「翔くん、水瀬さん、こっちはいつでも大丈夫です!」 ブースの向こうで七海さんが手を振っている。うん、とってもいい笑顔。でも私には悪魔の頬笑みに見えるよ。 先送りにしたいことがあるときほど時間は早く過ぎていくもので、あっという間に放課後になった。こっそり帰ってしまおうと思っていたのにHRが終わると同時に来栖と七海さんにレッスンルームへ連行され、渡されたのは今日出された課題曲の楽譜。ところどころアレンジされていたから七海さんが手直ししたものだろう。 てっきり朝渡された曲を歌うのかと思ったけど、課題曲を先にやるべきだってことでこっちの曲を練習することになった。 「じゃ、俺からいくぜ!」 来栖が七海さんに合図するとヘッドホンから前奏が流れ始める。主旋律は同じなのにキーが変わるだけで印象が全然違った。短い前奏の後、来栖が歌い始める。自己紹介の時と同じようにキラキラと楽しそうに来栖は歌っていた。聞いているこっちが元気になれそうな、そんな歌声。 いいな、私もあんな風に歌えたら――― 「…あれ?」 今、入りのタイミングがずれた。それにところどころ音も外れてる。 「〜〜♪」 歌声は力強い。聞いているだけで引き込まれる。でもそれだけ。技術が足りてないんだ。気持ちだけが先走ってて、それを支える力がない。だから空回りしている。 「…来栖ってあんまり歌上手くないね」 「喧嘩売ってんのか!」 歌い終わり水分補給をしている来栖に思ったことをそのまま伝えるとベシンと楽譜で叩かれた。紙だから痛くはないけど、自称王子キャラが女の子に手を上げるのはどうかと思う。 「だって、タイミングも音も外れまくってたから」 「う…あ、当たり前だろ、初めて歌ったんだから。これから練習して上手くなっていくんだよ!」 練習という言葉を聞いて私は驚いた。 「私、Sクラスの人って楽譜一度見ただけで完璧に歌いこなせるような人ばっかりだと思ってた」 「はぁ?」 「だって、みんな歌上手かったし…」 そうぼそりと呟くと、青筋を浮かべていた来栖は呆れたようにため息をついた。 「…まあ中にはそういう天才もいるだろうけど」 少しだけ苦い顔をしてから来栖はコツンと私の額を小突いた。 「たくさん練習して、Sクラスになった奴だっていっぱいいるぜ」 むしろほとんどの奴がそうさ。と来栖は笑った。 「それに才能だけでアイドルになれるわけないだろ!」 きっぱりとそう言い切った来栖を見て、私は目から鱗が落ちた。 「そっか…」 アイドルになりたいと思う。でもSクラスでやっていける自信がなかった。必死に努力してようやく人並みな私が早乙女学園に、あのクラスにいていいのか、この2人とパートナーになっていいのか不安だった。 「来栖はかっこいいね」 「なっ…!」 ぼぼぼっと来栖の顔が真っ赤になった。 「私も来栖みたくなれるかな…?」 すぐに不安になったりしないで、今の自分を受け入れて努力できる強い心を持つことができるかな? 「ばーか。俺様並にかっこよくなるなんて10年早ぇよ」 「じゅ、10年は長すぎ!」 思わず突っ込みを入れると来栖が吹きだした。 「だったら練習あるのみだな。ほら、今度はお前の番」 「わ、わかってるよ!」 来栖に促されてヘッドホンをつけマイクの前に立つ。ブースの向こうでは七海さんが真剣な表情で機材をいじっている。私が見つめていることに気づくとニコリと笑顔を浮かべた。七海さんもたくさん努力したんだろうか? 「音流してもいいですか?」 きっとそうなんだろう。今朝渡された曲を思い出す。才能だけであの曲が作れたとは思えない。 「水瀬さん?」 「あ、ごめん。何?」 「音を流しても大丈夫ですか?」 「うん、大丈夫!」 ニコリと笑い返して楽譜に目線を落とす。私だってたくさん努力した。早乙女学園に入学することができて、このままアイドルになることができるんじゃないかと思った。でも実際に早乙女学園に来たら私より歌が上手い人ばっかり。来栖が言っていた通り、私は諦めてしまっていた。努力しても駄目なんじゃないかと思ってしまった。でも、2人はこんな私と歌いたいと言ってくれた。 「では流しますね」 「お願いします!」 一歩ずつ、前進 立ち止まっていて何も変わらない。だから歩き出そう。迷いながらでも、前に進もう。 来栖と七海さんに迷惑をかけないためじゃなくて、2人と一緒に歩ける自分になるために。 back -------------------------------------------------------* |