小説 1

クサノオウ 1

江戸の繁華街から離れた場所、周りは畑や森林が広がっており、建物は馬や牛を飼っている家がポツポツと建っているだけだ。
とても静かで車が排気ガスを出す音や機械音など聞こえやしない。たまに鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。

(二十数年程前はどこもこんな感じだったんだよな)

覚えているような覚えていないような…
周りの風景よりもミントンばかりしていた記憶しか思い出せない。

(こんな長閑な所で麻薬の取引なんて)

いや、こんな場所だからこそか、山崎は屋敷を囲む塀を飛び越え敷地内に入った。
田舎らしく広めで大きな屋敷と納屋がある。見張りの者などはいないらしい…というか誰も居ない。

(バスで40分無駄にしたか?)

とりあえず屋敷の裏に回ってみた。窓は閉め切っており人が居る気配もなし。

山崎は「ハァ」と溜め息を吐くと肩を落としボリボリと頭を掻いた。
しかし庭はちゃんと手入れがされており、人が住んでいないという感じはしないので留守なだけだろう。

今の内に絶好の張り込みポイントを探しておこうか、と山崎は敷地内を散策し始めた。





やはりただの留守だったようだ。日がだいぶ傾き夕方になると男達が帰ってきた。刀を差した浪士体の者が数人、商人や町人のような者もいる。
あの浪人達は金で雇われた用心棒なんだろう、山崎は牛乳パックを手に窓の外を見る。


ここは屋敷の隣にある納屋の屋根裏。ちょうど屋根から入る事ができたのでお邪魔させてもらった。意外に広く小さな出窓もある。

屋敷の出入り口や庭が一望できる。さすがに屋敷の中までは見えないが、今はこのぐらいで良い。また屋敷の中は明日か明後日にでもあちらへ忍び込もう。
山崎は窓の外を見ながら空いている手を足下に伸ばした。

(…あれ?)

山崎は自分の足周りを見る。


――ない、あんぱんが入った袋がない。


願を掛けている物がなくなるとは何と幸先の悪い事か。山崎は慌ててあんぱんを探した。

「はい、探してるのこれ?」

ふと横から細い腕が伸びてきた。手には袋を持っている。

「あ、そうそう!良かったー」

山崎は安堵の表情を浮かべ袋を受け取り中を確認した。あんぱん2つ牛乳1つ、しっかりある。
あんぱん1つを取り出し袋を破った。

「これで今回の張り込みも安心し……」


――ん?


「それ美味しいの?あんぱんって書いてある」

山崎は口に運ぼうとしたあんぱんを手にしたままゆっくりと首を45度右にまわした。背中辺りまである黒く長い髪の少年が山崎の手元を見つめている。

「うわぁぁ??!!」

山崎は声を上げ両手を高く上げる。自分でも驚き方が古典的だと思った。

「あ、あんぱん飛んだ。取ってくるね」

少年はそんな山崎にはお構いなく四つん這いのまま飛んでいったあんぱんを取りに行った。


いやいやいやいや…

山崎は顔をひきつらせながら子供を見つめる。

まさか子供が居るなんて…マズい。かくれんぼでもしているのだろうか。家に帰ったら「納屋の屋根裏に変なオジチャンいたよー」って親に報告されるに決まっているじゃないか。

「汚れちゃった、食べれるの?」

手に持ったあんぱんを山崎に見せるように少年は座って上体を捻った。山崎は自分を落ち着かせるようにふぅと息を吐く。

「…えぇーっと…ボク?」
「この白い物、落とせば食べれる?」

少年はあんぱんを手で払う。

「ボクー???」
「パンみたい。でもちょっと重い」

あんぱんを上下に揺らし首を傾げている。山崎の呼びかけなどまるで聞いていないようだ。
青筋を浮かべた山崎の口元がピクピクとひきつる。

「…くらぁ!!無視すんなァ!!!」
「え?」

少年は大きな目をパチクリと瞬きさせ山崎を見た。

「さっきから呼んでるだろ?!」
「え?あ?ボクって」

山崎は無言で少年を指差す。

「あー、そうなんだ。あんぱんって何か入ってるの?」

あんこ以外に何入ってんの?クリームか、ジャムか、あんこと見せかけてチョコレートか。

山崎は苦々しく頭を掻く。正座していた足を崩して胡座をかくと頬杖を付いた。

「君、この家の子?」
「君って」

山崎は無言で少年を指差す。

「あー、そうなんだ。はい、あんぱん」

あんぱんを山崎に差し出した。

言葉のキャッチボールできてねー。一方通行だよ。しかも受け止めずに避けて変化球投げてくるよ。

山崎は溜め息を吐いてあんぱんを強引に受け取る。

「えーと、ここに住んでるの?」
「うん。もうすぐご飯じゃないかな」
「じゃあ家帰りなよ」
「ここ」

殴って良いかな?ねぇ、殴って良い?

淡々と無表情で話す少年を山崎は拳を震わせながら見つめる。

「そろそろかな」

少年はそう言うと屋根裏の端に行き姿を消した。

――変な子。

山崎は手に持ったあんぱんをそのまま袋に入れる。

立ち去るなら今の内、明日からの事は帰ってから考えよう。

(副長に何て言われるやら)

気が重いが自分の不注意だ、仕方ない。

山崎はここから出る為、屋根裏の天井の蓋に手を掛けた。







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