ソラを飛ぶ鳥なんて触れないじゃない


「----ね、名前くん。これ、可愛いかな?」

土方さんから貰ったの。と髪に刺さった簪に触れながら乙女子は柔らかく微笑む。その笑顔は華やかで、むさい男所帯に咲いた花だとは誰が言っていただろうか。

俺とは言えば近藤さんに頼み込んで作ってもらった菜園を手入れしていた手を止めて、この前部屋でカタログを見ながらうんうん唸っていた土方さんを思い出す。その後で顔を真っ赤にしながら電話をかけていた彼の姿も。

きっと土方さんは、乙女子のこんな笑顔を見たくて悩みまくっていたのだろうけど。

「……もしかして似合わな、い?」
「似合ってるけど」

不安そうにしていた乙女子は、俺の一言に花が綻ぶように笑った。えへへという照れ笑いが嫌味で無いのはその可愛らしい容姿と共にその素直な性格もあるのだろう。

「この前は総悟にパフェ奢ってもらったって言ってたっけ」

「うん。その後には近藤さんが服買ってくれて、山崎さんは映画に誘ってってくれたの」

乙女子を見つめながら何となく「映画」と繰り返すと、笑顔を一気に真っ青にしてわたわたと手を振り始めた。

「ち、違うよ?デートとかそんなんじゃないし、ちゃんとお断りしたし!!」

聞いてない、と言いかけてそっと口を噤む。別に進んで乙女子を傷つけたい訳じゃないし。ただ退くんが仕事で失敗したのでも無いのに、うっとおしいくらい落ち込んでいたのはそういうことかと納得した。

「別に行ってきたらよかったのに。この前も銀ちゃんに江戸の町案内してもらってたんだし」
「…………」

再び手を生き生きと育つ夏野菜たちのため動かし、深々と頷く。うん、この出来なら女中さんたちが大喜びするだろう。

「名前くん知ってたんだ」とぽつりと零された乙女子の言葉はスルーする。

屯所にはほぼ毎日のペースで小太さんとエリザベスから花束が大量に届き、銀ちゃん、新八くん、神楽ちゃんが日々全てを捨て去っていく。

乙女子が巡察に出ればマダオさんからてる彦くん、その道の本職である妙さんから狂死朗さんまで会いたがるという老弱男女問わぬ凄まじいタラシっぷり。

乙女子が空から屯所に降ってきてから数か月。----蟻のど真ん中に落ちた砂糖のように乙女子に皆が虜になっていくけれど、この子が私利私欲で真選組に災いをもたらすような人間ではないということは俺が一番よく知っている。

……だから、誰が乙女子に夢中になったとしても俺には関係ない。

これといった稀有な特殊能力を持たない普通の子だから、深刻な犯罪に巻き込まれる可能性が無いのが幸いだ。

ぽつんと呟いて、そうして頭が真っ白になった。黙々と菜園に向き合っていると勝手に無心になっていることはあるが、……こんなことは初めてだった。

---不意に俺が立ち上がると、じっと一歩も動かず俺を見つめていた乙女子が狼狽した。躊躇いなくずんずん彼女に近付いていく俺にさっと顔を真っ赤にして固まっている。

「名前、くん?」

(いや、"普通"はありえない……)

寧ろ乙女子が普通の女の子じゃないってことは、自らが一番良く知っている。

乙女子の目の前で足を止めると、徐に片手を彼女に延ばした。今にも火を出すんじゃないかを思うくらい赤くなった乙女子はぎゅっと目を瞑るが、……残念ながらそんな展開にはならない。

「あ……」

----延ばされた俺の指先の目的が髪に刺さった簪だと気付き、乙女子は表情を緩める。その悲しげかつ儚げな表情に、近藤さんたちなら悶え転げまわるのだろうけれど俺にはもう見知り切ったもので感慨など一切湧かなくて。

「……この簪気に入ったんだ?」
「……ううん。名前くんから貰ったお箸の方がもっといい」

差し出された箸はどう見ても俺がずっと前に100均で大量購入してきたもの。それを華やかな簪と比べるなと思うけど、乙女子は簪のことなんて忘れたように幸せそうな顔で箸を見つめている。

「----でも、名前くんにはこの簪の方が大切なんだよね」

真っ白で傷一つない乙女子の手に、そっと髪から抜かれた簪が乗せられる。----簪を愛おしそうに抱き締めて慈母のように微笑む乙女子の姿に、俺は、急に泣き出したくなった。

「だってこれをくれたのは、名前くんの恋人さんだもんね」

名前、と優しいあの人の声が耳に一瞬響いて消えた。

「……さっきの訂正するね名前くん。この簪、私にとっては大切なものだよ」

喉に言葉が凝って、何も言えなくなってしまった俺の頭をもう片方の手で優しく撫でながら乙女子が真っ直ぐ俺を見つめる。その表情には一切の迷いが無い。

「名前くんがちょっとでも執着するものなんだから、どんなものよりも価値があるの」

目の前がくらくらして暗くなる。心臓の音が一層激しくなって、立っていられなくなってしゃがみ込んでしまう。本気で泣きたくなって、だけど俺の唇から漏れたのは泣き声ではなくて、低い低い哂い声で。

