痛いだけの好きなんて捨ててしまえ




お前の笑顔はまるで春の日溜まりみたいで大好きだ!


そう言って笑った彼の顔は、太陽に向かって咲き誇る向日葵のようだった。





視界に映る光景に、自身の目を潰したくなるほどに背けたい。見ていたくない。今すぐ離れたい。でも自分から離れるなんて出来なくて、だからと言って悲劇のヒロインよろしく泣きじゃくることも出来なくて、グッと拳を握って堪えた。委員会活動で鬼ごっこをしていた彼らに偶々偶然会って、彼の側にいたくて彼も了承してくれたから、委員会活動を見学していた。いつも汗だく泥まみれになりながら、それでも楽しそうに活動する彼らを見るのが好きで、微笑ましく思いながら見学をしていたのに。……私が何をしたと言うのだろうか。彼女が現れた。「楽しそうね、あたしも混ぜて」遊びではなく、委員会活動なのに。彼女、確か…乙女子さんと言っただろうか?あまり関わらないから名前までしっかりと覚えていないが、確かそんな名だった気がする。乙女子さんの場違いな発言に、委員長である彼は嬉しそうに二つ返事をした。そして目の前で繰り広げられる到底委員会活動とは言い難い何か。「捕まえたぞ!」「きゃっ捕まっちゃった!」あはははは、うふふふふ。下級生をそっちのけ
で、彼を含む上級生と乙女子さんの安っぽい恋愛ドラマが始まっていた。偶に彼が満面の笑みでこちらに手を振ってくるのを、嫌な顔をせず彼が好きだと言ってくれた笑みを貼り付けて手を振り返す。


「先、輩……?」

貼り付けた笑顔を剥がして俯きそうになったとき、私に向けられたらしい声が聞こえて、泣きそうな情けない表情を無理矢理隠して顔を上げた。


「……金吾くん」

悲痛そうに眉間に皺を寄せた表情をしてこちらを見ている金吾くんと目が合った。目は潤んでいないのに、まるで今にも泣き出すんじゃないかと思わせる表情に、何か不安がらせるようなことをしてしまっただろうかと、目元を緩ませて笑みを浮かべて話しかけた。


「金吾くん?…どうか、したの?」
「……や、やめて、ください……ッ」
「……え?」
「そ、んな…先輩の顔、見てられない、です……!」

震える声で紡がれた言葉に、思わず目を見開いた。


「なん…で、泣きそうなのに、我慢してまで笑ってるんですか!怒れば良いじゃないですか!先輩は、……ッ先輩には、怒る権利が、あると、思います!」

泣きそうなのを堪えるように、裾を握る金吾くんの手が震えている。途切れ途切れに紡がれた言葉に苦笑した。1年生に気付かれていたなんて、ね。演技力ないのかなぁ、なんて見当違いなことを思いながら、眉尻を下げた。


「なんで、か……。何でだろうね?彼が…小平太が好きだから、かな」

だから怒るなんて出来ないよ。と答えると、じわじわと金吾くんの瞳が潤んでいく。


「……ッでも!小平太体育委員長はっ……先輩の…恋人、なのに……!」

ポロリ、と決壊した涙がいくつも零れていき、金吾くんの頬を濡らしていく。しゃくりあげる金吾くんをそっと抱き寄せて、優しく背中を撫でた。


「金吾くん泣かないで?私がいけないんだよ」
「先輩はッ…どこも悪くないです!」

溢れる涙を拭わずに、キッと金吾くんは睨みつけるように真っ直ぐに見てきた。その穢れない瞳が、一瞬彼と重なって見えた。金吾くんの言葉を否定するようにゆっくりと首を横に振る。


「小平太の気持ちが離れていることを知りながら小平太から離れられない、寂しがりで弱い私がいけないの」
「先輩……ッ!」

えぐえぐとしゃくりあげながら、金吾くんが首に腕を巻き付けて抱きついてきた。


「ぼ、ッ僕、が、います!先輩が、っ寂しいなら、こ、こうやって、ギュッて…ギュッてします!だから、だから……ッ」

泣くのを我慢して笑わないでください。と言って、金吾くんはぎゅうっと腕の力を強めた。金吾くんがしゃくりあげる度に震えが伝わってくる。


「金吾くん……」
「先輩…っ、泣いて、ください!ため、込んじゃ、駄目です!消化不良、起こして、先輩…壊れちゃう……っ」

ぼろぼろと涙が零れているのか、金吾くんが顔を埋めている方の肩口が湿っていく。そっと金吾くんが気付かないように頭と背中に腕を回して、金吾くんが動けないようにした。今、絶対情けない表情をしているから。


「でも、ね……金吾くん。小平太が言ってくれたの。私の笑顔が好きって。私も小平太の笑顔が好きなの」

彼が私の好きな笑顔を向けてくれるから、私も彼が好きな笑顔を浮かべられるんだ。彼が好きだから。そう言うと、金吾くんは顔を上げて来ようとしたから、やんわりと力を加えて制した。それに気付いた金吾くんは、しぶしぶ先程のように肩に顔を埋めた。


