愛の反対は無関心ってマジですか





五年生でありながら既に就職先の決まっている俺は、もはや今の学園に何ら関心は無かった。ただ、「一緒に組み手をする相手が見付からないな」ぐらいには思っていたが。


まあ最近は、与えられたおつかいも傷はあれど無事に遂行できるようになってきている。
多分同級生にも先輩にも、もう求めるものは無いだろう。
スカウトしてきた包帯だらけの男は、顔で唯一見える左目を細めて「それが君の良いところだ」と笑っていたっけ。


唯一危惧しているのは後輩達の今後である。
教えに回る立場である先輩があんな犬畜生に成り下がっては、上達する筈の腕も埋もれてしまう。そういう訳で俺は鍛練もそこそこに、常に委員会の補助の為に学園内を奔走していた。
…なに、これも後輩の為とあらば痛くも痒くもないさ。



本日は会計委員会にお邪魔していた。
前々から思ってはいたが、算盤を十キロにして何の意味があるんだ?
計算の邪魔だ。

という訳で、自室から持ち出した普通の算盤を使って、帳簿に書かれた計算が合っているかどうか検算する。間違いはあるものの、自分が小さく修正すれば済むものばかりだ。
隣でそわそわしている加藤にニッと笑って帳簿を返すと、輝かんばかりの笑顔で頭を下げられた。相変わらず字は汚いが、計算は段々と速くなってきている。土井先生が頑張ってくれれば優秀な人材になるだろう。俺には無理だ。

それにしても、先日から予算会議の準備として各委員会の提出してきた書類を整理しているのだが…なんとまあ不備の多い事多い事。実際に皆で膝を突き合わせ、頭を悩ませていたのを見てきたから苦笑いしかできない。
…甘酒代や甘味代を要求しても、委員長の居ない今ならあっさり了承できるというのに。ぼそっと呟いたら目に若干隈のある田村に睨まれた。


「そんな不純な事を考える奴等ではないです!」
「そうかなァ?用具からの予算案には下に小さく饅頭と新しい蛞蝓さんと書かれていたが」
「…」


あいつらか、と額を押さえて重い溜め息を吐いた田村に「アイドルには似合わねえぞ」と笑ったら、当然拗ねた顔で追い出された。
他の委員会へ行ってしまえと障子ごしに怒られたが、暗に「僕達に構わず他を助けに行ってください」と言いたいのだろう。

その前に、吉野先生に墨を貰いに走っていった神埼は大丈夫かねぇ、と廊下で背伸びをしていると、御香のようなムワッとした濃厚で甘い臭いが鼻をかすめた。続いてパタパタと軽い足音が、こちらに近付いてくる。

(何故あいつが此処に向かってきている?)


「…あ、居た!苗字名前君、…で合ってるよね?」
「…はい。どうかされましたか、天女様」


丁寧な口調は敵とみなされない為。中立側の教師である筈の山田先生から頂いた助言である。
ぽぽぽと頬を染めた女は「天女様だなんてそんな」とまんざらでもなさそうにはにかんだ。実は名前を知らないだけなのだが。


「実はずっと名前君とお話をしてみたかったの」
「あ、…ありがたき幸せ、にございます。私のような者に」


うっかり「あ、そう」と口を滑らしかけたが、咄嗟の機転で助かった。どうやら気付いていないようだ。それどころか、途切れ途切れの口調に緊張していると思ったらしい。微笑んだ女は「緊張しなくていいよ、乙女子って呼んでね」と更に近寄ってきた。臭いが辺りを漂っている。


「乙女子、さん」
「突然だけど聞いてくれる? …私ね、向こうに初恋の人がいたのよ」
「? はい」
「貴方にとてもそっくりで、初めて名前君を見た時本当にびっくりしたの」
「そうですか」
「でも、やっぱり違うわね。…言っちゃ悪いけど、名前君はなんだか無関心って感じ」
「…そうですか?」
「うん。…あっ、私が思っただけだから気にしないでね!」


再びはにかんだように眼を光らせた女に微笑み、顔をそむけた。臭いで分かりにくいが、食堂の方向からは夕餉の味噌汁の匂いが僅かながら嗅ぎとれた。
未だそこでニコニコしている女に「夕餉の時間らしいですよ」とさりげなく伝えたら、目を丸くしてパタパタと目の前を去って行った。


そんな彼女はある日突然何者かによって姿を消されたのだが、この最初で最後の会話が、頭を離れなかった。
遠い昔、おつかいに行ったきり戻らなかった先輩が言っていたのだ、ある異国の尼の言葉を。
もしそれが本当ならば、俺はとんだ悪人ではないのだろうか。







fin.










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