No.8
「君って……」
伊藤が言う。
「彼からは、とっても不思議な香りがした。……その笑顔、その声、どこか僕がずっと前になくしてしまったものを導いてくれるような、そんな気がした。こんなずるい僕という人間を、温かく見守ってくれるような、そんな優しさに包まれていて」
イルミネーションの色がぼやけては歪んで、青木の頬に感じたくない小さな冷たいモノがこぼれおちていく。
「僕は、君を一目見たあの時から、『僕の……』だと思った」
「!」
伊藤は驚いたようだ。そして、下を向いていた。
「意味、わからないよね。僕と君は今まで一度も出会ったことなんてないのに。……でもね、やり直そうって思えたの、あの時は」
そういって青木はベンチから離れ、コートの背を僕に向けた。
「僕も、わからないんだ。でも、一つだけ確かなことがあって。不登校って駄目なことなんだって、いつかはやめなくちゃって思ってたんだと思う」
その時だった。伊藤の携帯が鳴る。着メロは静かなピアノ曲。
「はい」
青木は歩いて僕の椅子から携帯を取り出す。ベンチに座っていた時の哀しい顔ではなく、何か固い決心を秘めたかっこいい顔の彼が、そこにいた。
Side 伊藤
「うん、すぐに帰るから……」
電話を切ると、彼は僕を車いすに戻してくれた。
「あのさ」
僕が言う。
「なぁに?」
彼が言う。
「僕の前に来て、くれる?」
少し、君のこと、わかってうれしくなったのかも。
「いいよ」
僕は顔がほてるのを隠しながら彼の頬をつねった。
「っ!」
平手打ちはできそうになかったから、思いっきり彼の頬をつねった。
「……痛いよ、伊藤君」
「よかった、痛くて」
「……」
僕は彼からその指を外すと、こういった。
「僕の足はね、去年の暮れから動かなくなったんだけど……いろんなつらいことがあった」
最初は、生きていられただけで幸せなんだと思うように考えていたけど、やっぱりそれには無理もあった。
「僕も、もしかしたら、逃げたのかもしれないね、その痛さから。今までの環境じゃないクラスの様子を見るのが怖くて、怖くて」
青木は黙ったままだった。そして、しばらくは僕も黙ったままで。それを切り裂くのはどちらか……そう考えていたら。
「抱きしめられたい、かも」
僕も予想だにしない言葉が飛び出た。
「大好きな人に、力いっぱい」
普通の人なら、簡単なことだと思う。でもぼくには、足が動かないから、好きな人のもとへ行くことすらできなくて。漫画や映画のワンシーンのような走りこみだって、たくさんの人ごみの中で大切な人を探そうと思ったって、すぐにばれてしまう。
「僕も、わからないけど……」
いつの間にか僕の頬を涙が伝う。瞳を閉じても、閉じても、あふれ出てしまうそれ。
「君に出会えて、良かった。……怖かった。友達、ってもう呼ばれないかもって。あいつ、俺たちと違うんだって思われるんじゃないかって」
その瞬間だった。僕の腕を抱きかかえるようにしてゆっくりと青木は僕を抱いた。
「すぐには、走れないけど、こんなにも不器用な不登校野郎だけど。君は優しいんだね」
「違う、……僕は何もしてない、君がいた、君がそばにいてくれた、新しい環境をいつもの環境にしてくれたんだ」
「そう、だね。王子様」
You love forever……。
君だけは、もう離さない、よ?
「ずっと、そばにいてくれてありがと」
うれしさの中で拭った伊藤の指先の涙も透明でとても奇麗にイルミネーションの光を反射していた。
二人、どこかでまた新しい絆が生まれた。
「じゃあ、ね?」
家の前まで送ってくれたときの青木の笑顔は今まで僕が見た中で一番かっこいい笑顔に見えた。
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