最後に紅茶を。 | ナノ
ごめんね、ごめんね、ごめんね。


レストランの駐車場に戻った頃には既に22時を回っていた。あまり帰るのが遅くなっても良くないだろうと幸村さんが気を使い、私の最寄駅まで車を走らせる。信号待ちで幸村さんが頭を私の肩に預けてきたから「どうしたの?」と問えば彼は何も言わずに私の左手を握りしめた。

「ごめん、なんか泣きそう」
「幸村、さん?」
「精市って呼んで」
「……精市」

微かに震えている彼の肩が壊れてしまいそうなほどに脆く感じて、大切に抱きしめた。本当に精市は泣いているわけじゃない。なのに泣いているように見えるのはどうしてなのだろう。

「愛がいなくなってしまいそうで怖い」
「……いるよ、私は。ずっと精市の側に」
「うん」

信号変わるね、と言って離れた精市はいつもの様に笑っていた。精市が今、何を思ってこんな行動に出たのかはわからない。消えてしまいそうな彼の姿を、確証のない言葉で繕うしか出来なかった。
彼に今最も伝えたい言葉は、「ありがとう」と「愛してる」。それに偽りなんかない。それでも頭の隅ではもう一つ伝えても伝えきれない言葉が常に付きまとうのだ。

「ごめんね」







家の最寄り駅に着いたところで精市は「また明日」とだけ言い、触れるだけのキスをした。それに答える様に微笑み、車から降りてドアを閉める。運転席に向かって小さく手を降り、車が道を曲がって見えなくなるとその手を降ろした。人に会ったあとの静けさは、まるで別世界に放り込まれたみたいな感覚に陥らせる。その寂しさからだろうか。それとも、心の何処かに残っている罪悪感からなのか。泣く資格なんてないのに、次々と溢れる涙を止める術を私は知らない。
私が流す涙と比例するように空からは雨が落ちてきて、傘なんて持っていないから私の涙を隠すには丁度良いと思った。鈍色の空を仰いでみると、雨雲のせいで星なんて何も見えない。まるで私の未来を表しているようだと自嘲した。何となく、ずっとこのまま雨に打たれていたい。すれ違う人は皆好奇の目で私をみるけれど、そんなものはどうでも良かった。道のど真ん中で立ち尽くす私に「邪魔だよ」と言ってぶつかってくる柄の悪いお兄さん達の声も、私にとっては駅前特有の騒音でしかない。だけどその騒音の中で、確かに私の名を呼ぶ声が聞こえたのだ。気のせいだと思い一度は無視をしたが、何度も呼んだその声に反応すると、そこにいたのは見知らぬ綺麗な女性だった。私の母よりも若干若いくらいだろうか。

「良かった、振り向いたってことは人違いじゃないみたいね。私のこと、分かるかしら」

ふわりと微笑んだ目の前の女性に覚えなんてない。ないはずなのに、何故か彼女を懐かしむ気持ちが湧き上がる。誰かに似ているのだ。……誰かに。

「忘れてても無理もないわよね、一度会ったきりだもの。不二由美子、周助の姉よ」

そうだ。思い出した。私は一度だけ、この人に会っている。それは現世の話で、きっと前世では何度も会ってあるから懐かしく感じたのだろう。言われてみれば、パールみたいな肌とか、薄茶色の髪とか、周助さんに似ているところがいくつもある。前世の記憶の中での彼女は若々しいお姉さんといった感じだったが、少し浮き上がった目尻の皺があれから十分な年月が経っていることを知らせていた。
この綺麗な女の人が周助さんのお姉さんであると確認したのと同時に、私は言いようのない焦りを感じた。この人に関わってはいけない。ううん、もう周助さんとも、その周りの人間とも縁を切らなくてはならない。私には決めた道がある。これ以上、精市を不安にさせるようなことがあってはいけない。
私は勢いよく踵を返すと走り出した。しかし、雨で滑りやすくなっている上に今日履いてきたのは5センチのピンヒール。思いっきり走ることなんてできるはずもなく、あっという間に腕を由美子さんに掴まれた。

「待って、愛ちゃん!お願い、少し話をしたいの。それにそんなずぶ濡れじゃ風邪引くわ。私、今日仕事でそこのホテルに泊まる予定なの。ね、ちょっと寄って行ってちょうだい」
「大丈夫です!離してください!」
「お願いよ、愛ちゃん!」

じっと私の目を見つめて泣きそうな顔をした由美子さんをみたら、頷くことしか出来なかった。また私は中途半端なことをしている。ここで彼女の話を聞くことが本当に正解なのかなんて分からないくせに。情に流されて下した決断は、後悔を呼び寄せるはずだ。

「愛がいなくなってしまいそうで怖い」

ねえ、精市。あと何回「ごめんなさい」を言えばいいかな。死ぬまで言い続けても足りそうにないよ。
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