郁巳が無言でベルトを持ってきた。ありがとうとそれを着ける。郁巳の瞳は伝えたいことが多過ぎて、よく分からんことになっていた。

「…何?」
「……いや」
「…じゃあ、行ってくる。お前今日は学校休みだよな?好きなようにしてろよ」
「…うん」

手を一つあげて、郁巳もそれに答える。玄関を開けた。暑苦しい夏が、始まろうとしている。

外に出た途端、また例のよく分からない不安に苛まれるが、一昨日郁巳に啖呵を切った以上学校を休むわけにもいかない。そろそろ単位も危うくなる。真面目な時彦は留年などさらさら考えていなかった。ここで負けたら、何も上手くいかない。そうとすら考えていた。垂れてくる汗。こんな暑い中じりじりと駅まで歩くのは自殺行為だ。もやもやと心を濁らす不安。何に対しての不安?分からないものは嫌いだ。神経質な時彦はすぐに汗を拭った。駅まであとちょっと。電車に入れば、涼しいだろう。
エスカレーターの音はひやりと心臓を凍らせる。不審な目で他人に見つめられているような気がして、恐ろしくなり俯きながらエスカレーターに乗った。前も後ろにも他人がいる。時彦は震える指に気づかないふりをした。改札口を、定期で通る。

見ている。

他人が自分を見ている。怪しいと、何に対しての不安か分からないまま不安がっていると、バカにされる。怖い。いや、怖くない。愚かしい、時彦は自分を嫌悪する対象へと成り下がっていっていることを自覚した。やめてくれ。何かがギシギシと心臓を揺さぶる。時彦がプラットホームについた頃には、息も荒く何故電車に乗ろうとしているのかも、よく分からなくなっていた。サラリーマン風の若い男がこちらを確かに見つめている。あの私服の女もだ。時彦は視線を恐れた。彼らはただ、体調の悪そうな彼を心配しているだけなのに、時彦の頭は恐怖に満ちていた。怖い。怖い。そこでよぎったのは、郁巳の「精神的なものかもしれない」。精神的。これでは、そうだとしか言えないじゃないか。精神的なもの?俺は、本当に頭がおかしくなってしまったのか?震える足に、涙すら浮かんだ。

そうしてついに、発作が起きた。
電車が向かって来たと同時に時彦は過呼吸を起こした。立っていられず、しかし周りの目が恐ろしくて必死に役に立たない足を奮い立たせる。汗が滝のように流れて異常だと思った。ヒィ、と情けない音が喉から漏れた。見ている。大丈夫かしら、という声は既に時彦には聞こえない。柱に縋って、よたよたとしていると、駅員が走って来た。

「大丈夫ですか?」
「あ、はあっ、ひい、っは、はぁ」

言葉の喋れない時彦が死ぬ気で指差したのはトイレだった。駅員は心配しながら、時彦を支えてトイレまで向かう。ガタガタと震える足と、動けない身体は、駅員一人の支えでは足りなくて、もう一人がやってきた。恐ろしさに惑う時彦自身と、今の滑稽な状況を皮肉に思う自身。めちゃくちゃだった。まだ新しさの残るトイレについたとき、時彦は足を縺れさせながら、綺麗にされた洗面台へ吐瀉した。

「うぇ、ええっ…う、っ!ぐ、ぅう、」

情けない。本気で情けない。「精神的なもの」。永遠リピートに時彦は気持ち悪くなった。駅員は救急車呼びましょうかと聞いてくるので時彦はかぶりをふる。また病院送りなのは分かっていたが、もう救急車で運ばれるのはうんざりだと思った。

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