二万打感謝企画

窮地の言霊 5

永倉の傍にいた細身の男も、棒で殴られたのか、額から血を流していた。
沖田は、全身が痺れるような痛みにより、荒くなった息を整えながら永倉を見る。

「おせぇよ…」
「悪い、手間どった」

拘束されていた永倉の両手首から両手全体にかけて、血で真っ赤に染まっていた。

「クソが」

木嶋は重い呟き声を洩らす。確かに縄で縛っていた筈。木嶋のみならず、他の男達も驚きの表情を浮かべていた。
永倉は自身の緊急時用として、袖の中に小さな刃物を隠し持っていた。これは、用心深い土方の案であり、殆どの隊士が装備している。手を僅かにでも動かせる状態なら、時間は掛かるが、縄を切ることができるという特殊な形をした刃物だ。完全に縄を切らなくてもいい。力を入れて千切れる程にまで切ればいいのだ。ただ、やはり、狙いが定まりにくく、自分の身を何度も切ってしまう。何より、敵に気付かれてはならない。この方法は、一か八かの賭けにすぎなかった。
勿論、沖田も知っていた。永倉はこの方法で拘束を解くのだろうと思っていた。痛めつけられている仲間を目の前にして、黙っていられる青年ではない。沖田は、永倉の気を逸らさせない為に、蹴られ骨を折られようとも、悲鳴も上げずに耐えていた。

「今更どう足掻こうとも無駄なこと。こうなれば、てめぇらの死体を、真選組の巣に放り込んでくれるわ」

木嶋の言うとおり、拘束から脱しても、体力が回復するわけではない。二人とも、気を失っていないことが不思議なくらい疲憊していた。
永倉は背を壁に預けながら立ち上がる。

「…いけるか?」

前を見据えたまま沖田に問う。浪士達が次々と抜刀し始めた。その数は、軽く二十は越えている。今の二人の状態では、厳しすぎる数だ。
沖田も折れた右腕を垂らして、ゆらりと立ち上がる。

「あぁ……俺に、考えがある」
「何」

永倉の眉根が寄る。

「とりあえず、あの襖を突き破れ」

今居る二十畳の部屋と、隣の部屋を隔てている襖のことだ。
沖田と永倉は二人同時に畳を蹴った。永倉は先程の棒を拾い、亜麻色に降り注ぐ白刃を弾く。沖田は身を沈めて、目前の足を払い、体当たりを食らわす。
確かに相手は大人数だが、一斉に飛びかかると同士討ちになりかねない為、相手は用心せずにいられない。よって、同時に攻められるとしても二、三人程度だ。
永倉は渾身の力を込めて、刀を持つ男の手を突く。刀が男の手元から離れた瞬間、永倉が持つ棒も、猛烈な拝み打ちを受け、叩き落とされた。しまった、と身を凍らせる暇もなく、横合いから銀色が閃く。半身に開いて避けるが、視界が激しく揺らぎ、均衡を失った。
このチャンスに、敵は獣のような咆哮を上げて、よろめく永倉に襲いかかる。間一髪、沖田が間合いに入り、振り下ろされた刀を防いだ。
甲高い金属音が響く。沖田は先程、永倉の攻撃を受けて落とした敵の刀を見逃さずに素早く拾っていた。
沖田は左で刀を振るう。打ち払って切り返し、弾いて袈裟に斬る。ただ、利き腕ではない上に、消耗しきった体では、十分な力はでず、斬られた相手は、服を赤く染めながらも、執拗に襲いかかってきた。

沖田の目の端に、自分の髪を掴んで頭を押さえている永倉の姿が映った。片膝を付き、俯いて動かない。恐らく眩暈が治まらないのだろう。
襖までまだ距離がある。二十畳程の部屋だが、とても広く感じた。永倉が動かなくては、沖田もその場から動けない。しかし、このままずっと、攻防し続ける体力もない。

群がる浪士達の合間から、赤色の細長い物体が見えた。
――消火器だ、そう思った瞬間、刀を放り出し、永倉を抱えて駆け出す。そのまま、消火器に向かって飛び掛かり、永倉から手を離して消火器を取った。
素早く振り返り、しゃがんだまま、ホースを口に加え、追いかけてきた浪士達に先端を向ける。

空気が抜けたような音が鳴り、消火剤が噴射された。男達の驚いた声が上がり、辺りは真っ白になる。
沖田は中身を出し切る前に、消火器を白い塊の中へ投げつけ、すぐ様、永倉を抱えて走り出した。

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