤司くん。足止めして申し訳ない」
「いえ、丁度貴女に用がありました。参宮先輩」
落としたファイルを拾って汚れを払い渡してくれた赤司くんは、更にホチキスで留められた数枚のプリントも差し出してきた。
「ん?」
「生徒会に提出の男子バスケ部の書類です。遅くなってすみませんと、主将が」
「ああ、ありがとう」
受け取ってなんとなしに捲り目を通していると、横からゆかりが「先輩、時間がありません」と急かしてきた。そうだった。
「これから主将会議なんだ、赤司くん。帝光バスケ部の活躍は常にみなの知るところ、これからも期待しているよ」
軽く手を振り脇を通り過ぎ、彼の会釈を横目で捉えた。
「ありがとうございます」
さて、会議で使うこんな大事な書類を一年生に預けて遣いに出す、バスケ部の新主将の顔を拝んでやろうじゃないか。
職員室にいた生徒会担当教員に会議を始めると声をかけ、会議室へ入った。

「さて、みんな揃っているかな。会議などつまらないから、さっさと始めてさっさと終わらせよう」
「参宮先輩」
席について軽口を叩くとゆかりに窘められる。
「ん?君は…」
四角に組んだテーブルの角の位置に、先程見た姿が堂々と座っていた。
「一年生じゃなかったの」
赤司くんは、やはり品よく微笑む。
「一年生です。全中が終わり、代替わりして副主将になりました」
部員を三軍まで抱えるあのバスケ部で、そりゃすごい。ただ、今の問題はそこではない。
「主将は」
「主将の代理で来ました。こういう場は、自分に任せると」
「そんなことは事前に聞いていませんね。前例もありません」
名簿を繰りながらゆかりが眉を顰めた。
「いや、いいよ」
私はそれを手で制する。
「合理的じゃないか。上がちゃらんぽらんだとしても脇を固めてくれる人材がいたら却って円滑になるものさ」
「先輩!」
「ゆかりもよく知っているだろう。赤司くんは是非副長職も励んでくれ給え」
冗談めかして雑談を切り、改めて正面を向いた。
「それじゃあ主将会議を始めます。夏休みも明けたことだし、バスケ部のように代替わりした部は名乗ってもらおうかな。それじゃあ、野球部から活動状況を報告して下さい―――ああ、忘れていた。私ももうすぐ代替わりするが、生徒会執行部会長の参宮璃和だ。今日はどうぞよろしく」
これが、私と赤司征十郎との出会いだった。


以降、彼はなにかと理由をつけて生徒会へやってくるようになった。というか、実際は部活・生徒会執行部間はさほど普段からやりとりはないはずだが、下らない遣いですら彼が熟す。虹村という男子バスケ部の主将は、本当になにもしないらしい。それでも赤司くんから不平不満を聞いたことは一度もなく、実に坦坦とした仕事ぶりであった。
そして変わったことがもう一つ。
私も、校内でやけに彼を見かけるようになった。
それは、校内清掃の時間だった。
その頃には会えば私からも声をかけるようになっていて、あの日は視聴覚室の窓から中庭にいる赤司くんを見つけた。私は、空気の入れ換えも兼ねてガラス窓を開け、彼を呼ぼうとする。
しかしその前に彼の声が響いた。
「いい加減にしろお前ら!」
目を瞬かせてみるが、怒鳴ったのは彼で間違いない。声を張ったところなど初めて見た。二人の男子生徒を地べたに正座させている。にやにやしながら成り行きを見守ることにした。
「青峰、黄瀬。どうしてお前たちはそう落ち着きがないんだ」
どうやら、バスケ部の部員がふざけて掃除をさぼっていたらしい。反論を許さず続ける。
「掃除の時間などバスケをしている時間と比べたらごく僅かだ。何故たったそれだけのことが出来ない」
私の前では紳士そうな振りをしているが、感情的になることも出来るではないか。
(かわいいなあ)
本人に言ったら、怒られそうだ。
いいものを見た。
恐らくこのときから、私は赤司くんに興味を抱き始めていたのだろう。


それから一週間後、やはり彼はなんてことない理由で生徒会室を訪れた。
「はいはい、受理したよ。いつもご苦労さん」
私は、いつもここにいるからと言ってなにか仕事に追われている訳ではない。静かな場所が好きで、ゆかりを巻き込んで入り浸っているだけだ。
提出された申請はあとでのんびり見ることにしよう。
「赤司くんや」
机に肘を立てて彼を見上げた。
「はい」
指を組んだ手に顎を乗せる。
「君は、いつでも冷静沈着だと思っていたよ」
「どういう意味です」
「いやさ、この間偶然見かけてね。かわいいところもあるじゃないか」
「言っていることがよくわかりません」
赤司くんの眉がぴくりと動いた。機嫌を損ねたかな。ますます愛らしい。
「君は、思っていたよりずっと面白い」
「そんなことを言われたのは参宮先輩で初めてです」
変なものを見るような目で、彼は私を見下ろした。
「そうか。折角褒めてるんだ、笑っておくといい」
「別に笑うほどのことでもありませんが」

