小説

土方と原田 4

少年に引っ張られた人形は、腕と胴体の繋ぎ部分が伸び、今にも千切れてしまいそうだった。それを見た少女は困惑し、助けを請うような目で原田を見上げる。

「くっ!人形質とは……卑怯な……!」

原田は顔を歪めて舌打ちをする。少年は口許を上げ、アニメの悪者さながらの押し殺したような笑い声を立てた。

「大人しく言うことを聞けば離してやる」
「要求は何だ?!言ってみろ!」

少年と原田の間を横切る風が、枯れ葉を巻き込みながら舞い上がる。人形質をとった犯人との交渉が今、幕を開けようとしていた。辺りに緊迫した空気が漂い、子供達は思わず唾を飲み込む。
一方の土方は、勝手にしてろとばかりに、後ろでマヨネーズをすすっていた。
少年は数秒考える。

「……よし、物真似をやれ」
「は?物真似?」

原田は素っ頓狂な声を出す。公衆の面前で土下座しろなど、屈辱的な要求がくるのかと身構えただけに拍子抜けだった。

「ふっ…」

所詮、子供の浅知恵。物真似ぐらい、宴会や合コンで何回もやった事がある。原田は自信有りげに鼻を鳴らした。

「誰のだよ」
「じゃあ結野アナ」

原田の頭の中に、天気図の前で立つ笑顔の結野アナウンサーの姿が浮かび上がる。

「結野アナだな?」

原田は一つ咳払いをし「あーあー」と、声の調子を整えるような事をした。

「今日も元気にいってらっしゃーいッ」

原田なりに技巧を凝らし、最大限の裏声で女の声を真似る。目を輝かせ、表情も女性に似せようとした。

「…」

ヒョオォォォ……と風が走っていく。時が止まったかのように、界隈の空気が固まった。結野アナウンサーの要素が微塵も感じられない、掠りもしない、要するに絶望的に似ていない。原田の背後でマヨネーズが落ちる。

「プレゼント女となんら変わんねぇな」
「十四郎君。手伝わないんだったら黙っててくれるかな」

背後からの鋭い突っ込みに対し、原田は振り返らずに返す。
黙っていた少年がボソリと呟いた。

「気持ち悪い」
「似てるだろうがこのバカタレ。さ、やったぞ。もう良いだろ。この子に人形を返してやれ」

母親の形見だという唯一無二の人形を、早く少女の元に返してあげたい。そんな原田の想いは届かず、少年は眉を吊り上げてそっぽ向く。

「やーだね」
「なにぃぃ?」

ハゲ頭に青筋が浮かんだ。何故、そんなに強情なのか。大人の力をもって無理矢理にでも奪ってやろうか。苛々が募り、原田の拳に力が入る。何事にも武力行使。単細胞である男に、交渉の対話など無理なことだった。

「ソイツ殴ったら返してやるよ」

少年は土方を指差す。何を思ったのか、原田に土方を殴れと言い出した。
突如として飛んできた指名に、土方は眉根を寄せる。

「ったく、調子に乗りすぎだろあのガキ……っておい、お前、なんだその構え。マジで殴る気か?」

真剣な表情をした原田が、土方を見据えて拳を上げている。土方の口角がぴくりと上がった。原田は握っていた拳から人差し指を出して立てる。

「一発だけ」
「そういう問題じゃねぇだろ!何ガキ相手に良いようにやられてんだ!」

土方は断固拒否をする。真選組鬼の副長の答えとしては当然だろう。しかし、原田は諦めない。

「じゃあなんで今まで何もせずにずっといたんだ!殴られる為にいたんだろ!」
「んなわけねぇだろ!お前がガキ相手に無茶しねぇか見張ってたんだ!現にさっき手ぇ出しかけたろ!」

土方の言葉の矢印が、グサリとハゲ頭に突き刺さる。確かに、武力行使という言葉が原田の脳裏に浮かんでいた。

「うっ……と、とりあえずだ!俺は早くこの子に人形返してやりてぇんだ!この子にとっちゃあ、あの人形は何物にも返られねぇもんだろ!ちょっと傷作るだけでそれが守れるんなら安いもんじゃねぇか!」

次は、原田の言葉の矢印が、土方の頭に突き刺さった。土方も、少年が持つ人形が、少女の母親の形見だという事は知っている。土方は「傷作るの誰だと思ってんだ」と呟き、盛大な溜め息を吐いた。

「一発だけだぞ!後で絶対にやり返すからな!」

とうとう土方も折れた。原田は「おう!」と親指を立てる。

「あ、でも刀はダ」
「!!……お、おい、あれ」

突如、土方の表情が変わる。驚愕の面持ちで空を指差した。
原田は怪訝そうに眉をしかめて空を見上げる。釣られて子供達も見上げた。
だが、何もない。雲一つない青白い空が広がる晴天だ。

「なん」

再び、原田は前を見るが、そこにいた筈の土方がいない。「え?」と、辺りを見回すと、クマの人形を持って少年の隣に立つ土方がいた。
土方は無言でクマの人形を少女に向かって放り投げる。少女は慌てながら人形を受け止めた。
いつの間にか、土方が人形を取り返していた。子供達が空を見上げた瞬間、土方は少年に近付いて人形を取ったのだ。殴って良い、と原田に言ったその時から、演技は始まっていた。在り来たりなやり方だが、相手が子供ならこれで十分。
一瞬の出来事だった。原田は驚いて後退りをする。

「だ、騙したわね……」
「お前なぁ……少しは頭使えよ。いつも言ってるだろ」

ぼやきながら原田の元へ戻ってくる土方の背後では、少年がぽかんと口を開けて呆然としていた。気付けば手元に人形がなかったのだろう。

「あ、ありがとう……!」

少女は人形を抱きしめながら土方を見上げる。土方は一瞥しただけで、何も言わなかった。
人形を奪い返された少年の顔が、徐々に赤くなっていき涙目になる。

「覚えてろよ!馬鹿!行くぞ!」

少年は捨て台詞を吐き、他の子供達と一緒に公園から出ていった。原田は呆れた表情で、走り去る後ろ姿を見つめる。

「ありゃ良い悪役になれるわ……ん?」

例の若い女性の集団が、原田の視界に入った。女性達は惚け顔で土方を見ている。あの華麗な人形奪取は、見事彼女たちのハートを射止めたようだ。

[*前] | [次#]




戻る

- ナノ -