「俺の恋を片っ端から潰していって、楽しい?」

自分でもはっきり分かるくらい皮肉な声で、表情で乙女子に吐き捨てると、視界の端で乙女子が悲痛に、憐れに、傷付いたように顔を歪めるのが分かった。----この表情が作られたものだったなら、俺は本当に楽だったのに。

乙女子の顔なんか見ていたくなくて、足の間に頭を埋める。「ひじかたさん」と震える声で呟くとはっきりした泣き声が其処にあった。

「楽しくなんか、ないよ」

土方さん。乙女子にどんなアプローチをしたって無駄なんだよ。この子は土方さんが必死で隠してるつもりの想いだってとっくに気付いてるよ。ミツバさんといた時だってあんな熱い視線はしてなかったって、近藤さんが言ってたけど。

「だってそれが誰だったとしても、私が一番欲しいのに手に入れられないものを持ってる人なんだから」

乙女子の感情は、自惚れるわけではないけれど俺にしか向いていないんだ。

「私名前くんが好きだから、土方さんは間違いなく恋敵になるんだよ」

綺麗な着物を着て、華やかに笑う。その一挙一足で誰にでも好かれる天女。頬をピンク色に染めて、恥じらいに震えながら想いを伝えてくる女の子。

「----でもごめんね。乙女子、俺の好みじゃないから」

----何十回前の人生。苗字名前がただの人間だった頃、苛められていた後輩。ぼろぼろになっていたところを、気まぐれで延ばした手を取って泣き出した女の子。

この会話は何度目だったっけ、と乙女子に問うと分からないや、と微笑みが返される。何度も何度も思い知らされて分かり切っているのに、俺も乙女子もまた同じことを繰り返している。

誰が、狂わせた、なんて。


「----ああ、ここにいたんですかィ乙女子」

不意打ちの声に乙女子と二人で振り返ると、総悟を始めとした巡察帰りらしい皆がこちらに向かってきていた。農作業でのものとは違う冷えた汗が、背筋を伝う。

「お帰りなさい!!総悟くん、近藤さん、山崎さん、土方さんも!!」
「………お帰り」

ぶっきらぼうな俺とは対照的に、乙女子はぱっと笑顔を浮かべて皆に駆け寄っていく。返された「ただいま」は乙女子にだろうなと自然と思ってしまう辺り、俺もかなり捻くれてきている。

「きゃ、ちょ、そ、総悟くん!?痛っ、痛いって!!」

「相変わらず引っ張り甲斐がある髪型してますねィ乙女子」

「ちょっと総悟くんん!?ナチュラルに何しちゃってんの!?」

「え、ちょ、沖田さん!!地味に隠れて俺の太もも蹴るの止めてくれません!?」

「ザキはともかく乙女子に何さらっとやらかしてんだ総悟ォォォ!!」

「『ザキはともかく』って何ィィィ!!」

----繰り広げられる光景を、映画を見ているような気分で見つめる。またこうなるかと慣れ過ぎた諦めの息を吐きながら、……俺の身体はどうしようもなくどんどん冷えていく。

『名前』

……ねぇ土方さん。俺に最後にそんな風に話しかけてくれたのはいつのことでしたっけ?

乙女子から逃げ続けて辿り着いた江戸。この身一つで死ぬ物狂いで働いて、松平のおじさんと懇意になって、やっと手に入れた真選組という居場所。近藤さんという優しい上司、総悟と退くんという同僚兼友人。そして、土方十四郎という、恋人。

『お前がどんな存在だろうが、俺が好きだっつってんだからいいだろうが』

俺は、その言葉だけで死ぬほど嬉しかったよ。

『-----神様にお願いしたのは何度生まれ変わっても名前くんに必ず会えることと、……私が望めばどんな存在からも無条件の好意を貰えるようになること』

『俺に好きになって貰えること、じゃないんだ』

乙女子の策略を真実初めて知って、最初の感想がそれ。その方が簡単だと思うけど、と他人事のように言う俺に、どちらかと言えば乙女子がむっとしたように顔を顰めた。心なしか声もぴんと張り詰める。

『名前くんの心を操って好きになってもらっても、其処に何の意味も無いよ』

乙女子にとって価値があるのは自分自身と俺だけで、それ以外の人間には微塵の興味も彼女には湧いていない。興味が無いから、操って何かしようという悪意が生まれるはずもない。

『----でもね』

ふと乙女子が俺から身を離し、ステップを踏むとくるりと一回転。着物の袖がひらりと揺れ、陽光に照らされている姿は一枚の絵のように魅入られる。くるりと振り返って、俺を見て幸せの絶頂という顔で笑う乙女子は、----何よりも禍々しかった。

「ソラを飛ぶ鳥なんて触れないじゃない?」


総悟に髪を引っ張られて、涙目の近藤さんに心配され、叫ぶ退くんに慌てながら、---土方さんに腕に抱かれ庇われている乙女子の笑顔はとてつもなく美しい。

『だからその恋を潰して、いつだって名前くんに近くまで来てもらえるようにしてから頑張ることにしたの』

……俺はそれ以上この光景を見ていられなくて、ぎゅっと瞳を閉じた。

あの子の恋を潰し続けるのが、俺のたった一つの抵抗。






fin.









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