二万打感謝企画

窮地の言霊 3

持ち主に捨てられた旅籠は、攘夷浪士の恰好の住処となる。カビ臭い畳の部屋を、行灯の淡い光が照らしていた。
破れた障子に火影が浮かび上がる。一人の大柄な男が、畳に横たわる永倉を見下ろしていた。背中でまとめられた両手は、縄で拘束されており、小柄な体はピクリとも動かない。
男が加えている煙草から、一筋の紫煙が立ち上る。意識を失っている永倉の髪を鷲掴みにし、顔を上げさせ、頬を平手で打った。

「…よぉ。目覚めはどうだ。永倉新七」

強制的に覚醒させられた永倉の脳は、まだ鈍い反応しか返さない。黙ったままの永倉の顔に、男は紫煙を吹きかけた。
永倉は顔をしかめて、軽くせき込む。

「…俺と、一緒にいた奴いただろ」

男を睨み付けて言った。動かない両腕でこの状況、捕らわれたということは嫌でも理解できる。

「沖田総悟か。仲間を呼びに行ってるんじゃないかね」
「……そんな、器用なこと…できる奴だったかな」

言葉を発する度に胸の辺りで、息も詰まりそうな鈍痛が走る。男は「そうか」と一言だけ返すと、痛みで歪んでいる永倉の顔を、かびが生えた畳に叩きつけた。

「沖田もお前と同じく、かなりの重傷を負っていると思うが……それでも仲間を呼ばないのか。余程、自分の仲間を信頼していないと見える」

男の押し殺した笑い声が、地鳴りのように唸る水音にかき消されていく。
永倉は鉛のように重い頭を動かし、男の方を向いた。

「復讐、ってやつか?木嶋」

永倉に「木嶋」と呼ばれた男の口角が上がる。

「覚えてくれてるってぇわけか」
「指名手配犯だし」

永倉は、沖田が討ち損じた時の改めには出動していない。だが、元々、指名手配犯である木嶋の事は知っていた。そして、この絶え間なく続いている濁流の音。ここは、あの川岸に建つ古い旅籠屋だ。

「そうだな。あれから仲間集めてよ、リベンジってヤツか。あの時にゃあ、だいぶ弾減らされちまったからなぁ。あの特攻隊長のおかげでよ…」

木嶋は煙草を口元から離す。永倉の双眼は、依然、研ぎ澄まされた刃物のように、鋭い光を放っていた。不利な立場でいるのにも関わらず、覇気を失わせない。ただ、木嶋を睨みつけている。

「気に食わねぇな、その目。焼いちまおうか」

不快感に眉根を寄せる木嶋は、赤く光る煙草の先端を、永倉の目前まで突き出した。
それでいても、永倉は、変わらない眼光で木嶋を射抜いている。木嶋は片眉を上げ、更に、煙草を近付けた。

「それとも、何か?逆さ吊りで滅多打ちにした挙げ句、全ての爪を剥がして醤油でも垂らすか。アンタとこの副長さんがやっていたようによ」

数ヶ月前、土方が真選組内に入り込んでいた密偵を拷問に掛けた。その密偵というのが、木嶋が属する攘夷組織の者だった。
煙草の熱が目前まで来ようとも、永倉は怯えもせず、睨み続けている。

「…捨て駒を使う奴が、いっちょまえに、仲間意識あんのかよ」
「…」

木嶋は無言で煙草を下げる。そして、灰を落としながら軽く溜め息を吐いた。

「アイツはな」

木嶋の目が、飛び出さんばかりに大きく見開く。一度下げた煙草の先端を、永倉の首に押し付けた。
何百度に熱された煙草は、皮膚を溶かし、肉を焦がす。刺すような激痛に襲われた永倉は、両目を強く瞑り、歯を食いしばる。憤怒する木嶋は、首を反らそうとする永倉の横面を押さえつけた。

「弟だったんだ!!俺は止めておけっつったのに、自分にしかできねぇからって密偵の役目を買って出やがったんだ!!仲間だと?!馬鹿らしい!!奴等は弟を生贄にしやがったんだ!!アイツが拷問に遭ってる最中、直にバレると思った腰抜け共は尻尾巻いて逃げた!!」

擦り潰していた煙草を放り投げ、永倉の顎を、拳でしたたかに突き上げた。赤い斑点が畳を彩る。木嶋は立ち上がり、小柄な体を蹴り飛ばした。

「そん時はそりゃあもう切れたもんさ。でも、後で冷静になって考えてみりゃあ、他人構って己の身を危うくさせるなんざ、馬鹿らしいよな」

木嶋の言葉は、悲哀とも憎しみともつかない低い声色。刀を抜き、ゆっくりと足を進め、横たわる永倉の胸倉を掴んで引き上げた。

「あん時の沖田も、斬られた仲間捨ててりゃあ、んなことにならなかっつーのに。馬鹿だね」
「…その馬鹿なところが、唯一の取り柄なんだ」

強い眩暈が襲い、永倉は顔をしかめる。木嶋は、黒く、焼け焦げた痕のある首に刀身を当てた。

「今、お前の首をはねてやっても良いんだぜ」
「それは…御免こうむりたい。俺が死んだら、あの馬鹿が、もっと苦しむことになる」

永倉は、沖田が一人で抱えているものを知っていた。下見に行こう、と誘われた時、もしや討ち入り前の深夜にも、単身で乗り込む気でいるのではないか、と思い、理由は聞かずに了承したのだ。
何事にも動じない永倉の言葉を嘲笑う声が響く。

「今の状況で良くそんな戯れ言が言えたものだ」
「俺も、馬鹿なんだろうね…」

こめかみから、血の混じった汗が流れ落ちる。冷たい刃が首に赤い筋を作った。

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