参加企画傲岸不遜なお兄様!



「どういうつもりなの、兄さん」
私は、優雅に微笑み顎の前で指を組んでいる目の前の人物に問い掛けた。


あの日のショートケーキ


「どういうつもりもないよ。璃和のすきなものを頼むといい」
彼は目で私の手元のメニューを指す。
そんな呑気なことをしている場合ではない。
「そうじゃなくて」
夕刻仕事終わりにオフィスの前で待ち伏せされ、この実の兄赤司征十郎に拉致されたのだ。そしてこんなところ、高層ビル最上階の高級レストランに来てしまっている。
突然こんなことをしておいて、なんでもないなんて信用出来ない。きっとなにか企みがあるに決まっている。
だって今日は。

「解ってる?式の前日なのよ」

「解ってる」
兄さんはさらりと頷く。それはそうだ。彼も歴とした参列者なのだから。
「だったら何故。今に彼から連絡が来るわ」
当然今日も彼と過ごす予定だったのに。
私の反論も見透かしていたらしく、唇で弧を描いた。
「来ないよ」
小さく首を横に振って私の手中にある携帯電話を見遣ったのち、
「俺から連絡しておいたからね。兄妹最後の日なんだ。気を利かせてくれと」
自身の端末を示す。
「…勝手な」
真っ白なテーブルクロスの下、思わず手を握り込んだ。
「どうせ最初で最後さ。大丈夫、遅くならない内に帰すよ」
目を伏せた兄さんは、それ以上私になにも言わせない。
その寂しそうな表情の陰りを、以前も見たような気がした。
(何処でだっけ)


昔から、全てが完璧な兄さんがなんとなく苦手だった。
私たちには、学力、運動神経、人望―――あらゆる能力において、肉親というよりも人種が違うとしか思えないくらいの差があった。 最早コンプレックスにもならない。
それでも兄さんが高校に入って家を出、離れ離れになったとき私は何処か安心した。
兄さんの目から、漸く逃れられた気がしたのだ。
彼は、不出来な妹である私を疎ましく感じていたのだと思う。私が誰からも期待されないし気にも留められない存在だった所為で、兄さんは周囲からのプレッシャーを一身に受けていた。
否、今も尚。
物心がついて以降あまり親しく話した思い出もなく、衝突することもなければ家族らしいコミュニケーションをとったことも特にない。
それどころか、冷たい目でいつも見られているような気がしていた。

そんな兄と離れて数年、私はいよいよ赤司というブランドをも脱ぎ捨てようとしている。
明日、結婚式を控えているのだ。


「確か、璃和はアルコールを飲まないんだったね」
「ええ」

(幼稚園のときは、手くらい繋いでいたかな)
細身のグラスに注がれたノンアルコールのドリンクを、ぼうと眺めながら思い返す。
昔は、同級生よりもずっと優れた兄さんが自慢で純粋に慕っていた。
彼も、よく私の手を引いてくれて。
(庭を駆け回ったものだわ)
けれど、増齢的に優劣が明確になってくると距離が開き始めた。
いつからだったろうか。
中学は兄さん同様父に定められた通り帝光に入学したが、さほどいい記憶もない。何処へ行こうとも赤司は赤司、という事実に只管嫌気が差していた気がする。

「デザートだけはもう予約してあるんだ。楽しみにしていてくれ」
運ばれてきた前菜に ゆっくりと手をつけ始め、私もとうとう頷いた。
「…ありがとう」
兄さんの背後に見える景色が、私の気分を重くする。このきらきら光る夜の街の遥か下の方に埋もれ、今頃彼は一人寂しい夕食を摂っているだろう。式の前日だというのに、申し訳なくなってくる。二人でキッチンに立つと約束をしていたのに。
優しい彼のことだから、兄さんが唐突に連絡をしてきてもその要求を大人しく飲んだに違いない。
そういう気遣いをする人だから。
(彼に免じて、なら)
今日の兄さんの振る舞いも許そう。
次々に運ばれてくる料理を静かに食しながら、この時間の意味を考えることをやめた。

メインディッシュの魚も粗方私の皿から消えた頃、先に食べ終えた兄さんが口を開く。
「実は、璃和に謝らなければいけないことがあるんだ」
ナイフとフォークを置いて彼は眉尻を下げた。
「なに、急に」
私もふいに手を止める。
ざわりと嫌な予感がした。

「明日の式だが、出席出来なくなってしまった。本当にすまない」

兄さんは衝撃的なことを口にし、項垂れて謝る。
「どうして」
自分の声が低くなったのが解った。
確かに忙しい人だけれど、身内の慶事くらいは当然のように休みを確保してくれていると思っていたのだ。
「海外への転勤が決まったんだ。数年は帰ってこられない。一日だけでもと何度も上に掛け合ったんだが、通らなかった」
兄さんは目を伏せる。
今まで、国内外問わず出張や出向は何度もあった。しかし、それとこれとは違う。
「海外に転勤? 何年も?なんでもっと早く言ってくれなかったの」
つい問い詰めるような口調で喰い付くと、更に気まずそうな顔をした。
「突然の決定で、動けるのも僕しかいなかったからね。連絡する暇もなかったんだ」
「……そう」
やはり、兄さんは社会に出ても多くの人から必要とされる。たかが妹の結婚式ではどうとも動かせない程に。
私とて駄々をこねるような年でもない。渋々、わかったと頷いた。