彼が出ていくと、ゆかりが溜め息を吐く。
「ゆかりは赤司くんが苦手かな」
私が引退したら次に彼の相手をするのはゆかりだよ、とからかってやると、
「違います」
一刀両断された。
「そもそも、参宮先輩が引退されたら彼はもう来ませんから」
「どういうこと?」
彼女がすっと目を細める。その表情は、まさか解らないんですかと訴えていた。
「彼は、参宮先輩がすきなんですよ」
「ええっ?」
「私がいても気にせず足繁く通ってくるくらいには」
全くそういう風には見えない。話をするとしても、いつも最低限の用と世間話程度だ。
「そんな」
「ことあります」
二つ下だよ、と肩を竦めるがゆかりは首を横に振る。
「参宮先輩は、赤司征十郎という人物を知らなすぎます」
「赤司くんは赤司くんじゃないか…おい、その目をお止めよ」
彼女は呆れていたが、どちらでも構わない。ゆかりの言うことはいつも正しく的を射ているが、こればっかりは人の心だ。確かに赤司くんは懐いてくれているように感じるが、彼本人からはなにも言われていない以上どうこうすることもない。
後期になれば私も生徒会執行部を引退となる。そうなれば赤司くんの短い夢も醒める。
「私も彼は、嫌いじゃないけどね」
彼を憐れむゆかりの溜め息を、笑って受け流した。


程なくして後期を迎え任期を終えた私は、生徒会選挙を経たゆかりに予定通り会長職を引き継いだ。受験に本腰を入れ始めて、赤司くんと会うことも殆どない。これも予定通りだった。
たまにゆかりに会いに生徒会室を尋ねるが、全く彼には遭遇しない。
「だから言ったでしょう、彼は参宮先輩に会いに来てたんです」
「ふむ」
「その内この辺でばったり会うこともあるでしょう」
「そんなもんかね」


ゆかりは予知能力でもあるのかと思う。
「久し振りですね、参宮先輩」
彼と再び対峙したのは、生徒会室の前だった。やはり私がいなくなってからも来ているではないか。
「これはこれは赤司くん」
また書類の遣いかと思ったが、その手にはなにも持っていない。部活の要望かな。
しかし今日ゆかりは不在だった。施錠された戸を引いて、開かないことを示す。
「あまりゆかりは困らせないでやってくれよ」
暫く見ない間に赤司くんは背が幾分か伸びたようだった。初めて会ったときの目線よりも、彼を僅かに見上げる。
「ご心配なく。斎藤先輩とは、殆ど話したことはありません」
「ん?」
ゆかりの言った通り、代替わりしてからここには来ていないらしかった。
「それに今日は、参宮先輩に会う為に来たんです」
副将が板についてきたようで、笑い方も以前と少し違う。
「ふむ。なんの用かな」
いつ現れるとも知れない私にわざわざ会うために、ここへやって来ては踵を返していたとでもいうのか。
私のような適当人間には、彼の意図が汲めない。しかしそこまでしてくれたのなら、その用とやらを聞こうではないか。
「参宮先輩」
「なに」
「貴女は、何処へ行かれるのですか」
「…どういうこと?」
思わず間抜けに口が開いた。けれど赤司くんは至って真剣だ。
「どんな手段を尽くしても、参宮先輩の進学先を知ることが出来ない」
なるほど。どんな手段を使ったのかは知らないが、彼が私に執着を示していることはわかった。
「知ってどうする?」
意地悪く問ってやると、間髪入れず答えが返ってくる。

「追い掛けて捕まえる」

おかしなことを言うものだ。けれど決して不快ではない。寧ろ、楽しくなる予感がする。
「貴女は不思議な人だ。どれ程近付いてみても、俺の意志から全く別の次元に存在している」
“彼の意思”とは、なんだろう。壮大なスケールを想像させるが、これがゆかりの言っていた『赤司くんを知らなすぎる』ということなのだろうか。
そして一つの賭けを思いついた。
「教えない」
というか、実のところはまだ志望校がはっきり決まっておらず、誰にも話していないだけだ。手段を尽くすもなにもない。それは誰に聞いたって解りやしなかっただろう。私も知らないのだから。
但し、今事情が変わった。
何処か遠くへ行ってしまおう。
彼がもし、私と同じ高校に来てくれるというのなら。

「探し出してみなよ、待ってるから」

赤司くんが、目を僅かに見開く。
ここから遠く離れて、またそれでも出会うことが出来るか試してみればいい。
「わかりました。そのことば、撤回はなしですよ」
「しないよ」
その暁には。


今度は私から


「失礼します」
入学式の在校生代表挨拶を熟し、生徒会室で一人帰り支度をしていたところに訪問者が現れた。
「久し振りだね」
二年前よりも輝きを増したように思う赤色は、紛れもなく私の待ち人。
「また背が伸びたようだ。私はここで三度目の春を迎えたところさ―――赤司くん」


[ 11/22 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -