窮地の言霊 2
地虫の鳴き声か、ただの耳鳴りか、甲高い小さな音が頭の中で響いていた。
「…いっ…つぅ…!!」
沖田は、湿った土を握りしめながら上体を起こそうとするが、全身に激痛が襲い掛かり、再び横鬢を地に付けた。地面が傾いている、どうやら土手に倒れているようだ。
伸びた草を掴み、体を引きずっていく。土手を這いずりながら上体を道に出した。
目に映ったのは、数人の男達が血を流して倒れている惨状。呻き声を上げている者もいれば、ピクリとも動かない者もいる。辺りに血の臭いが充満していた。
気を失う前、車がこちらへ走ってくる様を捉えていた。日が落ちているにも関わらず、ライトも付けていない黒の車。しかし、その車の姿はなく、ぶつかった時の衝撃で壊れたのか、割れたサイドミラーが転がっていた。
――まさかひき逃げに遭ったというのか。
沖田はそう思いつつ道端に座り、辺りを見回す。顔にべったりと張り付いた土と血が気持ち悪い。腕でそれを拭いつつ、一緒にいた小さな青年を探した。
「…永倉ァー?」
名を呼んではみるが返事がない。聞こえるのは濁流の音と低い呻き声。
まだ気を失っているのだろうか、まさか死んではいないだろうな――不安が脳裏を過ぎり、沖田は顔をしかめる。再度、名を呼んだ。
「永倉ー…チビー」
やはり返事がない。ふぅ、と息を吐き、近くにあった刀と、男の腰に帯びた鞘を手に取った。
「もらうぜィ」
刀を鞘に納め、それを杖代わりにして立ち上がる。痛みに顔を歪めつつ、再び辺りを見回すが、倒れている男達の中に、永倉らしき姿は見当たらなかった。
「!」
沖田の耳が、葉擦れの音を捉える。土手とは反対側で生い茂る樹木の中から男が現れた。永倉ではない――そう思った瞬間、沖田は杖代わりにしていた刀の鞘を左脇に挟み、素早く抜刀、片手青眼に構える。
「誰でィ」
男に向かって問いかけた。顔は暗くてよく見えない。沖田は摺り足で少しだけ前方に出る。落ちた鞘が爪先に当たった。
「もしかしてひき逃げ犯かい?」
「おたくのちっせぇ隊長さん、預かってるぜ」
「!」
男の第一声に、沖田の心臓が飛び跳ねた。目を大きく見開き、驚きを露わにする。道理で見掛けないと思ったら…自然と顔が歪む。
「仲間連れて助けに来ることだな。その体じゃあつれぇだろ」
暗い界隈に混じる男の表情は、よく見えないが、声色から察するに笑っているのだろう。攘夷組織の者か、沖田は男を睨み据えたまま応える。
「それはそれはご親切に。でもそのお姫様が捕らわれている場所を教えてくんなきゃ助けに行けねぇんだけど」
苦しげに肩を揺らしている沖田を、男は鼻で笑い、川の方を指差した。
「言わなくても分かると思ったんだか……あっちにあるよ。沖田総悟」
「!」
――自分が取り逃がした奴だ。
何人もの同志を殺した敵、それを起こすきっかけを作った自分の不手際。言いようのない怒りと悔しさが胸の内から湧き立ち、沖田は歯を噛みしめて音を立てた。
「仲間一人斬られたぐれぇで俺らを逃がしちまうたぁ…ね。それでも真選組随一の剣の使い手と言われる隊長さんかい?」
「てっめぇ…!!」
激昂した沖田は、地を蹴り、倒れている者を踏みつけ、男に斬りかかる。ヒュン――と、風を斬る音だけが荒れ狂う川音の中に消えた。
避けられたか、と沖田はくるりと体を半回転させ、刀身をひるがえした刹那、視界がぐにゃりと揺らいだ。
激しい眩暈――平衡感覚を失い、溜まらず木にもたれかかる。そのまま擦り落ちそうになるが、地に尻を付けまいと、歯を食いしばって踏ん張った。
男は、そんな沖田を嘲笑する。
「無理無理。お前、車引っかけられたんだぜ?悪いこたぁいわねぇ、仲間呼んできなって。早く来ないとまたお仲間一人減っちゃうぜ」
そう言い残し、去って行った。
沖田は男の背を睨み据えながら、悔しさに顔を歪めていた。「クソ…!」と呟き、柄頭を木に殴りつける。
あの車は、討ち損じた浪士の仲間が運転をしていた。沖田は車に当たる直前、反射的に後方へ飛んだことにより、周りで倒れている男達のようにはならなかった。恐らく、一緒に戦っていた永倉もそうだろう。預かっている、という事は死んではいない筈。
自分がここに来ることが、相手方に予想されていたのか。この男達は、捨て駒だったのか。
――しかし、そんな事どうだって良い。
あの討ち入りの時、斬られた仲間に気を取られていたからとはいえ、自分が討ち損じた相手。そのこぼれた奴等が、今になって復讐だか何だか知らないが、隊士達を襲いだした。自分のせいでこうなってしまったからこそ、自分の手で落とし前を付けたかったというのに…またこの様だ。
沖田は刀の柄を強く握りしめ、川の向こう岸を見た。仲間を連れて来いと言っていたが、余程腕に自信があるのか、罠を張っているのか――…
もたれていた木から背を離す。まだ足がやられていないだけ良かったのか。沖田は一歩、また一歩と進み出した。
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