08
バシャッと気絶している男の顔に水が叩きつけられた。男は目を見開き何が起こったか分からないといった感じでキョロキョロと辺りを見回す。
「おー、やっと気が付いたかコラ」
黒髪を束ねた男が青筋を浮かべ鬼の形相で見下ろしてくる。男は短く悲鳴を上げ逃げようとしたが、そこで初めて自分が縛られている事に気付き、みの虫のように体をくねらせ暴れ始めた。
土方はしゃがみ、空になった桶をその暴れる頭に押し付けるようにして被せる。桶の底が二つに割れ、男の髪が出てきた。
「深夜にご苦労さん…覚悟はできてんだろうな?」
その髪を鷲掴みにし、ドスのきいた声で男に言う。土方と同じく近藤も青筋を浮かべ砂利を鳴らしながら男に近付き拳を震わせた。
「野菜の恨み…晴らしてくれよう」
「いや、それは半分アンタのせいだから」
近藤が丹精込めて育てたという農作物は全滅したが、建物へ延焼する前に鎮火できた。辺りには桶やバケツが散乱し、井上、永倉、藤堂は疲れ切った顔で縁側に座っている。ちなみに番助は火が消えたことを確認すると再び拍子木を打ち鳴らしながら去っていった。
「放火たぁ良い趣味してんなぁ」
叩き起こされた原田が男の腰に竹刀の先端をグリグリと押し付ける。土方は男の髪を掴んだまま横鬢を思い切り大岩に叩きつけた。すると顔を覆っていた桶がパカリと割れ、青ざめた顔が現れた。
「…ボコボコにする前に聞いておいてやる。どこから来た?」
「…」
恐怖に満ち溢れた顔をしていながらも無言の男を見て土方はピシリと青筋を浮かべる。近藤がしゃがみ転がされている男の顔をのぞき込んだ。
「お前の目の前で玉ねぎ剥いてやろうかぁ?!んんッ?!」
「近藤さん、もう野菜から離れてくれ。つかそれだと俺らまで被害がこないか?」
続いて男の体を竹刀でつついていた原田が何かを拾い、それを男の目の前でちらつかせる。
「このバッタを背中に入れてやろうかぁ?!あぁ?!」
「ガキの悪戯かよ」
土方は溜め息を吐き掴んでいた男の髪を離して立ち上がる。そして近くに転がっていた棘が無数に覆う毬栗を摘んだ。
「入れるならこっちの方が良いだろ」
土方は男の襟首を引っ張ると服の中にその毬栗を入れ、またひとつ、またひとつ、かごの中に入れるようにポイポイッと放り込んだ。
「い゛だっ!!」
「原田、足押さえとけ」
土方に言われ、原田は男の足の上に馬乗りになって押さえた。土方はなお暴れる男の頭を足で踏みつけ、木刀の先で毬栗達を背中の上で遊ばせた。
「これは痛い」
永倉の顔がひきつる。隣で見ていた藤堂も嫌そうに顔を歪めた。
「どこから来た?何で人の家に火ぃつけようとしたんだ?」
土方は「痛い痛い」と喚き散らす男に向かって問うが、相手の声が大きすぎて耳に入っているかどうか分からない。木刀を動かす手を止め、原田の方を見た。
「…原田、縄解いてやれ」
「え?良いのか?」
「あぁ」
「りょーかい」と言い、原田は男の縄を解く。
「逃がすのか?」
「巣に帰すんだよ」
怪訝な顔で問う近藤に土方は小声で答えた。縄を解かれた男はほうほうの体で逃げ出す。
「早く行けよ」
土方はその尻を蹴る。その反動で男は顔面から地面に激突するも立ち上がり一目散に逃げていった。
「…毬栗入れたまんまで行きやがった」
毬栗の棘が衣服にひっかかり取れないのだろう。その背を呆然と見つめながら原田がボソリと呟いた。
土方はふらふらしながら逃げる男の背を目で追った。その後をついていく一つの人影が見える。
「井上さんが行ってくれたのか」
もちろん、ただ放火犯を逃がしたわけではなかった。巣に帰って行くその後をつけて行き、そいつの正体を探るため。さすが経験豊かな井上は何も言わずとも分かってくれたようだ。
「ま、大体は予想つくがな」
売られる前に…と、思ったが先手を取られたらしい。しかしそのおかげで遠慮なく殴り込みにいけるということだ。
唯一の被害、畑の方では近藤がこんがり焼けた農作物の前で膝をつき、滝涙を流している。そしてそれを慰める原田の姿があった。
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