小説

- 殺人者へのレベルアップ -

喉の皮を一枚残して斬る――それは、介錯のうちで最上の技とされている。斬り放してしまえば首が飛んでしまい、周囲を血で汚すからだ。


「これは…まぁ、はぁ…」

この亜麻色の少年にしては珍しく、言葉が出ないと言った表情で裏庭を見つめていた。
土の壇があり、その前に穴が掘られてある。血が周りに飛び散っており、そこから表へ繋がる道にまで点々と続いていた。
数人の隊士達が清めの砂を撒いている。呆然としている沖田の元へ、土方が憮然とした顔に紫煙を揺らしながら近付いてきた。

「最近の新参は性根が据わってねぇな」
「誰が務めたんです?」
「三番隊の倉石」
「三番隊っつー事はそれなりに腕見込んでたんでしょ?」
「まぁな。しかし、いざ人の首ぶったぎるってっ時に足が竦むようじゃねぇ…」

苦々しく笑い、黒頭を掻きながら去って行った。


風のない曇り空の午後、真選組屯所の裏庭で密偵の処刑が行われた。
二人の隊士に土壇へ引きずられながら連れてこられたのは、まだ若い青年だった。連日の拷問により、顔が腫れ上がっていた。

「堪忍してくだせぇ。私は間者などではありませぬ。外れで呉服屋を営んでいる者でございます。私には故郷に年老いた母とまだ幼い子供がいます。私がいなくなれば食う物もなくなり死に絶えてしまいます」

目隠しをされた密偵は必死に嘆願するも土方は眉一つ動かさない。
逆に斬り手を務める倉石の顔は完全に血の気が失せていた。見かねた斉藤が彼の元でそっと助言をする。

「この者が密偵である証拠は掴んでいる。この期に及んで助かろうなど武士らしかぬ行為だ。君は新参の中でも飛び抜けて腕が良い。何事にも経験、胆を練る為だ、頑張って」

倉石は上司の言葉にぎこちなく頷いた。その額からは大粒の汗が滝のように流れている。

「たすけてください、お願いします…お願いします」

か細い声で助命を訴え続ける密偵。
土方は傍にいた永倉を呼んだ。

「俺が良いと言うまで手は出すな」

裸足で土壇に立つ倉石の様子を見て簡単にはいかない、と踏んだようだ。
一人の隊士が縄尻を外し、密偵の背中に片足をかけて俯かせた。もう一人の隊士が両足の親指を掴んで引っ張る。そうすると斬られる側は嫌でも前のめりになり、首を差し出す形になるのだ。

「助けて助けて」

首を上下に振り、喚き続ける密偵を倉石はじっと見据える。ハ相に構えた刀が小刻みに震えていた。





「それからはもう御覧の通りで」

後片付けが終わった裏庭で、その場に居合わせていた原田が沖田に言った。

「仕損じた上に追いかけごっこかィ」
「副長が止めるまでずっと」

手元が狂った倉石の刀は密偵の首ではなく、肩を斬り裂いた。密偵は飛び上がり、押さえている隊士達をはね飛ばして裏庭を逃げ回る。倉石は必死の形相で追いかけ、密偵の背を斬り、腰を斬り、腕を斬り、致命傷には至らない傷ばかりを負わせていた。
追いかけごっこは土方に命じられた永倉が、密偵の首を跳ねた事により決着がついた。

「倉石がそれはもうどん底に落ち込んでよ。今、終が慰めてらぁ」
「道場稽古程度の新参にゃあ荷が重すぎでさァ」

頭の後ろで腕を組み、ハゲ頭に背を向ける。

「皮一重残してさ、綺麗にスパッて斬るのが気持ちいいのに」

沖田はそう言い、裏庭に面する縁側に腰を落とした。

「んな感じに皆が皆、最初っから胆力身に付いてたら副長も苦労しねぇよ」

薄暗い雲からぽつりと降ってきた雨の粒が原田の肩に落ちる。

「…いつの間にやらこうなっちまった」

誰が、とは言わず沖田はゴロンと板敷きに寝転がった。

「あれが正常なんでさァ」
「…そうだな」

冷たい雨が撒いたばかりの砂に小さな染みを作っていった。







切腹の様を事細かに書こうと思ったらただの斬首になりました。
真選組は屯所内で処刑はしないイメージがあるのですが、それを振り切って打ってみました。

近藤達が初めて人を斬った時とか、たまに妄想はするんですがね。

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