「だから、今日こんなことを」
デザートが運ばれてくるのを待ちながら、ドリンクを一口飲む。
「ああ。でも失敗だったようだ」
兄さんは力無く笑った。
「?」
私は首を傾げる。
「喜んでもらうどころか機嫌を損ねてしまったし、式への欠席を惜しんでももらえないのだから」
「 は…?」

「俺は、璃和にとっていい兄ではなかったからね」

「なに、言ってるの」
なにかの聞き間違いだろうか。耳を疑って兄さんの目を凝視した。
「どれだけの人に望まれていようとも、俺は璃和の理想の兄にはだけはなれなかった。ずっとそれを後悔しているんだ」
彼は顔色一つ変えず続ける。
「そんな、こと」
ない、と咄嗟には言えなかった。
もしかしたらという考えが頭を過ぎり、唇が震える。

「でも、こうして璃和が最上のパートナーと出会って自ら選び結婚する―――俺は兄として嬉しいよ。この上なくね」

「兄、さん…?」
兄さんが次々と饒舌に紡ぐ想像したこともなかったことばたちは、俄かには信じ難い。
「彼は、俺も信頼出来る男だ。真太郎の折り紙もついている」
肩を竦めて、らしくない仕種をとった。
「だから、それを伝えたかった。璃和の幸せを、いつ何処にいても願っているよ」
今まで、一度もそんな素振りを見せたことなんかなかったのに。
「赤司の名で辛いこともあっただろう。だけど」
慈愛に満ちた眼差しなど、ただの一度も。

失礼致します、とデザートが運ばれてくる。平たく真っ白なプレートの上には、赤く輝く苺の載ったショートケーキ。ブルーベリーやラズベリーも添えられ、それらの上で、ワイン色のソースが芸術的な曲線を描いている。
「これ、は」
驚いてテーブルと兄さんの顔を交互に見遣る。


「おめでとう、俺の自慢の妹璃和」


つう、と一筋の涙が頬を伝った。
凡そ初めて 知った兄の本音。
血の通った想い、優しいことばの数々。
拭おうとすると、ハンカチを差し出された。
「世界で一番きれいな花嫁になるんだ、擦ってはいけないよ」
私は受けとったそれをそっと目尻に当てる。


あの日の出来事を思い出した。


私の13回目の誕生日のことだった。二つ上の兄さんは当時中学三年生だった。
それは、赤司の名前に圧されて父だけでなく兄さんとも距離が開き始めた頃でもあった。彼はバスケ部の主将として忙しくしていたし、私も反抗期を迎えようかと、そういう事象の重なる時期だったのだと思う。
その日を、自宅で一人迎えていた。父は忙しく不在、子供の誕生日など構わない人だった。兄さんも当然のように、部活で家にいなかった。多感な年頃であ った私が、そんな誕生日の過ごし方に落ち込まずにはいられなかったのも無理からぬ話。
要するに、不貞腐れていた。
夜になって帰宅した兄さんが私の部屋にやってきたとき、私は彼を追い返してしまった。
「璃和、ケーキを買ってきた。今日は誕生日だろう」
その手に甘い香りのする箱を携えて、訪ねてきてくれたというのに。

「要らない」

と、ただ一言。
そんな態度をとったことを、今では悔いるばかり。
精一杯の兄の愛情を、蔑ろにしてしまったのだ。
「そうか」とあっさり下がったあのときの兄さんの表情は、
(ああ、同じだった)

既視感を覚えたさっきの兄さんのそれと。
悪いのは、私だった。一方的な劣等感を抱いて、優しい兄さんを遠ざけた。

(それを私は、冷たい目で見られていたなんて)
あの日から、私たちはひずみを生じてしまったのだ。
今日のことも、一大決心のつもりで計画してくれたのだろう。それは決して勝手ではないし、許す許さないなどとんでもない。
こんな私のことを、彼はずっと許してくれていた。
きっと兄さんは、明日の式をとても楽しみにしてくれていた。
(惜しい、惜しいよ、兄さん)
「ありがとう、兄さん」
今なら、完璧の仮面を脱いだ兄がとても親しく感じられる。
(今日が、兄妹最後の日だなんて)
この年になって初めて、否漸く兄さんの不器用さに気付いたのだ。
今更、胸がいっぱいになる。


「私、兄さんの妹でよかった。ずっと、これからも」


少し驚いてから、彼もあどけなく微笑んだのだった。

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