小説 1

アナタがいないなんて有り得ない5

副長室の襖の隙間から黒髪頭が現れキョロキョロと辺りを見渡しスパンと勢いよく襖を閉めた。

「…大丈夫です」

小さな声でそう呟いた山崎はゆっくりと後退り回れ右をして畳の上に正座した。土方は眉を曇らせ溜め息を吐くと懐から煙草とマヨライターを取り出す。

「ったく…!プリンの物の怪だか何だか知らねぇが、ちとビビりすぎじゃねぇか?」
「土方さん、煙草とライターが逆になってますぜィ」

沖田はマヨライターの底を口に加えて煙草を手にしている土方を指差した。
外はもうすっかり日が落ちて暗い。銀杏髷の男は少しの間、土方達を追いかけてきたが、いつの間にかいなくなっていた。

胡座をかいている原田は眉をひそめ人差し指でトントンと畳を叩いている。

「しかし何だあれは。あれこそマヨネーズでできた化け物じゃねーか。気持ち悪ぃ」
「オイ。だからあれはマヨネーズじゃねぇって……あれ?オイルなくなったか」
「土方さん、そういう意味の逆じゃあないですぜィ」

沖田の目線の先にはマヨライターの出火口を口に加え手に持っている煙草をマヨライターの底に押しつけている土方がいた。山崎はそんな上司の姿を見ない振りをしているのか、目が宙をさまよっている。

「あ、あのお化けはマヨネーズが消えた事と何か関係があるんでしょうかね?」
「何も関係ねーよ。あれだ、アイツはただミックスジュースを飲み過ぎて体内の容量を超えてしまっただけだ」
「土方さん、恐怖がアンタの脳ミソの容量を超えてはいやせんかィ?」

沖田は自分の頭を人差し指で叩きながら煙草を横一文字に加え両端に火を付けている土方に言った。山崎がそっと灰皿を前に出す。

「そういう類の話は稲山が詳しいじゃねーか。一度呼んで聞いてみたらどうっスか?」

原田の問いに新しく煙草を取り出していた土方が顔をしかめる。

「あいつか…。不可思議な現象はよく知ってそうだな。マヨネーズが消失した原因が分かるかもしれねぇ。山崎、呼んでこい」






「はい、何でしょうか?」

副長室に呼ばれ土方の前に座った稲山にマヨネーズ消失の件と銀杏髷の男の事を話した。稲山は相づちを打ちながら興味深そうに聞いている。

「ちょうど今ニュースでやってましてね、江戸中のマヨネーズが消えたって話。見てましたらふとある話を思い出したんですよ」
「お!分かるのか?」

原田は目を大きく開けて稲山を見た。稲山はどこからともなく懐中電灯を取り出し「電気消してくれます?」と言いスイッチを入れる。

「なぜ消す必要が…」
「雰囲気って大切なんですよね」

どこか焦燥している土方を余所に沖田が電気を消し、稲山は顎の下から光を当て話し始めた。


「ある民家に30代ぐらいの夫婦が住んでいました。子供はおらずごく平凡な生活を送っていた夫婦にある不幸が起きてしまったんです。夫が事故に遭ってしまいその時に負った怪我の後遺症で足が悪くなってしまったんですよね。でもその足は天人の治療技術をもってすれば決して治らないものではなかった。問題は莫大な費用が必要だという事。妻は夫の為に親戚、その地域の人々にお金を貸してくれるよう頼み回りました。しかし、皆は首を横に振るばかり。このご時世、仕方ありません。それに別に命には別状なく全く歩けないという事でもありませんでしたから。妻は働きに行く事ができなくなった夫の代わりに仕事に出、変わらず愛し続けました。そんなある日、妻はいつも通り仕事へ行く為に玄関の戸を開けると大変な雪が降っていました。夫は気を付けてと妻に声を掛け見送りました。しかし、夜遅くになっても妻は帰ってこない。心配になった夫は足を引きずりながらも玄関まで行き戸を開けました。この民家の周りには畑や林ばかりが広がる田舎でしてね。月の光以外、灯りは無かったんですよ。外はもう雪が止んでおり、暗い中積もった雪の白さだけが目立ってました。夫は周りを見渡し妻がすぐ近くまで来ていないだろうかと探しに行くのです。足が悪いのに止めときゃ良かったのにねぇ…。でも愛する妻が心配でならなかったのでしょう。深く積もった雪の中を杖を突きながら一歩また一歩と進んで行ったんです。しかし妻は見当たらない。これ以上進んでは危険だと思った夫は引き返そうと身を捻ったその瞬間、雪に足を奪われその場に転んでしまったのです。足の悪い夫が深く雪が積もった中、歩いて来ただけでも大変な事だったのに転んで起き上がるなんて事ができるでしょうか?…そうです。どう足掻こうと白い雪を掘るばかり。次第に夫の体力は奪われていき、己の体を動かす事すらできなくなってしまいました。それから一時間後、妻が仕事から帰って来ました。この大雪で交通機関が麻痺し、中々家へ帰れなかったのです。もうすぐ家に着く、すっかり遅くなってしまった、そう思いながら白い息を吐き足を早めていると…ふと、ある所に目が止まり驚愕しました。…もうお分かりですよね?そう…妻を心配し雪の中を歩いてきた…あの足の悪い夫が雪の冷たさと同じ温度になって倒れていたのです。妻はその場で膝を付き、夫の亡骸にしがみついて何度もその名を呼び泣き叫びました。それから数日後、仕事に来ない妻の同僚が心配し家まで見に行ったのです。その道の途中、同僚の目に信じられない光景が飛び込んできました…男性の亡骸を抱くようにして亡くなっている仕事仲間の姿でした。二人の死因は凍死。……それからというもののその辺りの地域では雪が降る夜、玄関の戸を叩く音が。その戸を開けた途端、男性が足を凍らせ、女性がそれを砕く、という奇妙な事件が多発しました。‘雪降る夜は戸を開けるべからず’そう言い伝わるようになったのです」



「オイ…」

原田が稲山の肩を叩く。

「あ、はい?質問ですか?」

稲山は懐中電灯を顎の下に照らしたまま首を傾げ原田を見た。

「あぁ…その話…マヨネーズお化けとは何の関係もないよな?」
「そうですね…そうとも言いますね」
「そうとしか言えんわァァァ!!!!!」

脂汗を大量にかいた原田は立ち上がり稲山の胸ぐらを掴みながら怒鳴る。懐中電灯が稲山の手から離れ畳の上に転がった。それを沖田が拾う。

「土方さぁーん、そこがマヨネーズ王国の入り口ですかィ?それともタイムマシーンがありやすかィ?」

沖田は机に向かって懐中電灯を照らす。そこには引き出しの中に入ろうとする土方の姿があった。

「山崎ィィ!!しがみつくな!!俺の足を持っていくつもりかァァ!!」

原田は自分の足に震えながらしがみついている山崎にも怒鳴る。


「いやぁー、ニュース見てましたらね、大雪に関するニュースもしてましたから…こんな話もあったなぁーって。夏の怪談話の時にするつもりだったんですが」

胸ぐらを掴まれつつ笑いながら稲山は頭を掻く。

「怪談話を先取りしやしたねィ」

沖田はそう言い部屋の電気を付けに行った。







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