「先輩は……っ幸せ、なんですか?」
「しあわ、せ……?」
「小平太体育委員長の、ことが、好きなっことで、幸せ、なんですか?辛く、ないんですか、苦しく、ないんですか!」
「…………ッ」

金吾くんの言葉に何も言い返せない。金吾くんの肩越しに彼等と乙女子さんのやりとりが見えた。頬を染め、嬉しそうに楽しそうに笑みを浮かべる彼等。すぐ近くで同じ委員会の後輩が泣きじゃくっていることに気が付いているのだろうか?乙女子さんしか視界に入っていないのかもしれない。乙女子さんに笑みを向ける彼を見つめた。彼が好き。彼の笑った顔が好き。普段の楽しそうに笑っている顔も、照れ臭そうに頬を掻きながら笑う顔も好き。特に、好きなんだと、嬉しいのだと言わんばかりに顔中で表して笑う顔がたまらなく好き。たとえそれが自身に向けられなくなってしまったとしても。彼の気持ちが離れようとも、彼を好きである私の気持ちは変わらない。


「ふふっ」
「どうした?」
「だって小平太くん、すごく嬉しそうに笑うんだもん」

こっちまでつられちゃうよ。と笑った乙女子さんに、彼は私に向けたことのないような本当に嬉しそうな表情をした。


「乙女子が笑ってくれると幸せな気持ちになれるんだ!だから仕方ないんだ!」

彼が、好き。グッ、と金吾くんの背中に回した腕の力が増した。何故だろう。彼を好きだと思えば思うほど、同じくらいズキズキともジクジクともヒリヒリとも言い難い気持ちが胸を占める。痛い、な…。いつしか彼への好きは痛みを伴うようになっていたようだ。好き。痛い。でも好き。でも痛い。


「金吾、くん……ッ」

涙が頬を伝ってきた。金吾くんの肩に顔を埋めて、声を殺した。金吾くんは、気付いたのかさらに腕の力を強めて抱き締めてくれた。金吾くん、金吾くん。彼を忘れるために、君を利用しても良いですか?





くのたま長屋から食堂へと続く渡り廊下を歩いていると、1つの気配が駆け寄ってくるのを察した。


「せんぱーい!」

その場に立ち止まり声の方に顔を向けると、木刀を片手に担いで走り寄ってくる彼が見えて、無意識に頬が緩んだ。走ってきた勢いのままに抱きついてきた彼を抱き締め返す。


「先輩っどこに行くんですか?」
「食堂だよ、昼食を取り損ねてね」

何かしら残り物を貰おうかと。と言うと、彼は何かを言おうとして口を開けて、何かに気付いてハッとしたように離れようとしたから力を込めて押さえた。


「せ、先輩っあの!離して、ください!」
「……、何故?」
「だって、だって……!」

笑みを浮かべながら訊くと、彼はあわあわとしながら視線を右に左にとせわしなく動かしていく。恥ずかしそうに頬を赤く染めているのが可愛い。


「ぼ、僕っあの!さっきまで修行してて!」
「うん、そうみたいだね」
「それで…っ僕から抱きついちゃったけど!えっと、今っ汗だくで!」

先輩の装束が汚れちゃいます。と彼はもごもごと口を動かした。そんな彼が可愛くて可愛くて、一旦腕の力を緩めると、しゃがんで目線を合わせてもう一度抱き締めた。


「金吾くん、可愛い」
「あう……」

言葉にならない声を出して、彼は観念したようにそっと抱き締め返してくれた。汚れても知りませんから。と彼が呟いたけど、聞こえないフリをした。彼の背中に腕を回したまま、彼の顔をのぞき込んだ。


「金吾くんも、一緒に食堂行く?」
「……ッい、行きます!」

グッと意気込むように両手で拳を作った彼が可愛くて、思わず笑みを浮かべた。立ち上がり彼と手を繋いで食堂に向かおうとしたら、遠くから懐かしい声とともに誰かが近付いてきた。立ち上がらずにしゃがんだまま視線だけそちらに向けると、誰かは七松くんだった。彼と繋ぐはずだった手を耳に当てて外界の音を遮断した。


「   っ!」

七松くんが何かを言っているが、聞こえない。……聞きたくない。両耳を塞いで暗に聞く気はないのだと伝えている私に気付いた七松くんは、ひどく傷ついたような表情をした。何故七松くんがそんな顔をするのか分からないが、気にせずゆっくりと口を動かした。


「さようなら、七松くん」
「………ッ!」
「金吾くん、行こっか」
「…ぁ、は、はいっ」

耳から手を離して立ち上がり、そのまま彼と手を繋いで歩き出した。過去は振り返らないって決めたんだ。さようなら、好きだった人。ギュッと強く手を握られて、少し驚いて彼を見た。真っ直ぐな瞳がこちらを射抜いて目をそらせない。


「僕がいますから」
「!…金吾くん」

見た目よりもずっと聡い子だ。緩みそうになった涙腺を堪えて、ゆっくりと微笑んだ。


「ありがとう、金吾くん」

私には彼がいるから大丈夫。





fin.









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