水面下の感情(12/9/26〜12/10/24)
(沖田・斉藤)
※血表現有り
陽が傾き始めた正午の刻、道端では女性達が他愛のない会話で盛り上がる。忙しそうに荷物を運ぶ男達、客引きをする娘達。その中を子供達が駆け抜けていき、その先にある呉服店では、暖簾を潜る男性の背後で、商人が深々と御辞儀をしていた。
甲高い笑い声、威勢の良い呼び声。そんな賑々しい通りを斉藤は部下数人を連れて見廻りの任務についていた。何も変わらない普段通りの江戸の町。何処からともなく甘いにおいが漂ってくる。
(…あれ?)
ふと、斉藤は足を止めた。積まれた米俵の陰に一際明るい色素の髪を持つ少年が立っていた。
「斉藤隊長、どうされました?」
一点を見つめたまま動かない上司を隊士は不思議そうな顔で見る。敵がいるのかと警戒する者もいた。
亜麻色の髪――沖田だ、そう思った斉藤の眉が僅かに寄る。彼は昨日から体調を崩しており熱を出していた。今日の朝礼も顔を出していない。
隊服ではなく私服の沖田はじっと地面を見つめている。斉藤は部下に向かって先に行くように言い、そのまま米俵の方へ向かった。
「沖田」
俯いていた顔が上がる。驚き見開いた蘇芳色の瞳を見て、斉藤は眉尻を下げて溜め息を吐いた。
「熱あるんじゃなかった?」
「病院行ってた」
沖田は、ばつが悪そうに斉藤から目を反らす。額には少し脂汗が浮かんでおり、顔色も悪かった。
体調とは別に何処となく様子がおかしいとは思ったが、問い詰める必要もない。斉藤は「そうなんだ」と言い、短く息を吐く。迎えの車を頼もうかと屯所に連絡する為に携帯電話を取り出そうとしたが、その腕を沖田に掴まれた。
「…」
「…えっ、と…その…歩いて帰るから」
何で拒むの?という静かな威圧感ある斉藤の無言のメッセージに沖田の言葉は濁る。
「じゃあ送って行く」
「え、平気だって」
沖田は首を横に振った。
「放っておけないよ」
斉藤は強めに言った。
不逞浪士に襲われでもしたら危険だ。普段の沖田なら心配ない。だが、弱っている今の彼では100%の力は出せない。剣戟においては一瞬の隙が命取り。目に砂が入ったなど些細な事でも生死を分かつことになる。
最初、拒んでいた沖田だが、斉藤が強く言うので渋々といった感じで了承した。
屯所まで、まだ少し道のりがある。斉藤は沖田に合わせて歩くが、とてもゆっくりで、時折、苦しそうに咳込んでいた。
「大丈夫?」
心配をし、声を掛ける。沖田は無言で頷いた。
「もう少しだから」
斉藤はそう言い、再び前を向いた。
賑々しい通りは過ぎた。斉藤は具合が悪そうに歩く沖田をちらりと見る。近藤や土方が体調の悪い沖田を誰も付けず一人で、しかも徒歩で病院に行かせるとは思えなかった。沖田は黙って屯所を出たのではないだろうか。斉藤の頭の中で、鬼と化した土方が、屯所の縁板を踏みしめている姿が鮮明に浮かぶ。何を思って外出したのかは知らないが、訳も聞かず土方に報告するのも酷だ。沖田の自室でゆっくりと聞こう、そう思ったその時、背後から複数の足音が耳に入ってきた。
つけられている、斉藤はそう感じた。隣を見れば、沖田も感じ取ったのか、険しい顔をしていた。
「…6…」
沖田が呟く。足音から察した人数を口にした。
沖田の言った通り、斉藤も6人程に感じた。この辺りは人通りが少ない。しかし、だからこそ、大勢の仲間が潜んでいる可能性がある。下手をすれば挟み討ちにあいかねない。
「今朝の奴等の仲間か…」
「今朝?」
斉藤に聞き返された途端、沖田は「しまった」と言わんばかりに顔を歪めた。
「…沖田」
「…」
「斬ったの?」
「…だって…」
沖田はそれ以上何も言わずに黙り込む。どうやら報復に来た浪士達のようだ。斉藤は追及せずに、少し先で流れる川の方を見る。そして、沖田の体調を気遣って言った。
「右に行った所に奉行所がある。そこまで走れば散ると」
「迎え討とう」
しかし、当の本人は強い口調でそれを遮り、斉藤の案に反対する。それに斉藤は無言で返した。厄介事に手を出しているな、と思った。
