翌日になっても、時彦の体調は芳しくなかった。億劫そうに身体を起き上がらせる。郁巳は時彦を、柔く抱きしめた。病院に行こう。そういうと、時彦は、これもまたつらそうに立ち上がった。でも少し笑う。郁巳がまたタクシーを呼んだ。

「心配し過ぎ」
「心配くらいさせろ」

附属病院で内科、循環器官などと様々な科を回って血液検査にレントゲン、MRIなどひたすら検査検査の繰り返しだった。郁巳はハラハラしていたけれど、時彦は、多分忙しさがたたって体調が悪いだけだと、そう思っていた。面倒そうに左手を出して血液を抜かれてゆく。検査だけで午前が過ぎた。

「異常は見当たりません」

白衣を偉そうに着ている医者は特に気兼ねもなく、しれっと伝えた。そうですか、と時彦は答える。ほらな、と言う目で郁巳を見た。しかし彼は未だ心配そうな目で見ているのが、時彦を惑わせるのだ。しばらく大学も休んで、様子を見てくださいと言われる。

「…失礼ですが、同伴の方との関係は?」
「…ルームメイトです、大学の。親と離れて暮らしているので」

体調も良くないので、その後また点滴をされた。病院は全く金のかかる所だと思った。カーテンを閉めきられた閉鎖的空間。ぼんやり天井を見つめる。ぽたぽたと一定的に落ちて来る点滴も、ぽかりみたいなものだと知ってから、点滴を見るとぽかりが飲みたくなるようになってしまった。前に点滴を見たのは何時だったか。確か一昨年の今頃郁巳が熱中症になった時だった気がする。あのバカ、あんな暑苦しいのに、エアコンもつけずに餃子なんてつくってるから。あの時の彼の熱にやられた顔は忘れられない。へろへろで間抜けだった。

…暇だ。
だるい身体をほっぽかしていると、ぼそぼそと外から声が聞こえる。郁巳のしおらしい声。いや空気の読めない、いつも通りの声なのには代わりないが、いかんせん先程の心配そうな瞳が時彦を惑わせる。困ったことだと耳をすませた。

「志治さんですけど、もしかしたら精神的なものかもしれません」
「…はあ、…精神的なものって、どういう、」
「症状がパニック障害という精神疾患と似ていますから、近い内に精神科の方に是非往診するよう伝えて下さい」

時彦は、意識が傾きそうになった。精神科?精神科とは、あの、精神科か。頭がおかしくなった人間が向かうところ。鬱病だとか、そういう、訳の分からないことになってしまった、人間が。時彦はだるい頭の中で馬鹿げてる、と一言思った。俺はおかしくない。俺が精神病になるわけがない。時彦は、自分が精神病を患うなど想像も出来なかった。まるで信じる気になれなかったのだ。時彦は、苦く笑った。全く、ろくでもないことになったもんだ。
アラーム。点滴が終わったことが堂々と知らしめられると、看護師はシャッと小気味よい音をたててカーテンを開けた。また白いテープ。べたりと貼られた。受付で高い金を払う。時彦は早く治れと思った。


その夜、時彦は何時もよりよっぽど少ない夕飯を食べる。郁巳は何度か口を開いては閉じを繰り返した。時彦は、何時もの郁巳の癖だけれど無性に腹が立った。思うように身体が動かないせいかもしれない。

「言いたいことあるなら、言えよ」
「…、」

小うるさいテレビ。テレビが無かったら、この部屋は静かになってしまう。郁巳は口下手であるし、時彦も一人で喋る気が触れた人間ではないから。だから夕飯の時は必ずつける。うるさくして、静寂を埋める。郁巳は目線を、自分の手元にある茶碗に移した。

「…お前がぶっ倒れたのは、精神的なものかもしれない」
「…しれなかったら、なんだよ」
「……今度精神科に行った方が、良いと、思う。俺も、ついてくから」

ははは。時彦は笑った。郁巳は時彦を見た。時彦はししゃもを口に含む。悪心に気づかないふりをして、咀嚼する。郁巳に箸を向けた。

「俺が精神病になるなら、世の中皆やばいと思うぜ」
「でも、…お前、意外とそういうところあるし」

ガタンと時彦は席を立った。ハッと郁巳は口を噤んだ。言うことを聞かない身体に腹が立つ。テレビでどっと笑いが起こる。郁巳に笑ってやれば良かったのか、もう分からない。自分の身体の変化に、時彦は参っていた。

「時彦、」
「そういうところって、何」
「ごめん」
「言えよ」
「ごめんな、俺が悪かった」
「………。」
「落ち着いてくれ。お前、まだ病み上がりだから」
「……、明後日から大学行く。もう身体も大丈夫だし、お前にも迷惑かけたくない。平気だよ」

落ち着けと言われて頭が冷えたのか、時彦はそれまで尖らせていた気持ちを和らげて、けれど素っ気なく郁巳に喋った。全部食べきれなくてごめん。そう言ってから、まだ何かもごもごと喋ろうとする郁巳に少し笑いかけてやる。大丈夫。すぐに治る。そうして何時もより早くに寝室に向かった。郁巳は、ケラケラ笑うテレビに一瞥もくれず、寝室に向かう彼の背中を見つめた。顔を大きな両手で覆う。どうしてこうなってしまったのだろうか。溜息をついてから、しばらくして時彦が残した夕飯の残りを食べた。残りなんてものではなくて、二人分みたいなものだった。

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