小説 2

新入隊士がゆく‐斬法‐

今日、据え物斬りが行われる。据え物斬りというのは、いつもやっている巻き藁を斬る事ではなく人の体を使っての試し斬り、つまり人を斬る訓練らしい。俺はこれを聞いた時、人の死体でも斬るのかと身を強ばせたが、どうやら違うようだった。

「これを斬ってもらう」

板の上に豚の死骸が置かれた。副長はそれを鞘の先端で小突きつつ話を続ける。

「こいつぁ人体の胴と等しいと言われている。間違っても豚肉を包丁で切る感覚で斬るなよ」

そう言うと抜刀し、刀を構えた。そして峰が背につくまで振りかぶり一気に打ち下ろす。
刃が板を叩く音が響いた。見事、豚はキレイに両断され、中身が流れ出る。

「訓練用の刀は安もんだが、寝刃は合わせてある。呼吸を合わせて腹で斬れ。腕で斬りゃあ骨に当たり、刃が欠け、刀身が曲がる」

簡単そうに見えるのだが、やはり難しいのか。俺は副長が斬った豚の胴の断面を見つめた。
切断された骨が見え、腑が見える。赤い血が板の上を流れて砂利に染み込む。
人の体を斬ってもこんな感じなのだろうな。人を斬る事が怖くない、と言えば嘘になるが、その覚悟も持たない者が真選組に入れる筈はない。

人を斬ってみるとそれまでの‘殺人’という禁忌が消えて胆力が身についてくるという。それは何故か――、

負傷し苦悶するのは辛いかもしれない。だが急所をつかれ、死ぬというのは一瞬の事。それ程苦痛めいた顔を晒すわけでもなく落命する。そのあっけなさが斬る方にも伝わり殺人者ができあがってくるというのだ。

ちなみにこれらは書物で読んだ事。実際は…どうなのだろうか。恐らく己の身を守る事に精一杯になるのだろうと思う。


「あ」

気付けば俺の前に豚の死骸が置かれてあった。

いかんいかん。こう何でも考え込むのが俺の悪い癖だ。
ふー、と息を吐き刀を握って豚を見据える。周りではすでに刀を振り下ろしている者がいた。が、豚は両断されず刀身が途中で止まっている。

「焦るこたぁねぇ。剣術に長けていても最初っから両断できる奴なんざ滅多にいねぇからな」

副長が言った。
俺は刀の柄を握り、振りかぶる。心の中で一、二の…と気合いを込める。

三!で、腹の内から力を込めて刀を振り下ろす。刃鳴りがしたと思えば剣尖に何かが当たった。

「…あれ?」

どうやら骨に当たったらしい。肉を斬る際は何の感触もなく、まるで木刀で鉄の棒を叩いたような感じだ。
俺は「うーん」と首を傾げながら刀を捻り抜く。自信があったのだが…残念だ。
抜いた刀身を見ると曲がってはいないようだ。刃こぼれはあるような、ないような…分からない。
俺は目を凝らして刃をじっと見つめる。


すると後ろから「チャンスだ」と囁く声がした。

「見ろ、エリザベス。あんなに食料が転がっている。奴等が斬法の訓練などに没頭している間に頂くとしよう」


俺もバカではない。
こう何度も聞く声を忘れるはずはなかった。

俺はゆっくりと振り向く。案の定、物陰に隠れた攘夷浪士という黒髪の長髪男がいた。彼は岩の後ろに隠れているのにも関わらず木が描かれた札を両手に持ち、頭にもそれを付けている。
隣にいる白いペンギンのようなアヒルのような生き物は『そうですね。食料を奪われ嘆く奴等の顔が目に浮かびますよ』と書かれた札を持っていた。

「日本の未来を変える為にはまず食だ。腹が減っては戦ができぬとはよく言ったものだな。喜べエリザベス。今日の夕飯は赤飯だ」


豚使わないのかよ。


心の中で突っ込みを入れる俺の目の前の男は不敵にニヤリと笑う。
…というかこの男、攘夷浪士…しかも重要指名手配犯。そして俺は真選組隊士。こんな悠長に見ていて良いのか、いや、良いわけがない。

新人と云えども江戸の平和を守る事が真選組の仕事。江戸の治安を脅かすこの男を捕まえなければ…昂揚の為か俺の心拍数は徐々に上がり、刀を握る力がこもってゆく。

「…よし、エリザベス。いざ、ゆか……ハッ!」
「!!」

――目が合った。
長髪の男は俺を見て驚いたように目を大きく見開く。

「おまえは…!」

ま、まずい…!殺されるのではないか。そう思うが同時に全身から血の気が引いていく。下半身が自分のものではないかのように感覚を失い動かない。
微動だにしない俺を見据える長髪の男は指を差して口を開いた。


「煎餅の男ではないか…!」


どちらかといえばお前だろう。


先程の緊張はどこへやら、俺は一気に気が抜けガクリと頭を垂れる。

「クッ…!見つかったか…!この完璧な擬装を見破るとは…真選組も良い人材を手に入れたものだな…」

完璧な擬装というのはその灰色の岩に紛れようとする緑の木が描かれた板の事だろうか。
なんだ、この男は?本当に指名手配犯なのか?先程とは違う混乱が俺の内を支配する。


「かぁぁつぅぅらぁぁぁー!!!!」


――ドカァァーン!!!


俺もバカではない。
沖田隊長の声が聞こえた途端、その場を脱兎の如く逃げた。
俺がいた場所は黒い煙が立ち上り、メラメラと炎が上がっている。

「ふはははは!!!!やったぞ!!エリザベス!!これを見ろ!!」

長髪の…いや、爆発でもうアフロになっている男は片手を高々と上げる。その手には豚の丸焼きがあった。

「生肉を持ち帰っても手間がかかるからな。奴にバズーカを撃たせ、豚を焼かす。敵を利用しての作戦、大成功だ!」

確かに豚は良い具合にこんがりと焼けて正直美味しそうだと思った。
沖田隊長は「ふーん」と頷きながら再びバズーカを構える。

「おめぇを焼いて豚の餌にしてやりまさァ」


――ドカァァーン!!!


沖田隊長はバズーカを連射させながら逃げるアフロの男と白い生き物を追いかけて行ってしまった。あちらこちらで黒煙が上がっている。

「…また屯所の修理代がかかるじゃねーか」

終始見ていたのか、副長がボソリと呟いた。屯所内の修理代より警備体制の心配をした方が良いのではないか、と俺は思った。

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