「あんたってMだったの…」 先月起きた運命的な出来事を友人に話すと、彼女は盛大に顔を引きつらせた。 「ち、違うよ!…多分」 「だって、胸倉掴んで壁に叩きつけた人を好きになったんでしょ?」 「叩きつけられたんじゃなくて突き放されたの!それに助けてくれたし…」 「でも胸倉掴まれて、突き放された上に、次はないと思えって言い捨てた危険な男に惚れたんでしょ?」 やっぱりドMじゃない。 呆れたようにそう言う彼女をじとりと睨みつける。 そう、私はあのとき助けてくれた男の人を好きになった。 自分でもあり得ないと思う。助けてくれたことを差し引いてもなかなか酷いことをされた。普通だったらトラウマものだ。 でも好きになってしまったものは仕方がない。 寝ても覚めても彼の瞳が頭をちらつくのだ。 あの吸い込まれるような深い緑色。怖くて、でもとても綺麗な色。 甘さなんて全くない。絞めつけられるような苦しい気持ち。こんな恋もあるんだ、と自分でも驚いている。 時間が経つにつれ気持ちはどんどん大きくなっていて、とても無視できるものではなくなっていた。 「好きになった人が、ちょっと危ない人だっただけだもん…」 「はいはい、そーですか」 私の話を適当に聞き流して彼女は鞄を手に立ちあがった。 「帰るの?」 「うん、これからデートだから」 「死ねばいいのに」 反射で返すと彼女はニヤリと笑った。 「僻むな僻むな。てかあんたも今日バイトでしょ?」 「遅入りだから時間潰してるんですー」 頬を膨らませて机に突っ伏した。 頭上からクスクスと笑い声が降ってくる。 「ま、頑張ってね。もしかしたらバイト先で運命の彼に再会できるかもしれないわよ?」 「…てきとーなこと言わないでよ」 「私としてはそんな危ない人とはもう関わってほしくないけどね〜」 そう言い残して彼女は彼氏のもとに向かった。 再会―― その言葉がどこかに引っかかった。 彼が好きだ。それは間違いない。 でも、不思議と彼ともう一度会いたいとは思わなかった。 この恋叶うことは絶対にない。そう確信している。どうしてかはやっぱりわからないけど、 だから彼と会いとは思わない。むしろ会いたくない。 だって会ってしまったらますます気持ちが育ってしまうから。 立った一度会っただけでこんなに好きなのに、再会してしまったらどうなってしまうのか予測がつかない。 好きでいっぱいになって脳みそが爆発してしまうような気さえする。 馬鹿らしいけど、私は本気でそう思っていた。 「まあ、もう会うこともないでしょ…」 誰もいなくなった教室でポツリと呟いた。 私は小さな喫茶店でバイトをしている。 昔ながらのレトロな喫茶店で、お客はほとんど顔なじみ。 正直あまり儲かっていないし、バイト代も少ないけど雰囲気が好きでバイトを続けている。 「店長、今日は何流すんですか?」 「バルトークのヴィオラ協奏曲だよ」 この店では流行りの曲は流さない。 店長が趣味で集めているクラシックをレコードで流している。選曲は店長がしたり、私がリクエストすることもある。 でも珍しい。店長はヴィオラよりヴァイオリンが好きだったばずだ。 「何となくね。今日はヴィオラの気分なんだ」 店長はニコリと笑った。 まあそんな日もあるだろう。 特に気にすることなく私は仕事に取りかかった。 しかし、いつまでたってもお客は来ない。いつものことだけど、暇だ。 特にすることもないので私はお気に入りの席に座ってレコードに耳を傾けながらスケッチブックを開いた。 小さいころから絵を描くことが好きで、今でもときどき鉛筆を握る。 見たもの、感じたものを思うままに描くと自分でも気がつかないことに気づけることがあって、楽しかった。 夢中で鉛筆を走らせていると、カランカランとドアの開く音がして慌てて立ちあがる。 「いらっしゃいま、せ…」 入ってきたお客を見て私はトレイを落とした。 「〜〜〜!?」 「お前…」 ガランガランと不快な音を立ててトレイが床に落ちる。 しかしそんなこと気にしていられなかった。 吸い込まれそうな深緑。 息がつまった。呼吸ってどうやってするんだっけ? トレイが床で回る音と心臓の音がぐちゃぐちゃになって頭がガンガンする。 ふと思い出すのはつい数時間前に言われた言葉。 『もしかしたらバイト先で運命の彼に再会できるかもしれないわよ?』 彼女はもしかしたらエスパーなのかもしれない。 この一ヶ月、思い続けた人が目の前に立っていた。 君と再会October 突然始まった私の恋。 育てることはできないけど、大切に大切に思い出という箱にしまわれるはずだった苦い恋。 諦めようとしてたのに、もう一度出会ってしまったから。 もうこの恋は止められない。 back -------------------------------------------------------* |