目の前に橋が掛かっている。相手は奉行所に近いこの界隈を避け、橋を渡ったところで襲い掛かるつもりだ。援軍がいるとしたら川の向こうだろう。
仕方ない、斉藤は腹をくくり沖田に言った。
「渡ったら直ぐ小路に入ろう」
二人同時に走り出す。慌ただしい足音がその後を追う。
橋を渡り切り、斉藤はすぐ様、小路の中へ滑り込んだ。身を返して追ってきた者達を見る。
「何用だ」
鯉口を切り、前を見据えた。狭い小路に6人、皆一様に帯刀をしている。髷を結い、小綺麗な袴を着ていた。役人の様に見える。
「貴方ではない。連れの方に用がある」
男達の一人が言う。
斉藤は真選組の隊服を着ている。つまり、真選組ではなく、沖田一個人に用があるらしい。
「彼は今、体調が悪い。また後日にしてくれないか?」
「何を言う。主の屋敷に忍び込み、我等の仲間を斬っておいて冗談も甚だしい」
斉藤は心中で深い溜め息を吐いた。やはり、沖田は何かの事件に関わっているらしい。病院に行っていた、というのも嘘だ。目の前の男達は攘夷とは関係のない者達なのだろう。
「ぎゃあぁぁ!!」
突如、名状し難い叫び声が上がる。同時に血生臭いにおいと、水が噴き出すような音がした。
後ろにいた男が崩れ落ちる。その背後には血塗れた刀身を持つ沖田が立っていた。斉藤と共に小路に入った沖田だが、咄嗟の機転を利かせ、先に民家を回って挟み討ちにもっていっていた。
「き、貴様ぁぁ!!」
激昂した男達は次々と抜刀する。斉藤は足を滑らせ、前方にいる男に抜き打ちを浴びせた。
両脛から噴き出した血飛沫が、土壁に張り付いていく。男は絹を引き裂いたような悲鳴を上げ、地面を転がりながら悶えた。入れ替わるように白刃が飛んでくる。峰で弾き上げ、そのまま横鬢を打った。
この小路は、大人二人が横に並んで歩く事が困難な程に狭い。後方に飛んで避けようにも、すぐ背後には刀を振り回す仲間がいる為、避けられない。攻撃を繰り出した後は、無防備な体をさらけ出す事になる。
この者達は、この様な剣戟の場に慣れていない。斉藤はそう感じた。
また一人、沖田の突きによって倒れた。残り二人、背中合わせになって互いの敵を見ている。剣尖が震えていた。
「来るのなら斬る」
斉藤は構えを崩さないまま静かに言った。向こう側にいる沖田も刀を構えたまま相手を見据えている。体調が悪いのにも関わらず、揺らめく炎のような覇気を感じさせる構え。強者に挟まれた男達の顔面は蒼白していた。
――結局、2人の男は白旗を上げ、そのまま御用となった。戦意を失う程の傷を負わされた他の4人は、うずくまり苦痛の呻きを上げている。皆、攘夷浪士ではなさそうだが、刀を持っている。廃刀令が下されている今の世の中では、それだけで捕まる要因となった。
「…怒ってる?」
壁に持たれて座っている沖田が小さな声で言った。斉藤は男達に縄を掛けて屯所に連絡してから、ずっと黙ったままだ。沖田は重い空気に耐えきれなくなり、思い切って自分から話しかけた。
斉藤は見上げてくる沖田を一瞥して溜め息を吐く。
「…少し」
「…って、終の怒り基準が分からないでさァ…」
沖田は軽く咳込み、立てた両膝に額を付ける。日頃から、何を考えているのか分からない者の胸の内を探るのは困難だ。
「電話越しの副長は御立腹だったよ」
「それはもう慣れた」
土方は私闘沙汰を気にした。今回のように報復行為などに発展しかねないからだ。
「何処かの屋敷で雇われている見張りの者達かな」
「御名答」
沖田は顔を俯かせたまま、パチパチと手を鳴らす。詳しくは、ある事件の首謀者の屋敷だ。
「熱あるのに無理しなくても」
溜め息混じりの言葉が頭上から投げかけられる。
「…だって」
「だって?」
「…ごめんなさい」
土方とはまた違う怒りの質に、沖田は思わず謝罪の言葉を口にする。
この重苦しい雰囲気に、沖田は土方でも良いので早く誰か来てほしいと願う。そして、いつも通り怒鳴ってほしい。
願いが通じたのか、遠くの方からパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
事件の経緯は割愛。
斉藤は怒ったら間違いなく怖いと思います。